散ったのは「佐野の桜」だけではなかった
「何も失うてはございませぬ」
「あやつはここにおりまする」
「では、これにて。」
「それがしには『やらなければならぬこと』が山のようにございますゆえ」
城中ですれ違った時、意次(渡辺謙)が一橋治済(生田斗真)に放った言葉には、気迫みなぎるものがありました。
白々しい治済の労わりの社交辞令に、笑顔で応えた直後、素早く近付いて耳元で囁いた言葉にはとんでもない凄みがありました。
意次は息子・意知の政策を引き継いで実現させ、息子の「志」は永遠であると明言し、彼なりの「仇討ち」の決意をしたのです。
佐野の桜は咲いたのか?

佐野三左衛門 政言の屋敷の中庭には5代将軍・綱吉から拝領された桜の木があり、ストーリー中の佐野家の繁栄の象徴として描かれていました。
この桜が咲かなくなった事は、皮肉にも今回の事件を暗示したものになってしまいました。
動機は何か
1784年3月24日、江戸城内で起きた佐野政言(矢野悠馬)が田沼意知(宮沢氷魚)を斬るという事件。
そもそも、田沼政治の改革には多くの人々が不信感を抱いており、父子ともに権力を握っている状況に嫌悪感を示していました。
その世論を受けて、佐野は単なる正義感から行動を起こしたのでしょうか。
それにしてもいろいろ当時の様子を調べてみると、不審な点が多いことに気付きました。
まず、その場に居た人々が誰もすぐに止めに入らなかった。
結局、奥に座っていた大目付2人、松平忠郷が佐野を背中から羽交い絞めにし、柳生久通が佐野から刀を取り上げ取り押さえられた時には、意知はすでに三太刀浴びて致命傷を負わされていました。
この事件、佐野の「乱心」という事で処理されていますが、それも不自然です。
実際、今となっては佐野の動機は不明ですが、少なくとも「山城殿、覚えがあろう」と言いながら刀を抜いている様子からは、決して気が触れたのではなく、佐野には確固たる「理由」があった事を示しています。
直接的な原因は、
佐野が意知の頼みで佐野家の系図を貸したにもかかわらず、返却されないこと。
さらに、役職に就けるよう意次の用人に大金を包んだにもかかわらず、全く動いてくれないこと。
ドラマの中では主にこの2点が浮き彫りになっていますが、それ以上に黒幕の存在が明らかになりました。
やはりお前か
そう、やはりあの一橋治済(生田斗真)が裏で糸を引いていましたね。
実際、この佐野政言の所業を見ると、何者かが黒幕として関与していた可能性も考えられ、それを踏まえると、「誰が一番得をするのか」という視点から脚本家・森下さんが推測を立てたのでしょう。
ドラマ上、家治(眞島秀和)の嫡男・家基を誅殺したのも、自分の子に将軍職を継がせて、徳川宗家を乗っ取りたいという大きな野望がこの治済が持っていたのなら、その可能性は大いにあります。
事実上の斬首
佐野の切腹シーンは映像のみで描かれていました。
切腹用の刀を載せた三方(台)が、わざと手が届くか届かないかのギリギリのところに置かれ、それを取ろうと政言が手を伸ばしたとたん、介錯人の刀が振り降ろされ、脱力した下半身にカメラが切り替わりました。
まさしく首が打ち落とされた瞬間です。
カタチだけは「切腹」ですが、事実上は悪意のある「斬首」でした。
佐野三左衛門政言、享年28。
菩提寺の徳本寺での葬儀には家族は謹慎中のため参列もできず、その後、佐野家は断絶です。
史実では詳細はわからないですが、あくまでもドラマ内では、御三家・一橋の権勢拡大のために使い捨てにされたにすぎません。
世直し大明神
驚いたことに佐野政言が意知を斬った翌日から米価が下がり始めたため、世間は彼を「世直し大明神」と崇め、同時に田沼親子を悪者としました。
しかし実際には、米価が下がった理由は田沼意知の発案によるもので、父・意次が商人から米を買い上げ、江戸に集めた政策の結果でした。
皮肉にも、斬られた側である意知の功績だったのです。
つくづく世間の風潮は恐ろしいもので、真実を見ようともせず、勝手なこじつけで佐野が神として崇められたのです。
そういう意味では、たとえ「偽りの花」であっても、「佐野の桜」は咲いたことになるのでしょうか。
一瞬咲いたかのように見えたその花が、実は権力者によるものであったことに、佐野はあの世で気付くことができたのでしょうか。
つい「忠臣蔵」と比べてしまう
ここでまったくの余談ですが。
この一件、これより約80年も前の有名な「忠臣蔵」に似ていると思ってしまいました。
それは元禄15年(1702)旧暦12月14日に起こった吉良邸への「赤穂浪士討ち入り」です。
事の発端は江戸城内で浅野内匠頭が吉良上野介に斬りかかり、浅野は即日切腹、吉良はお咎めなしという幕府の裁定でした。
そもそも、「喧嘩両成敗」と定められていたのに、一方的に殿中で抜刀した事だけを採り上げて、よく吟味しなかった幕府が悪いのですが、なぜか浅野の家臣たちは吉良へ矛先が向いて仇討ちを果たすというお話で、忠義の篤い家臣の美談として今に伝わっています。
しかし。
私は全くそうは思いません。
よくよく考えてみたら、殿中で刀を抜いて、しかも上司であり自分の教育係でもある吉良へ切りつけたのは浅野です。
吉良に日頃からイジメられて、心神喪失で不安定になっていたとされていますが、そのあたりもどこまでが真実なのか怪しいものです。
もしかしたら吉良は今でいう熱血指導官だったのかもしれない。
それを浅野が悪く取り、不満が募ったのかもしれない。
正義は吉良にあったのかもしれない。
俗にいう「赤穂浪士討ち入り」は、当の家臣たち自身にはそこまでの気概がなかったとしても、世間が「吉良が悪・浅野が正」と決めつけ、その流れで仇討ちへと導いたように思われます。
城内にあった吉良邸を本所へと大きく移転させたのも、世論が「仇討ち」を広めたことを受け、警戒して遠くへ追いやり、言ってみれば「好きに仕返ししてくれ」と言わんばかりの幕府側の措置でした。
これもまた世間の勝手な「思い込み」がいつしか「真実」へとなってしまった出来事だったのです。
私は以前から「忠臣蔵」の話が嫌いです。
その理由は、事件を起こした浅野が悪いにもかかわらず、周囲の人々がこぞって吉良を悪役として定着させ、討ち取る方向へと話を進め、それをさらに賞賛するという作られた流れを強く感じるからです。
このような話を単に「忠義の物語」として受け止めることは、私には到底できないのです。
今回の「べらぼう」での事件に関して言えば、田沼意知(宮沢氷魚)が吉良、佐野政言(矢野悠馬)が浅野に相当し、誤解や思い込みによって双方が不幸になるという点で、まるで同じ状況ではないか。
前途有望な施政者の素質を持っていた意知は不幸ですが、斬った佐野もまた不幸です。
もしこの事件がなく、意知が家督を継いでいたなら、これまで撒いた種が実を結び、花を咲かせていた可能性もあります。
そして、倒幕もされることなく、幕府はさらに発展していたかもしれません。
世間の思い込みによって、個人だけでなく幕府の命運までも断ち切られてしまったと考えると、なんともやるせない気持ちになります
情報過多の現代にも通じる教訓

さて、意知の身請けが確実だった花魁・誰袖は、精神に異常をきたし闇堕ちしてしまいました。
意知との関係は史実には存在しないため創作と思われますが、彼ら自身だけでなく、さまざまな人々の運命を狂わせる結果となりました。
この部分はエンターテインメントとして非常に興味深い展開でした
蔦重は、この一件の裏にある「陰謀」に気付き、彼にしかできない「仇討ち」を画策してるようです。
何かを出版することは確実ですが、その成り行きがどのように展開していくのか楽しみですね。
意知、いや佐野も含めて、この事件の当事者たちの名誉回復につながるのでしょうか?
最後はすっきりと拍手喝采で締めくくれるような結末を期待しましょう。
歴史は常に教訓となっている
歴史の中には、現代にも通じる教訓が数多く含まれています。
今回の「べらぼう」での一連の事件は、ネットの記事に振り回される現代人にとっても他人事ではありません。
「情報」が一度歪められてしまうと、その収拾がつかなくなる点は、今も昔も変わりません。
インターネットが存在しなかった時代であっても、「人の噂」が嘘を現実に変えてしまうことを、私たちは重く受け止めるべきだと思います。
ましてや現在は情報源が飛躍的に増加し、真実を見極めることがさらに難しくなっています。
だからこそ、ネットやテレビからの情報をいかに取捨選択するか、各個人が正しい判断を下せるように、自分自身の感覚を研ぎ澄ます必要があります。
今回の「べらぼう」で、世の中がこれほど進歩しているにもかかわらず、基本的な部分では何も変わっていないことを痛感し、改めて反省すべきだと感じました。
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