生まれ変わった大阪市立美術館で特別記念展
大阪市民にはお馴染みの「大阪市立美術館」は、現・天王寺公園の中にあり、住友家の本邸跡地に昭和11年5月に開館されました。
戦火をくぐり抜けた貴重な建築物ですが、老朽化もあり約2年5か月をかけた大規模改修工事を終え、今年3月1日にリニューアルオープンしました。
これを記念して、日本はもちろん、中国や朝鮮の作品など、普段は一堂に目にする事のない名品や珍品の数々が1ヶ月間のみ展示されています。

この機会に、私も久々に足を運びました。
天王寺界隈は私にとって「庭」のような存在ですが、実際のところ改修工事がいつ始まったのかは把握していませんでした。
確かに以前は「重厚」と言えば聞こえは良いものの、どこか古びていて暗い印象がありました。
しかし今回、そのイメージは完全に刷新され、新たな姿へと生まれ変わっていました。

今回は両サイドに増設された
ガラス張りのエントランスからの入場です。

記憶に残る「草原の王朝 契丹展」
過去に何度が訪れていますが、特に、今から13年も前の2012年の「契丹展」での感動は今も忘れられません。
唐の滅亡直後の中国北部の遊牧民族による「契丹王朝」は、916年から約200年続いた王朝ですが、日本では平安時代の中期から後期にあたり、まさしく昨年の大河「光る君へ」で描かれた「藤原時代」でした。
それを今あらためて思い出しながら比較すると、その文化の違いに驚くとともに感慨深いものがあります。
正直、中国史を含めた世界史は当時も苦手ではありましたが、その異様で生々しい展示品の数々に終始圧倒された感覚を、再度思い出しながら訪問しました。
財閥や著名人らによる
コレクションが集結

当館の展示作品は資産家たちの独自の審美眼による収集品が寄贈されたもので、多種多様な作品が揃っています。
その全てが個性的だからこそ、今回の名品・珍品による256点の展示が可能となりました。
以下は館内の説明展示パネルによる主な寄贈者の詳細を要約したものです。
カザールコレクション
ウーゴ・アルフォンス・カザール(1888~1964)スイス
貿易業のかたわら日本文化を研究し江戸~明治期の特に「蒔絵」を中心に数千点の漆作品を収集。
第二次世界大戦の開戦に備えて、疎開先のアメリカに持参しようとしたが、時局的に叶わず当館に避難させた。
その外国人による希少な日本美術作品は、彼の没後に寄贈された。
田万コレクション
田万清臣(1892~1979)
弁護士・大阪市会議員・衆議院議員
妻の明子氏とともにご夫婦で仏教美術を中心に東洋美術品を広く収集。
東大寺の「不空羂索観音像」の宝冠の化仏が盗難に遭い、犯人グループは田万氏に売却しようとし、警察に通報して取り戻した。(昭和12年)
また、法隆寺の金堂火災においては、当時の工事責任者の弁護を無償で引き受け、「無罪」を勝ち取っている。(昭和24年)
文化財保護法制定のきっかけとなった。
山口コレクション
山口謙四郎(1886~1957)
関西信託(現・三菱UFJ銀行の母体)社長で関西実業界の重鎮。
自ら研究して収集した石造彫刻、青銅器、陶磁器などの立体造形の中国美術品が中心。
阿部コレクション
阿部房次郎(1868~1937)
東洋紡績(株)社長、大阪の実業家。
主に中国書画をコレクション。
辛亥革命(1911)で中国の文物は世界各地へと流出した時、彼を含めた関西の実業家たちがこぞって買い付けた。
生前、再び流出することを危惧していたが、没後彼の子息により当館へ一括して寄贈することで護られた。
小西家伝来・尾形光琳関係資料
尾形光琳の息子・寿市郎の養子先、銀座役人の小西家に伝えられた名品。
光琳の生家、高級呉服商「雁金屋」の図案集、光琳直筆の下絵・画稿・書状など。
全てが重要文化財。
住友コレクション
冒頭でも触れましたが、当館は15代・住友吉左衛門友純の本宅跡に建設。
その子息、16代・友成氏が父の遺志を引き継ぎ、「関西邦画展来会」を開催するにあたり、上村松園や北野常富ら日本花壇の代表画家たちに制作依頼し、終了後に寄贈。
私にとってタイムリーな仏教美術

なんと驚いたことに作品は撮影OKでした。
とはいえ、あまりにも多くのジャンルと点数で、観るだけでもなかなかの重労働のため、とても全てを撮ることはできません。
仏像の首
第二会場に足を踏み入れると、仏象の頭部がずらりと並んで、まるで「晒し首」のようだったので、たじろいでしまいました。


これらは中国、山西省の天麓山石窟や雲岡石窟、河南省・龍門石窟などの仏像の頭部です。
中国の時代別に見てみると、上図で一番古い「南北朝」では口角が上がっていわゆるアルカイックスマイルですが、次の「髄」のものは無表情です。
日本でアルカイックスマイルの仏像と言えば、やっぱり法隆寺のものが浮かびますが、この南北朝時代の影響を受けたようです。
というより、仏師の鞍作止利は渡来人だと伝わりますが、朝鮮か中国かは解っていません。
これら仏像は中国から朝鮮を経由して入ってきたと仮定すると、中国の少し時代遅れの仕様なのかもしれません。
そして不思議な事に「唐」時代に入ると、ちょっとヨーロッパか中近東?風の顔立ちになっているようにも感じます。
それだけ人々の活発な出入りがあったという事か?それとも製作者がヨーロッパ人なのか?
世界史は得意ではありませんが、仏像の顔立ちの変遷を一堂に目にすることができ、とても感慨深いものがありました。
石造「四面象」
中国 南北朝(西魏)時代(6世紀中期)
その中でも、胸が高鳴ったのは、石仏彫刻類でした。
まるでインドや中国に存在する岩盤をくりぬいた「石窟寺院」の彫刻のミニチュア版のような精緻さに目を瞠りました。
これらは石柱の四面に彫刻されたもので釈迦の入滅に関しての一連の流れを刻んでいます。


①釈迦三尊像
日本とはまた違うのかもしれませんが、脇侍は文殊菩薩(左)と普賢菩薩(右)でしょうか?その両サイドは「力士」と解説文がありましたが、そうは見えないのですが💦
何よりも足元に座る獅子たちが、トイプードルのようで可愛いと思うのは私だけでしょうか(笑)
中央で鳥?を捧げているのは猿でしょうか?
②アショーカ王施土因縁
アショーカ王が、神々しい光を放つという釈迦が使用していたといわれる鉢に土を捧げ入れる様子。遺骨を入れるため?
③釈迦の涅槃
涅槃とはすなわち「入滅」の事。
釈迦の臨終シーンを切り取った一枚であり、法隆寺の五重塔にあるものと同じシーンなのですが、こちらは弟子たちではなく女性たちで、嘆く様子がド派手すぎますね。
④弥勒菩薩三尊像
脇侍は大妙相菩薩(左)、法苑林菩薩(右)?
釈迦の入滅ストーリーを、過去:阿弥陀如来、現在:釈迦如来、未来:弥勒菩薩の、それぞれ人々を救済する「三世仏」の名シーンです。
法隆寺のものと違うのは、きっと中国から朝鮮を経由して伝来したため、どこかで解釈が変換されたのかもしれません。
それとも伝来後に独自に変化したのかも。
その他の作品


尾形光琳のものはなかったのですが、その弟の乾山のものはありました。
私は上図で左下の鍋島焼が好きです。
宝珠や剣、軍配などのバックは「青海波」という帯模様の事で、日本古来の伝説的な宝器類とスッキリした縞模様との取り合わせとは、かえってモダンさを感じます。

いずれも非常に手の込んだ品です。

佐伯祐三はやっぱり暗い…。
今回の展覧会の目玉・「羽人」はどこだろう?
もしかして見過ごしてしまったかと心配になった最後の最後に、今回のトリを飾って出口ギリギリのところにご登場です!

第一印象は、とにかく小さいという一言に尽きます。
履歴書が添えてあるところがウケました(笑)
それによると、今年、当館の広報担当になったそうです。
羽人は俗称で、本名は「青銅鍍金銀仙人」です。
中国・後漢時代(1~2世紀)のもので 、驚くことに世界に3体しかいない超貴重な美術品との事。
一番の特徴は尖った耳ですが、中国の仙人はこんな宇宙人みたいな姿なのですね。
いや。もしかしたら本当の宇宙人だったりして💦
履歴書にも「羽はないけど飛べます」と明記していますが、本来は「羽衣」と呼ばれる鳥の羽の衣をまとい漢方キノコの一種である「霊芝」を持っていることが、中国での仙人の一般的な姿だったそうです。
中国では太古から本気で「不老不死」を求める風潮があり、それが徹底していたので、むしろ「信仰」に近いものがあったようです。
だからこそ、この羽人は当時の人々の願望が具現化されたものだったのでしょう。

【参考】
・「美をつくし」大阪市立美術館コレクション(図録)
おまけの余談
気候が春めいたせいか、所要とお出かけで忙しく、note投稿が追いつきません💦
レポート記事はおいおい順番にアップするつもりです。
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