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大奥(PTA) 第二十話 【第四章 青梅】

【第四章 青梅】


<牧野の倅>

 赤鬼先生は話をお続けになります。
「牧野のせがれ悪餓鬼わるがきでなあ。子供の頃、しょっちゅう近所の子と喧嘩しちゃあ、擦り傷だらけになって、良くここでてやったもんだよ」

 その時に御座います。
「御免下さい! 御免下さい!」
 と言う大声がして、安子様と太郎君たろうぎみが息を切らせて診察室に走り込んでいらっしゃいました。

「私が、牧野花子の母に御座います! 花子は、娘は無事で御座いましょうか?」
 普段は大変おっとりされて居る安子様の、この様な激しいお声を聞くのは初めてであると、初島様はお思いになりました。

 それを聞いて赤鬼先生は、
「ああ、娘さん青い梅を誤食しちまった様だが、なあに心配無い。全部吐かせて胃のを洗浄して置いたから、暫く安静にしといたら直ぐに良くなるよ」

「ああ……。それは。それは良かった。皆様に何とお礼を申したら良いか……」
 安子様はほっとして涙ぐみながら、張り詰めていた緊張の糸がほどけた様にその場に座り込まれました。
「ほんにまあ。本日ほんじつは、確かに子供たちを夫に頼んで家を出たつもりで居りましたのに……」

 安子様が仰ると、赤鬼先生は安子様の顔色をご覧になり、さえぎる様にこう仰います。
「ああ、あんた顔色が悪いよ。話なら大体この人から聞いたからさ」
 と、初島様をご覧になると、こうお続けになりました。
「お母さん、先ずは落ち着いて、娘さんの側に居てやんなさい。あっちで寝てるからさ」

 安子様は赤鬼先生が指差した方向をご覧になると、衝立ついたての奥に敷かれた小さな布団の上で、青ざめた顔色で、かすかな寝息を立てて眠っている花子様の姿を見つけ、そちらへ崩れる様に駆け寄ったので御座います。

 赤鬼先生のおっしゃる通り、安子様は身重みおもの身で、御心労もあってか、青白いお顔をされておりましたが、苦しそうに身を横たえて居る花子様の小さなお顔をご覧になりながら、嗚呼ああ、もしこの子の身に何かあったなら、わたくし後生ごしょうまで後悔にさいなまれる事だったでしょう。この子の母であるこの私は、例えどんな事が有っても、この子の身を守らなくてはならないのに。例え大奥(PTA)のお勤めとは言え、数え三つ(二歳)の我が子から、片時も目を離してはいけなかったのだ、と悔やまれました。

 安子様は、花子様のお側に付いて、お顔や汗を拭かれたり、苦しそうな御様子の時は、優しくお声をお掛けになり看病なさいました。

 半刻はんとき(一時間)ほどそうしておりますと、先程まで息も絶え絶えだった花子様のお目々めめがぱっとひらき、
「おかあたま! おかあたまだ!」
 と、嬉しそうに仰いました。

「おかあたま、お水。のど乾いた」
 と、花子様はお母君ははぎみにお水をねだられました。安子様は御自身が此処へいらした時分よりも、花子様がずっとお元気になられた御様子をご覧になり、ほっとしたお気持ちでお水を取りに立ち上がられました。

「お水を一杯頂きますね」
 と、診察室の方に向かって一言お声がけをなさると、 安子様は醫院いいんのお勝手かって(台所)で茶碗に水を注がれました。

<常盤井様>

 その時、
「ただいま戻りました」
 と言うお声とともに、裏口の木戸きどががらりと開いて、常磐井ときわい様がお戻りになられました。

常磐井ときわい様、本日は本当に。なんとお礼を申したら良いか」
 安子様が常磐井ときわい様に仰ると、常磐井ときわい様はかぶりを振って、
「とんでもない。困った時はお互い様ですよ。御陣ごじん(テント)張りの方は、事情を話しましたら、白線引きが終わった別の御係おかかりの方々が合力ごうりきして下すって、思いのほか早く終わらせる事が出来ました。そんな事より花ちゃんは?」

 常磐井ときわい様がそうお尋ねになると、安子様は、
「青い梅を誤って齧ったようで、でも、先生の御処置のお陰で何とか持ち直して、今お水を欲しがったので、こちらに。済みません、勝手に」

「良いの、良いの。そう。大事なくて良かった。とにかく水、お水を早く持ってって上げて」
 常磐井ときわい様に促されると、安子様は、
「はい」
 と仰り、お勝手かってを出て、診察室の衝立ついたての奥で横になって居られる花子様の所に水を持って行かれました。

<看病中間(看護師)>

 その間、常磐井ときわい様はお着替えになり、しばらくのち、花子様の所へ御様子を見にいらっしゃいました。
「すっかり元気になった様ね。もう少し安静にした方が良いとは思うけれど。そうそう、先生が予後よごについてお話があると仰っています」

 白いほおかむりと割烹着かっぽうぎを身に付け、てきぱきと御説明なさる常磐井ときわい様のお姿は、立派な看病中間かんびょうちゅうげん(看護師)のもので御座いました。

  花子様はお水を飲まれて落ち着かれたのか、すやすや眠っておしまいになりましたので、大人方おとながた太郎君たろうぎみは、赤鬼先生の居られる診察室にお集まりになりました。

「初島様、本日は大変お世話になりました。あなたは花子の命の恩人で御座います。お礼の言葉も御座いません」
 安子様が目に涙をお溜めになり、初島様にお礼を申し上げますと、初島様は、
「いいえ。当然の事をしたまでです。お母様もいらして、花子ちゃんも少し落ち着かれた様で良かった。そうそう、そろそろ牧野の奥方様の所へ参らなければ。青梅あおうめの騒動で気が動転されてお倒れになられて、屋敷でお休みになっていらっしゃるので」
 と、心配そうに仰いました。

「お義母様かあさまの事なら、嫁の私が」
 と、安子様が仰ると、
「いいえ。お母様が花子ちゃんに付いて居なくてどうするの。ここは私にお任せ下さい。では参りますね」
 初島様は頼もしい笑顔で安子様にこう仰ると、木戸を開けて診察室をお出になられました。

「いやあ、ちったあ落ち着いた様で良かった良かった。もうしばらくして歩ける様になったら家に戻っても良いから。しかしまあ何だ、このぐらいの子は、きちんとは歩かねえから、おぶって帰ると良い。明日は何処にも出さねえで、じっと寝かせとくんだよ。水分はまめに良くんなさい。柔らかいもんで食べたがる物から少しずつ食べさせて」
 良く使い込んで手摺てすりの擦り切れた座椅子ざいすにお掛けになって居らっしゃる赤鬼先生が、こう仰いました。

「ああそうだ、あんた牧野さんの奥さんだよね。牧野のせがれなら、今時分なら多分あれだ、あすこに居るはずだ」

#創作大賞2024 #ホラー小説部門


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