大奥(PTA) 第十七話 【第三章 鷹狩り】
【第三章 鷹狩り】
<大奥総取締>
「下にい、下にい」
安子様と常磐井様は、その先触れの声のする方向に恐る恐る目をおやりになると、そこには驚くべき光景が広がっておりました。
御行列の先頭は番組与力(ガードマン)がお守りし、その後に馬廻役(執事)に御仕えされた見事なお駕籠(リムジン)が続きます。御刀持ち、槍持ち、箱持ち、具足持ちなどがその後に続き、それはそれは立派な御行列で御座いました。
行列の主らしきお方がお乗りになっているお駕籠は、贅沢な漆塗りの家紋入りの長柄に、乗用部の引き戸には網代張りを施し、側面は黒の梨地塗で仕上げられている、目にも眩しい見事な男駕籠に御座いました。
この様な見事な大名行列を前にすれば、江戸の民の習いとして自ずから低頭し、平伏姿勢を取らざるを得ません。
平伏した頭を動かさぬよう細心の注意をお払いになりながら、安子様は常磐井様に小声でお尋ねになりました。
「この行列は一体、どなた様の御列に御座いますか?」
常磐井様はお答えになられます。
「この御列は上様(PTA会長)の御行列に御座います」
安子様と常磐井様は、上様(PTA会長)の御一行が一通り過行くのを低頭したまま遠目に見送ると、今度は、上様のそれとは異なる優美さの女駕籠(ポルシェ)が行列に続いてゆくのを目にされました。
こちらは最上位の高級女官がお使いになる青漆塗に天鵞絨が施された御駕籠で、女乗物らしく蒔絵で源氏物語の葵の巻を意匠にした優美な外観で有りながら、物見の窓の青海波の簾から柔らかな光が差し込み、乗り心地は如何ばかりかと羨まれる見事な御乗物に御座います。
「大奥総取締 鷹司信子様のお通りい」
先触れの声が響きますと、安子様は常磐井様にお尋ねになります。
「恐れながら、こちらの女駕籠にお乗りの大奥総取締とは、一体どの様なお方に御座いましょう?」
「大奥総取締と申しますのは」
常磐井様がお答えしようとしたその時、御行列は山門をくぐり、安子様と常盤井様が畏まっている参道を通り過ぎようとしておりました。お二人はますます頭を低く、お声を小さくしてお話を続けられました。
常磐井様は安子様にお答えになられます。
「大奥総取締(PTA筆頭副会長)と申しますのは、この寺子屋の大奥(PTA)を実質取り仕切る、大変重きお役目に御座います」
「なんと、それは上様(PTA会長)のお役目ではござらぬのか?」
安子様が驚いてお聞き返しになると、
「いいえ。本寺子屋の大奥(PTA)では、代々、上様(会長)はこの町を取り仕切る名士のご子息の殿方がお勤めになり、実際の大奥(PTA)の諸々雑多なる御用向きは、大奥総取締(PTA筆頭副会長)のおなごが勤める習わしとなって居るのです」
常磐井様はそうお答えになられました。
そうこうして居るうちに、御行列の一行は参道を進み、本堂近くの車寄(駐車場)に着かれると、ゆったりと御駕籠をお停めになられたのでした。
大奥総取締(PTA筆頭副会長)の鷹司信子様は、車寄(駐車場)にお停めになった女駕籠(ポルシェ)から上品に、かつ颯爽と降りて参られました。
お姿は、最高位の女官らしく、きちんとした紅縮緬の間着を付け、紅、白、紫のお色が見事に染め分けられた贅沢な友禅帯をお付けになり、その上には絹の白綸子地に撚金糸で梅の木をあしらった、大変優美な御打掛を羽織っていらっしゃいます。
信子様はゆったりとした所作で、参道で畏まって居る安子様と常磐井様の方へ歩みを進めて近づいて参ります。
山門近くの祠に架かる柘榴の木の艶の有る葉の緑色が、雲間に広がって来た水無月(6月)の青空に照り映えて美しく、そればかりか所々に緋色の柘榴の花が鮮やかに咲き誇り、信子様の誇り高き凛としたお姿に、大変ふさわしい御光景にございました。
信子様は、畏まっているお二人の前で歩みをお止めになると、こう仰られました。
「そなた方は、御吟味方のお二人と伺っております。お勤め大変ご苦労様に御座います」
信子様はゆったりと、それでいて威厳有る態度で安子様と常磐井様にお辞儀をすると、このようにお続けになられました。
「ところで……。御鷹場(グラウンド)の御陣張りは、そなた方の御作業と聞いておりまする。もう御陣(テント)は出来ておりますのかえ? 上様がお待ちにござりますぞ」
信子様の有無を言わせぬその詰問口調にたじろぎながらも、常磐井様はお答えします。
「申し訳御座いません。たった今石積み作業が終わったばかりでして、これから御陣(テント)張りに向かうところで御座いました。今直ぐ向かいます故」
安子様も常磐井様と共に、信子様に深々と頭をお下げになりました。
<おのこ>
その時に御座います。齢七つほどの小さなおのこが山門を抜けてこちらへ向かって駆けて参りましたのは。
そのおのこは、山門の脇の柘榴の木の下でお話をしていらっしゃる大人方を見て確かめると、こう叫びました。
「お母様! お母様! 花子が大変でございます。急ぎ御匙(病院)へ。常磐井醫院へ来て下さいませ」
「なに? 太郎、花子が如何した? お父様が見ておいでだったはずでは?」
安子様は、半泣きになって駆け込んで込んできた太郎君にこう仰ると、御自身も不安で目が眩む様な思いになられたのでした。
太郎君はまだ数え七つなので、気が動転していることもあり、うまく説明する事がお出来にならないようでした。
太郎君と安子様のご様子を見かねた常磐井様が、努めて冷静にこう仰いました。
「太郎君、花子様がいらっしゃるのは常磐井醫院でお間違い無いですね」
小さい太郎君は常磐井様の目をご覧になり、こくりと頷かれました。
「安子様、常磐井醫院は私の実家です。橋を渡ってまっすぐ行って、銭湯を右に曲がって直ぐの所に御座います。今すぐ行ってお上げなさい」
安子様は何やら混乱したご様子でこう仰いました。
「え、ご実家に御座いますか? ええと、ええと、ここは……。御陣(テント)張りは如何致せば……」
「そんな事を仰っている場合では御座いません。御陣張りなど私が他の方々とも合力して何とか致しますから、早くお行きなさい。ときに、太郎君」
太郎君はおろおろしながらも精一杯気を張って、常磐井様に「はい」とお答え申し上げます。
「父が……、常磐井醫院の御匙(医師)が、今対応しているのですね」
と、常磐井様がお尋ねになると、
「はい」
と、太郎君はお答えします。
「ああ、父がいる時で良かった。安子様、太郎君。さあ早く。私は御陣張りが終わりましたら、直ぐに駆けつける事に致しましょう」
「分かりました。色々とかたじけのう御座います」
安子様は、慌てながらも丁寧に常磐井様にお礼を言い、大奥総取締の鷹司信子様にも御一礼をし、こう仰いました。
「さあ太郎、急ぎましょう。来た道は分かりますね」
安子様は母親として気を確かに持たなければと御自分に言い聞かせ、太郎君の御手をお取りになりそのまま駆け出そうとなさるものの、胸の内は花子様の身が案じられ、怖くて足がすくんでおしまいになり、太郎君も、握った母の手を通してその震えを感じ取りました。
「お母様、大丈夫。私が付いています。醫院はあちらです」
七つの太郎君は、安子様の目を見てこう仰ると、ぎゅうとお母君の御手を握り返し、幼いながらもしっかりと母を守ろうとしていらっしゃるようで、まこと健気なことに御座いました。
太郎君より力をもらった安子様は、ご自分の肩に、あの鮮やかな緋色の柘榴の花がひとつ、ぽとりと落ちたことにもまるでお気付きにならないほど、無我夢中で山門に向かい駆け出されました。
「くれぐれも御足元にはお気を付けになるのですよ」
常盤井様のそのお言葉を、安子様は背中で微かにお聞きになったので御座います。
次章に続く

