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生活苦もパロディで笑い飛ばすしかない

あなうなぎ いづくの山の いもとせを 
さかれてのちに 身をこがすとは

~あぁつらい、鰻よ。恋人との仲を裂かれるように背を裂かれても、身を焦がすとは~

さて今回、大田南畝おおたなんぽ(桐谷健太)が登場しましたが、彼は下級御家人でありながら、天明期を代表する文人・狂歌師でもあります。

恋愛を鰻のかば焼きに例えるとは上手いですね。
身を焦がすのは恋だけども、実際に焼かれて焦げているのは鰻だという事です。

また「山芋が鰻に化ける」という俗語もあったそうで、冒頭の「あなうなぎ」は掛詞としての「あぁつらい」と、「どんな山芋からの鰻かわからないが」という意味もあります。

こんな風に、辛い事も何かに例えたパロディとしておもしろ可笑しく表現して楽しむことが江戸の粋のひとつでした。


詩歌の違いやその特徴とは?

「狂歌」とはその名のとおり、「狂った形の和歌」で、古来の和歌とは違って、滑稽でユーモラスさを表現した諧謔味かいぎゃくみを強調した歌のことで、江戸時代に爆発的に流行しました。

日本の詩歌は、だいたい4種に分けられますが、それらの特徴と違いを以下の表にまとめてみました。

和歌と狂歌、俳句と川柳
その対比が面白い

和歌の起源は古く、「万葉集」も存在することから、飛鳥・奈良時代に遡ります。
平安時代に大きく隆盛し、昨年の「光る君へ」でもみられたように、自分の気持ちを直接伝えるのではなく、和歌の手紙のやり取りでお互いの気持ちを伝えていました。
特に朝廷貴族には自分の意思を伝えるために、欠かせない教養のひとつだったわけです。

同じく鎌倉時代初期を描いた「鎌倉殿の13人」においても、地位ある人には必須のアイテムで、政治的な伝達にも利用され、以後も広く活用されながら愛されてきたのです。

一方、狂歌も平安時代に起こり、鎌倉時代には和歌とは区別され、一つの独立したジャンルが出来ていたようです。
もちろん世の中を風刺したのが狂歌ですから、戦国武将も歌ったそうですが、あくまでも「つぶやき」程度のものとして捉えていたので、歌った本人も、それを聞いた側の人も、わざわざ書き遺すという事はしていなかったようなのです。
というより、外に漏れたらマズイ内容のものだったのかもしれません。

俳句は鎌倉時代、最初は連歌の冒頭の発句「五・七・五」が独立したもので、室町時代に「俳諧連歌」として発展し続け、そこに芸術性を加味したのが江戸時代で、松尾芭蕉により確立されました。
「俳句」として一般的に知られるようになったのは明治に入ってからとの事ですから、意外と新しい。

川柳は江戸時代に庶民の間で生まれたもので、いわば俳句のパロディ的なもの。
型は俳句ですが、内容は狂歌と同じく、人情や社会風刺をユーモラスに仕上げた詩です。

まとめると、
和歌のパロディが狂歌。
俳句のパロディが川柳。

パロディとはいえ、素地となるのは教養であり、「和歌」や「俳句」をしっかりたしなめるようにならないと、粋なパロディもできないわけです。

この大田南畝おおたなんぽ(桐谷健太)もヘラヘラしていますが、実は漢学にも通じ、幼いころには「神童」と言われていたほどの教養人でした。

流行したのは出版本のおかげ

ドラマのような「狂歌会」は、これより10年ほど前から始まり、初めは少数の下級幕臣や町人たちによるものでしたが、天明期になると江戸中の各所で開催され、徐々に盛り上がりを見せるようになりました。

そこにちょうどタイミングよく、蔦重らによる狂歌をまとめた出版物もヒットし、さらなる大ブームを呼ぶことになりました。
いつの世でも同じですが、時代の流行に乗る勘は商売には必ず必要で、当時の出版業界も例外ではありませんでした。


蔦重と鶴屋、笑顔の会話が怖い

目には目を
蔦重の巻き返し

蔦重もなかなかの悪知恵が働きます。
西村屋(西村まさひこ)の売れ筋の「雛形若」を歌麿(染谷将太)の画力を借りて、鳥居清長の画風をそっくりまねた「雛形若」を大っぴらに企画します。

血相を変えて乗り込んできた西村屋に、
「汚ねえやり方もありって教えてくれたのは西村屋さんですから」
と、平然と言い返す蔦重の言葉には胸がすく思いがしました。

そもそも「雛形若」を横取りしたのは西村屋の方で、やり方はどうであれ、それを取り返しただけの事で、目には目を、ですよね。

ややこしいですが「若菜」が西村屋、
「若葉」が蔦屋です。

しかしそれだけではありませんでした。
西村屋の注意をそちらに向けさせ、その隙に女郎に関する偽情報を回した事で、西村屋の「吉原細見」の内容が間違いだらけなり、細見を発売中止に追い込みました。

鶴屋(風間俊介)からも”細見を大事に”と念を押されていただけに、面目は丸潰れとなりました。

蔦屋VS鶴屋の
身も凍る笑顔の裏に

蔦重の巻き返しはそれだけではありません。
そのきっかけは朋誠堂喜三二(尾美としのり)の本「見徳一炊夢みるがとくいっすいのゆめ」が、大田南畝(桐谷健太)の批評本で高評価された事でした。

蔦重の本は人気となり、市中の本屋も取り引きを望み、今まで禁じていた鶴屋も、大きな売り上げに繋がる人気本を仕入れたいという心情を汲み、仕方なく蔦屋との取り引きを認めざるを得ませんでした。

蔦重は自分の店の出版本を携えて鶴屋を訪ね、
「お仲間の内に認めてくれてありがとうございます」と感謝の意を述べます。

しかし、鶴屋は、
「うちが取り引きするかは別の話です。」
「私は蔦屋さんが作る本など何一つ欲しくはありません。」
とキッパリ言い放ちます。

一部の市中本屋には取引を認めざるを得なかったものの、彼らと一緒にするなと言うわけです。

蔦重も負けてはいません。
同じような作り笑顔で、

「鶴屋さんが取り引きしたいと思えるような本を作るべく精進します!」

見事なやり取りです。
しかも両者とも非の打ちどころもない笑顔での会話で。
キツイ会話の応酬でした💦

蔦重もそう言われることを見越して、わざと鶴屋を訪ねたのでしょう。
そこに彼のかなりの成長が見えましたし、それ以上に鶴屋が頑ななまでに蔦重を嫌うのは一体何なのでしょう?

京都発の
3代続いた老舗のプライド

「鶴屋」は押しも押されぬ「地本問屋」のトップもトップ。
もとは京都を本店として江戸に出店した3代続く老舗です。
数々のヒット商品を手掛けてきた、出版&流通において大きな実績を持つ名店なのです。

当時、地本問屋に関わらず、商売は「家」として考え、代々家主は同じ名を名乗って、家業を守り引き継いでいました。

風間さん演ずる「鶴屋」は三代目・喜右衛門きえもんであり、家を継続させなければならないプレッシャーと、老舗というプライドがあり、一代で成り上がってきた蔦屋に負けるわけにはいかないし、認めることなど尚更できません。
心の内では蔦重の鮮やかな手腕に舌を巻いていても、それを微塵も出せないのです。

彼は彼なりに「家」を継続させるために、最後のプライドだけは死守したのだと察します。

それにしても風間さんの悪役ぶりには感心します。
童顔なだけに、今まで油断していましたが、こんな皮肉たっぷりのいやらしい役もこなせるとは、俳優としてさらに幅を広げているのは明らかです。


ドラマとしては面白い治済はるさだの策謀

全て治済(生田斗真)のてのひらの上で踊らされ、思い通りに事は進んでいます。
これはまったくの創作なのでしょうが、一連の史実を繋ぎ合わせるためにこの一橋治済ひとつばしはるさだをこのように仕立ててしまう事に感心します。

治済●●の田安家排除計画は着々と

現将軍・家治(眞島秀和)の後継者として治済は自分の息子・豊千代を送り込むことに成功します。
しかも、「仕方なし」という体で。

あくまでも田沼(渡辺謙)に言われたからしぶしぶ差し出したという事にして、今まで陰で悪事の限りを尽くして、そう仕向けてきたことは一切出しません。

さらに家治の意向は、すでに養女として迎え入れた種姫を正室としてほしいとの事でしたが、結局は先に縁組していた島津家の茂姫でと突っぱねます。

種姫は松平定信(寺田心)の妹で、田安家の頼みの綱の「種まき」として将軍家の養女としてあがり、今は亡き嫡男・家基の正室にと考えられていたと言われています。

そのために”白眉毛”の松平武元(石坂浩二)も何かと苦心していたのは、「田安家」を政権の重要ポストに置くためでした。
その白眉毛でさえも何者かに殺害され、それだけでなく徹底的に田沼の仕業に見せようとして邪魔な人間を排除したのは、この治済(生田斗真)だと視聴者にはわかるように展開していました。

このあたりは本当にエンタメドラマとしては上手いというしかありません。
史実には全くないところを創作し、不明な歴史を仕立てあげるなんて、脚本家・森下さんの手腕に舌を巻きます。

おかげで観ている私たちは、やきもきしながら目が離せませんね。


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