大奥(PTA) 第十六話 【第三章 鷹狩り】
【第三章 鷹狩り】
<御鷹狩(運動会)>
御鷹狩(運動会)御手伝いの日、六月廿六日、当日と相成りました。いつ雨粒が落ちて来るかも分からぬ様な、どんよりとした曇天に御座いまして、安子様はこれでは明日の御鷹狩(運動会)が無事行えるものかどうかとご心配になられました。
寺子屋の御鷹場(グラウンド)に御集合との事でしたので、安子様がそちらに足を運んで見ますと、太郎君と同じ新入学のお子様方が、卯月(四月)の御入学後間も無くに種を植えてから、手塩にかけて育てて参りました朝顔の鉢々が並んで居るのが目に留まりました。そちらは今はほんの小さな蕾を付けて居るばかりで御座いましたが、その後ろの竹垣に、植えても居ない昼顔が蔓を回し、一足お先に桃色の小さく可憐な花々をぽつぽつ咲かせて居るのがまた、おもしろい景色に御座いました。
「あ、またお会いしましたねえ」
安子様はどなたかにお声を掛けられて昼顔から目線をお上げになりますと、そこには丈立ちの高い常磐井様が、すっと立って居られました。
「常磐井様も、鷹狩お手伝いに御座いますか?」
安子様がお尋ねになりますと、
「ええ。息子が文をもらって来ましてね。それはそうと安子様、本日御作業も有る様ですが、お小さい方々は如何なされましたか?」
と、常磐井様は心配されてこう仰いました。
「本日は土曜に御座います故、主人は表(会社)がお休みでして、花子も太郎も主人に預けて一人でこちらに参る事が叶いました」
安子様はそのようにお答えになりました。
常盤井様はお答えします。
「それならば安心でございますね。本日は、力仕事もございましょうから、恰好も、ほらこのような」
常盤井様は、地味な無地の木綿の単衣に、結んだ帯が背中に付かない、まるでお末の奥女中のような動きやすい出で立ちをしていらっしゃいます。襷で御袖をぐいと上げて背中で結んでおり、ご自分の肩に食い込んだ襷に親指を掛けて、笑顔で安子様にお見せになりました。
「私も似たような恰好にございますわ。本日は張り切ってご奉仕しなくてはね」
二人とも、もとより働くことは御嫌いではないようで、しかも此度はお子様方が待ちに待っておられる御鷹狩(運動会)の御準備ですから、そのご表情は存外明るいものにございました。
安子様はご集合の場所へと向かおうと、懐から太郎君が上級生から渡された例の文を取り出すと、その様子をご覧になり常盤井様はこう仰いました。
「ああ、そのお文ね。うちの息子もお伝の方様のご子息から渡されたのですよ。御目見得以上(PTA運営委員)以下(その他の委員)を問わず二名、とありますから、その二名は御三役の方々でもよろしいはずなのに、どういう訳だか我々二人がお手伝い要員として指名されてしまったと言うことにございましょう。あとの方々は一体……。まあ、考えても詮無きことなれど、嗚呼、何となく解せぬものにございますなあ」
「ほんに。まあまあ、本日はお弁当も有りますから楽しみだわ。干瓢に握り飯と言った簡単なものにござりますれど」
気を取り直しましょう、といった具合に、安子様は笑顔でお答えになりました。
「さて、皆様お集まりでしょうか?」
爽やかな新緑の水木の影から、若い殿方のお声が聞こえました。
「あ、はい。御吟味方からは二名、こちらに揃っております」
安子様と常磐井様は、声を揃えてお返事なさいました。
他の御係のお手伝い人足も、そこに集められておりました。
「きゃああ、御師様! 生島先生に御座いますう」
側で黄色いお声が上がりましたので、安子様と常磐井様が振り返られると、例の御入学の儀のお役決めの折には、あの様にしかめ面で吹き矢を吹いておりました御組取締(クラス委員)の御三人衆では御座いませぬか。御組総取締(クラス委員長)の春日様、御錠口の瀧山様、御右筆の江島様が、本日はどう言う訳か色めき立って居られます。
流石に女子としてはしたないとお思いになったのか、御三方が小声で何か囁き合っております。
「ああ、何と言う目の保養。まこと、美男であることよ」
その様なおなご達の黄色い声はお聞こえにならなかったか、或いはこの様な事は平素よりお慣れになっていらっしゃるのか、その若い御師様(教師)は恬淡としてこう仰ります。
「皆様、本日は御鷹狩(運動会)お手伝いに御足労頂き、誠に有難う御座います。馬場(駐輪場)の小石拾い、御座所(役員席)の御陣(テント)張り、御鷹場(グラウンド)の標張り(ロープ張り)、白線引きなど諸々作業がございます。
川原に近い一角に臨時の馬場(駐輪場)を設けますので、そこは小石等拾って整地が必要です。そちらの御吟味方(選出委員)のお二人にはこの御作業と、大奥(PTA)取締方(本部役員)の御座所(役員席)の御陣(テント)張りの御作業をお願いしたいのですが、日和見(天気予報)に詳しい御師様(教師)のお話では、本日朝方小雨が降るかも知れず、昼過ぎには晴れるだろうとの事で御座いまして、張った御陣が濡れぬ様、先ずは馬場の石拾いを四ツ半(午前11時)迄にお願いできますか? 終わられたら御陣(テント)張りの御作業をお願いいたします。
その他の皆様は御鷹場(グラウンド)の標張り(ロープ張り)、白線引きなどの御作業をお願いいたします」
その眉涼やかな若い御師様(教師)は、他のお仕事もお忙しいので御座いましょう、御説明を終わられると何処かへ駆け出して行かれました。
安子様と常磐井様は、臨時の馬場(駐輪場)へ行き、小石拾いを始められます。ただここは普段は馬場(駐輪場)として使っては居ない上に、なかなかに広い範囲に御座いますゆえ、かなりの大石も御座いまして、拾い集めるだけでも難儀なものにございます。まずは一か所に石を集め、その後三貫(約12kg)ほど入る桶に移し、女手二人で定められた場所に、四ツ半(午前11時)迄に運び終わらなくてはなりません。
<身重(みおも)>
そうこうしているうち、朝からのどんよりとした雲から冷たい俄か雨がぱらぱらと落ちてまいりました。
安子様は身重の身に御座いますので、前屈みの姿勢で小石を拾われるのも息切れがすることに御座いましたが、生来我慢強いお方に御座います。愚痴の一つもこぼされず、半刻(約一時間)ほどただ黙々と、石を集める御作業を続けておられました。
ただ、やはりどうしてもお体のご負担が面立ちに現れておしまいになるようで、常磐井様も、安子様の息が上がり、青白い顔色でいらっしゃることにお気づきになられました。
「以前よりもしやとは思って居りましたが、安子様、やはりそなた……」
常磐井様は安子様にお尋ねになります。
「そなた、もしやお腹にお子が居られるのでは?」
安子様はお答えになられます。
「はい。今月で五月になります。そうそう、常磐井様にはてっきりもうお話ししていたと思い込んで居たけれど、まだきちんとお話しできて居りませんでしたね」
先程お二人が黙々と石をお集めになったお陰で、小石だらけだった馬場(駐輪場)が綺麗に片付き、後は隅に寄せてある小石の山を桶に移して、順に定められた場所へ運ぶのみで御座いました。その御作業を四ツ半(午前11時)迄に終わらせ、次の御陣(テント)張作業に移らなくてはなりません。
「まあ、やはりそうでしたか。これではそなたに石の入った桶など持たせる訳には参りませんね」
常磐井様が心配して仰られると安子様は、
「平素より花子をおぶって水汲みや薪運びなども私一人でしておりますもの、二人で運ぶならば、これぐらい平気に御座います。これしきの事で音を上げていたら、主婦などとても勤まりませんわ。それに、今は悪阻も落ち着いて、先日戌の日祝いも済ませ、体調も落ち着いて参りました」
と、お笑いになられました。
「駄目駄目、大事な時期には変わりが有りませんよ。そうね、どういたしましょう……。そうそう、きっと何処かに大八車(台車)が有るはず。探して借りて参りましょう」
常磐井様は大八車を探しに駆け出されました。
四半刻(約30分)ほど過ぎましたでしょうか。常磐井様が古びた大八車(台車)をお曳きになりながら臨時の馬場(駐輪場)まで戻って参りました。
「はあ、御納戸(倉庫)に行けば必ず大八車が有りますでしょう、と思い行って見ますと、鍵を持った御納戸役(用務員)様が中々見つからず、思いも掛けず時を過ごしてしまいました。四ツ半(午前11時)までには御作業を終わらせなければ成りませぬのに」
常磐井様は額の汗を拭いながらこう仰ると、早速石を積んで有る小山の横に、その大八車をお着けになられます。
大きめの石は常磐井様が、小石は安子様が大八車に積み込んでゆきます。積み終わると定められた場所へ石を下ろし、汗を拭きながらやっと御作業を終えられました。
そうこうしているうちにあっという間に昼九ツ(正午)の鐘が鳴り、定められた四ツ半(午前11時)よりかなりの時が過ぎておりまして、次のご作業である御陣(テント)張に取り掛かるべく、お二人は早足で御鷹場(グラウンド)に向かわれます。
途中、山門から本堂まで伸びる参道の辺りまで参りますと、先刻は小雨が落ちるほどの重苦しい曇天で御座いましたのに、東の空からさああ、と雲が引き、御天道様が顔を出し、雲間から山門に向かって何かの後光の様な光の筋が差し込む様がお二人の御目に飛び込んで参りました。
その時に御座います。ど、ど、ど、と太鼓の音が鳴り響き、先触れの長く伸ばした高らかなお声が、寺子屋中に響き渡ったので御座います。
「上様の、お成り」

