未完の塔と完成された仏ー観心寺で感じた楠木正成の無念
かねてより会いたかった仏さまにやっと会うことができました!
この日の見仏仲間は、偏光さんあらため岡埜由木古さん。
彼女とは春日大社・萬葉雅楽会以来なので、かれこれ約半年ぶりになります。
この日も変態同士、話題満開になりそうで、ワクワクしながら向かいました。
ネット情報では「8時半から整理券を配布」とあるので、少々ビビりながらもマイペースで10時ごろに到着しました。
見られるのは、午後になるかもしれないと覚悟を決めていたのですが、受付で渡されたのはなんと11時の回。

思ったよりスムーズな展開です!
1時間の待ち時間など、境内を少しウロウロしていれば難なくクリアできます。
気合を入れていただけに、少し拍子抜けしました。
しかし、この日の観心寺は過去に訪れた中でもかなりの混雑ぶりで、飲食系のテント売店も出ていて、境内はかなりの活気に包まれていました。
年に一度の秘仏公開だけに、この整理券システムのおかげで、無駄に並ぶことなく計画的に境内を回れました。
境内散策で出会ったもの

小学生の頃の遠足に始まり、何度か訪れている観心寺ですが、今回で初めて見るものがありました。
格式高い意匠の「恩賜講堂」

過去に2回は拝観したはずですが、まったく記憶がありません。
初見のように感じるのは記憶障害でしょうか(笑)
昭和3年(1928)の昭和天皇即位大典のために京都御所に建てられた饗宴場で、その翌年にこちらに下賜されました。

天井は格式高い「格天井」。
東大寺正倉院の宝物にもよく見られる空想の花「宝相華」が一面にあしらわられ、息をのむほどの威厳を感じます。
重文だらけの「霊宝館」
展示されている仏像はほとんどが重要文化財。
そして平安時代の作だとされていますが、額中央にあるはずの丸い「白毫」が無い像が多いのです。
経年劣化で欠落したような跡も見られないし、かといって飛鳥~奈良時代の古像ならともかく、平安期の作であれば当たり前にあるはずだと、不思議に思いました。
これらはどういう理由なのでしょう。
例えば私イチオシの法隆寺「百済観音」は古い時代の作で、宝冠を被っているため白毫が省略される一例だと思われます。
このように意図的な簡略化であれば理解できるのですが、ここにある像からはそうした意図が感じられません。
この謎も、いつか解ける日が来ればいいなと密かに思っています。
楠木正成の思い「建掛塔」

お堂ではなく「塔」です。
その名の建掛とは「未完」のこと。
元々は、河内国の英雄・楠木正成の発願で三重塔を建立する予定が、1336年に討ち死にしてしまったため、1層のみで建設がストップされたとのことです。
いやいや。
本人の死後、彼の意志を継ぐ者はいなかったのか?!
大楠公と称されて、徳川光圀をはじめ、幕末には吉田松陰や横井小楠など、歴史上の知識人に崇拝された人物なのに、なぜ完成しなかったのか。
写真右奥の朱塗りの「金堂」と比べてもかなりの格差を感じ、かやぶき屋根の小さな姿には田舎豪族らしい正成の素朴な一面が表れているように思えます。
一途に後醍醐天皇への忠誠を貫いて、人生を閉じた正成。
それだけに、この未完の姿にはやるせなさを覚えます。

感激!その建掛堂西側の扉が開かれ、「大日如来」を拝むことができました。
ただし全面開放ではなく左側のみなので、どうしても斜めからの拝観になります。
~こういうところも「未完」さを感じずにはいられません~
印相は智拳印なので、「金剛界」の大日如来だとわかります。
真言密教のご本尊は本当にかっこいい!
王冠や印相に漂う威厳は、他宗派とは一線を画すものがあります。
空海の掲げた思想のスケールと自負が、そこに表れているように感じました。
観心寺の最大の特徴!
7つの星塚 厄除けめぐり

観心寺は日本唯一「北斗七星」を境内に祀るところとされています。
弘法大師・空海がここを再興する際、金堂のご本尊・如意輪観音の周囲に星の名を付けた七つの塚を配置しました。
いわば通常の曼荼羅ではなく、「七星如意輪曼荼羅」なのです。
それらを巡ることで、すべての災いを除く”八方除け”として信仰を集めています。

今回初めて、岡埜さんと真面目に巡拝してみました。
どうせ大したことはないと軽く考えていたのですが、4番と6番は短いながらも急峻で、しかも一部には手摺もなかったので、思いのほかスリルと体力を使いました。

手摺もないようなところでは、写真を撮るゆとりもありません。
しかも手摺も少々グラつくので、完全に頼ることはできません。
足元も悪いので、油断すると危険です。

各塚はご神木を朱塗りの玉垣で囲んだもので、正面には真言がカタカナで記されています。
それを唱えながら手を合わせます。
宗教や仏像は好きなくせに信仰心のない私。
それでも願いや感謝が届くのでしょうか(笑)
念願の如意輪観音

境内を回っているうちに、金堂拝観の11時が近づいてきました。
すでに100m以上の列ができていて、「時間指定なのになぜ並ぶのか」と思っていたのですが、中に入って納得しました。
歩きながらゆっくり進んで鑑賞するのではなく、椅子に座って住職の説明を受けながらの拝観だったのです。
ですから、良いポジションを確保するためには早めに並ぶ必要があるわけです。
とはいえ、後方でも説明は十分聞こえますし、椅子は外陣のみなので、最前列でも内陣越しになるため、距離感は大きく変わりません。
それなら直射日光の下で並ぶ方が大変かもしれません。
ダブル国宝

ご本尊の如意輪観音も国宝なら、安置されている金堂もともに国宝です。
弘法大師・空海が、高野山の真北に位置する当地に「七星如意輪曼荼羅」が立体的に配置されたのは808年。
なんと今から1200年以上も前のことです。
ご本尊も同時期の作と推定されていますが、現在の金堂は南北朝時代₍1346〜1370年₎の建立。
ここに約500年の差があります。
その間、どこに安置されていたのか?
新たな興味が生まれるのですが…
観心寺自体は役行者により701年に開創されたそうなので、きっと当時存在した中心的なお堂の中に安置されていたのでしょう。
信じられないほどの彩色の美しさ
一目見て驚いたのは、いまだに色が鮮やかに残っていること。
像高は約110㎝で、榧の1本作り。
全身に彩色が残り、衣の文様は判別しづらいものの、ふくよかで柔和な印象です。
「六臂(6本の手)」、右膝を立て両方の足の裏を合わせる「輪王座」、顔をやや右に傾けて右手を頬に当てる「思惟手」。
さらに宝珠、数珠、蓮華、法輪など衆生を救うためのアイテムを持っています。
穏やかな表情と衆生を救おうとする姿は、典型的な如意輪観音の神々しさに満ちていました。
↓↓↓お姿はこちらをご覧ください。
それにしても1200年もの間、よくぞここまで保存されていたと驚きを隠せません。
制作当時はどんなに華やかだったか、想像してしまいました。
御朱印は、この日は直書きではなくあらかじめ用意された特別御朱印でした。

如意輪観音のおられるところ~すなわち「金堂」
やっぱり楠木正成主役の大河を切望する

今回の訪問で、しつこいようですが楠木正成を主役に大河ドラマを制作してほしいという思いがさらに強くなりました。
↓↓過去にも熱く語っています。
同行した岡埜さんいわく、
「この時にまともなのは正成だけ」
という言葉に、私も大きく同意しました。
たしかに正成の忠誠心は正義あるもので美談として語られ続けていますが、全ては後醍醐天皇のわがままのせいではないか。
この「忠誠心」こそ、後醍醐天皇は利用したに過ぎず、楠木一族は滅んでしまいました。
私は現代人で、本当の意味で当時の武将の真意は理解できていないのかもしれません。
少なくとも正成のまっすぐな思いを、利用されたように感じてしまうのです。
朝廷が二分した南北朝を描くのは難しいのかもしれません。
しかし北朝が主権を取り現代に続くには、この時期に滅んだ武将たちの悲哀もしっかりと描くべきではないでしょうか。
1991年の「太平記」 で、足利尊氏のライバル、盟友として、人間味あるキャラクターを武田鉄矢さんが好演しましたが、これはあくまでも脇役。
しっかり正成を中心に据えた物語を描いてほしいと、切に願います。

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