noteを続けるコツは『自分を知ること』だった
noteに関しての記事は昨年の10月以来、およそ7か月ぶりです。
始めて間もないころは自分なりの気付きも多く、書かずにはいられませんでした。
しかし、今は?
noteの機能の変化はあるものの、それよりも大きく変わってきたのは、どうやら自分自身のように感じています。
それは「成長」と言うものではなく、どちらかというと、ある程度note(SNS)の本質を理解してしまった「諦観」に近い感覚なのかもしれません。
「諦観」と書くと、~諦めて観察する~とも取れますが、諦めるとはすなわち、物事を明らかに見るということでもあり、決してマイナスの意味ではありません。
それどころか、生意気な言い方をすると悟りへの第一段階に近い。
いろいろな紆余曲折を経たこの5年で、やっと悟り始めたと感じています。
日々のことを書き記すことで、自身の変化を知り、自分のnoteの本質が徐々に見えてきているのではないか…
そう思うとおのずと、必要以上に周りを気にすることなく、自分に合ったnoteスタイルも定まってきたように感じています。
今回は、まず自分を知ってこそ見える"noteの本質”についてまとめたいと思います。
特にnote初心者の方には参考にしていただけたら嬉しいです。
感性を養って自分のnoteを知る

最初に言っておきますが、特定の人の誹謗中傷以外であれば、noteで何を書こうが自由です。
だからこそテーマの範囲は広く、何についてどう書き記していくかの”骨子”はとても大事であり、noteでは大小の「見出し」にあたります。
さらにその前段階で、自分はどのジャンルを書きたいか、あるいは書けるかを知ることだと思います。
そう。自分を知ることは、さらに大事です。
自分を知ってこそ初めて「個性」も発揮できると私は思っています。
何を書きたいか
人それぞれ、得意なジャンルはあり、得手不得手のテーマがあって当然です。
それはもっと単純に「何に興味があるか」と言った方がいいのかもしれません。
文章を書く上で「興味」は最も欠かせない素材です。
そして、その素材は日々の生活の中にいくらでも転がっていることに気づくことが、何よりも肝心です。
より正確に言えば、書くためにネタを探すのではなく、ネタを見つけ出す「感性」を養うべきだと言えるでしょう。
意識をそのように変えるだけで、物事の背景にある真実を洞察できるようになります。
例えば私の場合、寺院で仏像を眺める際も、ただ見るだけで終わらず「なぜこの表情をしているのか」と一歩踏み込んで考えてみる…
そこから広がる独自の想像こそが、自分だけの「書ける素材」となり、文章の個性へと繋がっていくものだと感じます。
どう伝えたいか
せっかくnoteというネット媒体を使って世の中に発信するのですから、せめて読み手に伝わらないと意味がありません。
書きたいことは定まっても、それをどのように伝わりやすい文章に仕上げるかは、究極の腕の見せ所です。
とはいえ、語彙力を駆使したプロ並みの文章に仕上げる必要はまったくありません。
第一に注意したいのは、むしろ難しい文章にしないこと。
誰もが流れるように読める文章であることが大前提です。
難易度の高い漢字を使ったり、不要な言い回しは、読み手にとっては読み辛く、最後まで読んでもらうことは難しいです。
他の方の記事を読んでみると、こんな風に書きたいと思う作品に出会うことがあります。
そこで参考にすべきは、その裏にある書き手の「感性」であり、決して文章をそのまま真似するのではありません。
それには読解力は欠かせません。
表面的な物事だけではなく、その根底にある感性や個性を深く理解し、自分の中で咀嚼した上で、独自の言葉として再構築し直す必要があります。
お手本が難しい文章だとしても、やさしいものに置き換えるぐらいは必要かと思います。
どこまで考察するか
そこから一歩踏み込んで、自分の個性はどう出すのか?
それには考察力が必要になってきます。
例えば時事ネタを書く場合、さらっと書いただけでは、ちまたのニュースサイトでいくらでも読むことができます。
そんなものは自分の記事とは言えないばかりか、noteで読む必要もありません。
単純な事実からどのように掘り下げるか…
それが自分なりの個性となります。
これは映画やドラマ、読書の感想文であればなおさらです。
「あらすじ」がほとんどを占める記事は感想文と言えないのではないでしょうか。
むしろ、その作品から何を感じ、何を連想して、独自の見解に至るまでが必要不可欠だと思っています。
自分の視野はどの程度?
自分はどの程度掘り下げて考察できるか…?
それには日々の生活の中で得た情報から、どの程度踏み込んだ考察ができているかはとても大事になってきます。
時々、なるほど!というnoteに出会うと、自分の足りない部分に気付かされたりします。
同じ物事であっても、人によって視野も見る方向も違うのは当然ですが、自分の考察力の限界を知ってしまうのです。
しかしその限界を知ることが大事で、そこからどう視野を広げるかも見えてくるものです。
いくら卓越した文章力でも、一つの方向からしか見ていない文章は面白味に欠けるように思います。
本質を理解すると振り回されなくなる
以上の事をまとめると以下の通りです。
1,感性を養う
2,難しい文章にしない
3,考察は必須
4,自分の視野を知る
周りをみて、時にはフォロワー数やスキ数を自分と比較して、気にする方もおられるでしょう。
しかし、それはまったく意味がないと私は思います。
そもそも、noteでは主に次の3つのパターンの方々がみられます。
・検索流入を重視する人
・仲間との交流を重視する人
・日記として書く人
もちろん、どれもアリですが、私自身は検索エンジン経由で長く読まれる記事に価値を感じています。
狭い視野で目先の変化に一喜一憂し、noteの継続を苦痛に感じる必要はありません。
それよりも、上述のポイントを意識して「自分を磨くこと」を最優先とし、自らの成長に専念すべきです。
そうすることでモチベーションの維持を目指すべきだと思うのです。
「心友」になれるnoteの交流

noteでのモチベーション維持に大事なことの一つに、交流から生まれる心友の存在もあります。
常に深く考察したnoteを書いていると、身近な友人よりも私を知ってもらえる実感があり、不思議なことに、会ったことがない人でも存在は近く感じるようになります。
この場を借りてnoteでの同級生であり、心友のお2人を紹介させていただきます。
みきともさん
先日、noteでのお友達、みきともさんと会いました。
ドイツ在住の方ですが、日本に里帰り中に、わざわざ大阪まで会いに来てくださったのです。
共通の話題が多すぎて話は弾み、気付けば4時間以上も会話していました。
みきともさんも関西人なので、会話のテンポがピッタリだったせいもあったかもしれません(笑)
さて、以前にも何度か書かせていただいていますが、私はnoteでの「有料記事」にはどちらかというと否定的です。
note社に貢献したい気持ちはあるのですが、自分の実力ではまだまだ有料化できないと思っています。
ですから有料記事を投稿したこともなければ、買ったこともありません。
しかし、後にも先にもたった一度だけ買った記事が、みきともさんのこの記事でした。
彼女の貴重な出会いと体験と、そして何より圧巻の筆力に惹きこまれて、どうしても最後まで読みたかったからです。
私がお金を出しても価値はあると無意識に判断できた作品なのです。

左の「スペシャルガール」は2007年にプロの童話作家の沢田俊子さんがマーサとみきともさんに取材されて出版されたもの。
右がそのみきともさんがnoteで有料記事にした冊子で、その続編にあたります。
こんな風に形にできる彼女のバイタリティにはあらためて驚かされてました。
実は今、私も新しくチャレンジしていることがあるので、この出会いは私にとっても大きな”追い風”となりました。
coucouさん
何度も紹介させていただいていますが、同じころにnoteをスタートし、当初から何かと助けていただいています。
この度、下記のグッズ販売の会社を立ち上げられたとのことで、私も微力ながら協力させていただきました。
送られてきたものを見てびっくり!!
なんとまぁ心づくしのオマケがいろいろ同封されていたのです。
一応、全てを載せると問題があるかもしれないので、アップするのは私が注文したもののみにします。

オマケのの数々を眺めて、つくづく絶対に会いたいと強く思いました。
お電話で話したことはあっても、まだ一度もお会いできていないのです。
きっと積もる話がありすぎて、会話が止まらないことは容易に想像できてしまいますが(笑)
noteでの交流はネット上とはいえ、その先には存在するのは”生身の人間”です。
その方々とのリアルな出会いや推し活の共有ができることは、大いに継続の秘訣の1つとなります。
前項のまとめに加えて、心友の存在も大きな支えになり、モチベーションの継続には欠かせない栄養素です。
とはいえ私自身も、やっと悟りの第一段階でまだまだ道半ば。
時には数字が気になることもありますし、思うように書けず落ち込むこともあります。
それでも5年続けてきて思うのは、他人と比べるより、自分が昨日よりも少し成長できたかを見つめる方が、はるかに楽しいということです。
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