60代からの豊かな人間関係とは
ふと思うのですが、もし世の中に自分しか存在しなかったら、人間関係に悩むことはないのではないか。 劣等感も悲壮感も、ましてや孤独感も感じないのではないか。
人が持つ全ての「悩み」は他の誰かと比べるからこそ生まれ、俗にいう平均的、一般的、あるいは普通というのも、自分以外に多くの人の存在があるからこそできてしまったカテゴリーではないか。
人と比較してできた「平均的な枠」からはみ出た人間を、自他共に蔑んでしまうのも、多くの人々の平均値を無意識に基準として捉えて、先入観を持つことによるものだと思います。
しかし残念ながら、世の中には自分以外に多くの人々が存在しているからこそ「社会」が成り立っています。
だとすれば、その多くの人々のうち誰と関係性を深めるべきかしっかり見定める必要がありそうです。
今回は自分へ向けての戒めや教訓として、人間関係をどのように構築してゆくべきかをまとめてみました。
「不適応思考」を持たないために

たとえば、仏教が説く「煩悩」の中に、特に人間関係に悪影響を及ぼす「三毒」というものがあります。
貪ーむさぼりの心
瞋ー怒りの心
癡ー愚か・無知
必要以上に欲を出したり執着したり、何か気に入らないことがあるとすぐに怒って攻撃したりすることがあります。
また、最も重要な点として、物事の本質を理解できず、自分勝手な判断から誤った考えにとらわれることです。
これらはすべて否定的な感情を生み出す「不適応思考」とされており、人間関係を円滑に保つためには、これらを克服する必要があります。
二分割思考
あらゆる物事に白黒を付けてしまい両極端にしか考えられない。
曖昧さやグレーゾーンを認められない思考です。
過度の一般化
物事の一部だけを知った段階で結論を出してしまう。
全体を把握せずに、限られた情報だけで全てを判断する思考。
勝手な解釈
他人の言動を一方的な解釈で全て悪く取ってしまう。
相手の心を深読みしてしまい勝手に判断してしまう思考。
べき思考
~すべき、~しなければならない、などの自分だけの思い込みに固執。
自分だけのルールに縛られてしまい、柔軟性を欠く思考。
いかがですか?
どれか一つくらいは、どなたも心当たりがあるのではないでしょうか?
結局、これらすべての考え方は、自分自身を追い込むだけなので、気付いた時には早めに手放すべきなのです。
集団の中で上手く生きてゆくために
とはいえ、私たちは人生において常に何かしらの集団に属しています。
学校や会社はもちろんのこと、私の場合、子育て中はママ友仲間などもそうです。
そのような集団から脱線しないよう常に気をつけていると、どうしても「不適応思考」が生まれやすくなります。
それは、社会の中の集団からはみ出してはいけないという思考が、根底に深く根付いているからかもしれません。
特に子育て中のママ友関係では、我が子に直接影響が及ぶ可能性もあるため、安易に自己主張をすることはできません。
とはいえ、防御線を張らなければならない場面もあるため、時には主張が必要になることもあり、その匙加減は非常に難しいものです。
リスクや因果関係が全くない間柄では気軽に言いたいことが言えるのですが、学校では仲間外れにされるかもしれない、会社では出世に影響するかもしれないという不安が頭をよぎり、つい心の中でブレーキをかけてしまうことが多いのが実情です。
「不真面目」のすすめ
曖昧上等!
グレーゾーン大歓迎!
いい加減も結構!
そもそも人と関わっていく過程で、自分や他人を物差しで測り、正確に捉えるなんて不可能なのです。
特に昭和世代の私は、集団の規則の中で育ってきたため、端から「不適応思考」を植え付けられるような教育を受けてきたように思います。
「真面目にコツコツ」が美徳であるかのように思わされ、そのカテゴリーから外れることを「悪」だと信じ込んでしまったのも無理はありません。
しかしある時、「どうでもいいか」「そういう事もあるよね」という曖昧で無責任ともいえる捉え方に思考を変えるだけでとても楽になった事がありました。
当然ながら一人一人外見も中身も違うのだから、どうせ人間関係など解決しないと思ってしまえば、いい加減で不真面目に生きる事が、実は最も有意義であるように思えてきたのです。
提唱!還暦までに人間関係を見定める

現役世代の多くは、無理をしながらも表面的には「真面目」に生きざるを得ないのが現実です。
しかし、長い社会生活でさまざまな経験を積み、失敗を重ねていく中で、50代に差し掛かる頃には「力の抜きどころ」を見極める感覚が身についてくるのではないでしょうか。
単なる仲良し関係は一時的なまやかしであり、「本当の人間関係」とは何かについて、自分なりの答えが固まりつつある時期だったように感じます。
集団の中でも
自分のルールは捨てない
百歩譲って、自分が変わることはできても、周囲の他人や環境を変えることはできません。
変えられないことに労力を費やすのは時間の無駄です。
そうした場合は、諦めて完全に受け流すか、距離を置いて離れるのが最善でしょう。
「諦める」は、明らかに見て「先を悟る」というポジティブな意味です。誤ったルールの中にこそ、自分自身の「本当のルール」に気付くきっかけが潜んでおり、それをむしろ感謝の気持ちで受け入れるべきなのです。
その捉え方次第で、悲観的にも楽観的にも解釈でき、結果的に人生に与える影響も大きく異なってきます。
自分にとってプラスになる関係とは
先述した通り、物事を曖昧かつ無責任に捉えてみると、おのずと人間関係は整理されてきます。
逆に言えば、シンプルに自分が無理なく付き合える人だけの関係が残ってくるはずです。
それこそが「プラスになる人間関係」です。
何も優れた人と付き合うのではありません。
・自分は気を遣わずに自然体でいられるか。
・相手も無理をせず自然体でいるか。
・お互いが率直に意見を伝え合えているか。
理想は、どちらかがどちらかにリードされるのではなく、対等な立場を保てる関係が望ましい。
それが、付き合っていく上でお互いにプラスの相乗効果を生むことにつながるはずです。
大事にしたい人間関係の基準
60代からは、人生経験を活かした深い対話が可能となり、それまでに培った信頼関係も存在します。
また、社会の第一線で活躍していた時代とは異なり、お互いの間に利害関係がないことも大きな特徴です。
だからこそ、若い頃とは異なる新たな関係性を楽しむべきであり、その理想の関係について以下にまとめてみました。
①お互いの価値観を認め合う
意見や興味が異なっていても、歩み寄り共感し合える関係
②成長や刺激を与え合う
趣味や学びを共有し、前向きに挑戦し続けられる関係
③安心して本音を話せる
築き上げた信頼を基に、心からの言葉を交わせる関係
無理に付き合う必要はない
特に60代以降は、違和感のある人と無理して付き合わない事も重要な選択肢の一つです。
だからこそ自分を知り、他人を知り、取捨選択できる時期でもあるのです。
同時に、人生のタイムリミットが迫っていることも意識すべきであり、プラスにならないどころかマイナスになるような関係に固執している余裕はありません。
自分にとって本当にプラスになる最良の人間関係とは、表面的な仲良しごっこではありません。
誰かの言いなりになることでも、自分に従わせることでもありません。
お互いに意見を言い合い、切磋琢磨しながら精神的に自立できる関係性だけが、唯一プラスになる人間関係だと言えるでしょう。
それこそが、真の意味での大人同士の人間関係なのではないでしょうか。
還暦を迎え、60代の今、これまでの経験を活かしつつ、残りの人生をより豊かにするために人間関係を見直し、新たな人生のステップへと進むことを考えています。
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