『Lunar New Year』は間違い?燃え上がるネット世論と中国政府の本音
先日、中華人民共和国駐日本国大使館が以下のような投稿をしました。
なぜ春節の英語表記は「Chinese New Year」であって、「Lunar New Year」ではないのでしょうか。
— 中華人民共和国駐日本国大使館 (@ChnEmbassy_jp) February 15, 2026
それは、中国の暦が単なる太陰暦ではなく、太陰太陽暦だからです。
もし本当に「Lunar(純粋な太陰暦)」の新年を祝うのであれば、太陰暦に従い、年によっては夏頃に祝うことになるはずです。… pic.twitter.com/zhq61qNlyf
何気なく「Lunar New Year」を使ってしまっている方も多いと思いますが、投稿に書かれているような「文化的起源を消し去ろうとする行為」を理解せずにしてしまっているとしたら大問題です。
なぜ中国は「Chinese New Year」という名称に固執するのでしょうか。そして、彼らが「Lunar」という単語に感じる「文化的起源を消し去ろうとする行為」という警戒感は、一体どこから来ているのでしょうか。
本記事では、この主張の背景を読み解きながら、中国側も一枚岩ではないという意外な現状を明らかにしていきます。
1. 暦法上の「学術的・科学的根拠」に基づく主張
駐日中国大使館の投稿で明確に指摘されている通り、中国側が「Lunar New Year」という表現に反対する最大の根拠の一つは、暦の科学的な正確性に関する問題です。
一般的にLunar Calendarは「陰暦」と訳されることが多いですが、イスラム暦のような純粋な「陰暦」は、月の満ち欠けのみを基準としています。そのため、太陽の運行とズレが生じ、年によっては新年が夏に移動することもあります。一方、中国の伝統的な暦は、月の運行で月を決めつつ、太陽の運行(二十四節気)と閏月を精緻に組み合わせて季節と同期させる「陰陽合暦(Lunisolar Calendar)」です。
「Lunar(月の)」という単語だけでは、この独自の精緻なシステムを正確に表現できておらず、学術的・科学的に不正確であるという主張が成り立ちます。
さらに重要なのが、「計算権威の所在」です。春節の正確な日付や二十四節気の計算は、現在でも中国の南京にある「紫金山天文台」が担っています。そこで算出されたデータが基準となっている以上、計算の権威と技術的標準が中国にあるのは事実であり、それを「中国の新年(Chinese New Year)」と呼ぶのは法理的にも妥当である、というのが彼らの主張の根幹にあります。
2. イギリス植民地時代から続く「脱中国化」への警戒
名称に対するこだわりは、単なる翻訳の正確性の問題にとどまりません。英語圏において「Lunar New Year」という名称は、歴史的・政治的な意図を持って変化させられてきたという認識が中国側にはあります。
もともと、英語文献において「Chinese New Year」という表現は1704年にまで遡ることができ、数世紀にわたって主流の翻訳でした。しかし、後に「Lunar New Year」が公式に普及し始めた背景には、イギリスの植民地政策があったと指摘されています。
例えば香港では、1967年まで関連条例において「Chinese New Year」が使用されていましたが、1968年の法改正で公式に「Lunar New Year」へと変更されました。当時は冷戦下であり、中国本土では文化大革命が吹き荒れていた時期です。この名称変更は、香港住民の中国への「文化的帰属意識」を削ぐための政治的意図があったと分析されています。
また、現代の台湾においてもこの問題は政治化しています。現在の台湾・民進党政権や中華文化総会などの関連団体は、「Lunar New Year」を積極的に使用しています。これに対し、中国政府や官製メディアは、台湾が中国大陸との文化的繋がりを意図的に断ち切ろうとする「脱中国化」の政治操作を行っているとみなし、強い警戒感と批判を向けています。
3. 中国ネット世論の過激化:「文化盗用」ナラティブの誕生
近年、この論争が国際的な炎上騒動を頻発させるまでに激化した最大の要因は、中国国内のSNS空間におけるナショナリズムの爆発です。
2000年代から2010年代にかけ、韓国の民間団体や欧米の多国籍企業、国際機関などは、アジア系住民全体への配慮(多文化共生・包摂性)を理由に「Lunar New Year」という包括的な表現を推進しました。
しかし、経済的・文化的な自信を深めていた中国社会において、この動きは「多様性への配慮」とは受け取られませんでした。むしろ、「韓国などが国家ぐるみで中国の文化を自国起源に書き換えようとしている」という、「文化盗用」の陰謀論的ナラティブとして解釈されたのです。
「我々の文化が盗まれようとしている」という危機感は、SNSのアルゴリズムによって拡散・増幅され、過激な愛国主義的同調圧力を生み出しました。現在では、SNS上で「Lunar New Year」という単語を使用すること自体が、「中国文化を売り渡す裏切り行為」と見なされる状況に陥っています。
その結果、ネット民の集団抗議による大規模な炎上が相次いでいます。
2018年:世界的モデルのリウ・ウェンがSNSで「Lunar」を使用し大炎上
2023年:大英博物館が韓国関連イベントで「Korean Lunar New Year」と表現し猛抗議を受ける
2023年:NewJeansのメンバーがファンとの交流で「Chinese New Year」と表現し、韓国国内で批判されて謝罪すると、今度は中国側から「謝罪は脱中国化だ」と反発を招く
2025年:中国の茶飲料ブランド「覇王茶姫(CHAGEE)」が海外での宣伝で「Lunar New Year」と表記し、謝罪に追い込まれる
4. 国連とUNESCOの決定がもたらした「正当性」のねじれ
この論争にさらなる複雑さをもたらしたのが、近年の国際機関による決定です。
2023年12月、国連総会は旧正月を国連の選択的休日に指定しました。この際、韓国やベトナムなど他の加盟国への配慮から、公式名称としては最大公約数的な「Lunar New Year」が採用されました。この時点では、中国側も外交的妥協としてこれを容認していました。
中国共産党機関紙 People's Daily 傘下のメディア Global Times がここではタイトルに「Lunar New Year」を使っています。
しかし、2024年12月、今度はUNESCO(国連教育科学文化機関)が無形文化遺産に、中国側の申請に基づき旧正月の社会的慣習を「Spring Festival(春節)」として登録しました。
中国のネット民はこれを、「国際社会が春節を『中国固有の文化財産』として正式に認めた」と解釈しました。このUNESCOの登録が「起源は中国にあるのだから、名称もChinese New YearやSpring Festivalで統一すべきだ」という中国内の主張に強固な大義名分を与え、Lunar New Yearを排斥する動きを強く後押しする結果となったのです。
Global Timesもこちらでは「the Spring Festival, also called Chinese New Year」と書いています。
ちなみにGlobal Times (环球时报) は2026年現在でもXで度々「Lunar New Year」を使ってネット民から怒られています。
(アメリカ政府からプロパガンダ認定されている立派な中国政府系メディアなのですが…)
A young girl returned to her hometown in Anhui Province, China, for the Lunar New Year and visited her mother’s grave. She told her late mother she had earned six academic awards this year, then added tearfully, “It doesn’t really feel like the awards matter to me… you can’t… pic.twitter.com/OXnFltKReM
— Global Times (@globaltimesnews) February 13, 2026

5. 外交とネット世論の間に揺れる「中国政府のスタンス」
Global Timesの例からも分かるように、「Lunar New Yearは誤りであり、使用を禁止する」というトップダウンの明確な外交文書が出されているわけではないようです。
中華人民共和国外交部(Ministry of Foreign Affairs of the People’s Republic of China)のサイトでは2026年現在でも「Lunar New Year」を使い続けています。


政府系機関、官製メディアの対外向け発信を見ると、今でも「Lunar New Year」や「Chinese Lunar New Year」という表現を使っていることが多いようです。そもそも「Lunar」という表現が学術的に間違っているという主張なのであれば「Chinese Lunar」でも間違いです。
Aerial drone photos taken on Sunday show a view near the south gate of the ancient city wall of Xi'an during a lantern festival in Xi'an, Northwest China's Shaanxi province. A lantern festival is held here to mark the upcoming Chinese Lunar New Year. pic.twitter.com/Ctr05e1iy1
— China Daily (@ChinaDaily) January 6, 2026
China Dailyのような官製メディアがわざわざ「Chinese Lunar New Year」というまどろっこしい表現を使わざる得ないところに複雑な状況が見て取れます。
実は中国政府自体は「Lunar New Year」の呼称問題で余計な対外的な摩擦を生みたくないというのが本音なのではないでしょうか。中国政府にとってより重要なのは、自国民からどう見られるかです。中国国内では英語は使わないですし、使う場合でも「Spring Festival」表記が一般的なので「Lunar New Year」か「Chinese New Year」かは問題にならないのです。
ではなぜ冒頭で紹介した中華人民共和国駐日本国大使館は「文化的起源を消し去ろうとする行為」のような強い表現をしてしまったのでしょうか?
これは以前問題になった駐大阪総領事の「戦狼外交」と同じ構図に見えます。
「Lunar New Year」を使うと本国のネット民から非難されるという炎上リスク、「Chinese New Year」を使えば愛国的だと評価されるというインセンティブが働き、強い忖度が生じやすくなります。そのような環境の中で、愛国的な中国ネット民 (と注目を集めるために敢えて親中国的な言動をする国外インフルエンサー) に触発された在外公館のSNS担当者がちょっとイキってしまった結果なのかもしれません。
今後、中国国内での声が大きくなった場合には中国政府も本格的に反「Lunar New Year」に舵を切る可能性があります。来年の「Chinese Lunar New Year」にどのような変化があるのか注目です。
まとめ
「Lunar New Year」と「Chinese New Year」の呼称をめぐる論争は、単なる英訳の妥当性に関する問題ではありません。
中国側の主張は、紫金山天文台の計算に基づく「陰陽合暦」という科学的・技術的根拠、イギリス植民地時代や現代台湾における「脱中国化」への反発という歴史的文脈、そしてUNESCOによる無形文化遺産登録という国際的な承認によって構成されています。
しかし実態を見れば、中国外交部や王毅外相を含む政府の公式対外発信は、今も「Lunar New Year」を使い続けています。「呼称問題」を公式な外交政策として推進しているわけではないのです。
この論争を過熱させているのは、SNS上で増幅されたナショナリズムと、それに影響されて愛国的な言動に傾きがちな現場組織の忖度です。
「Lunar New Year」をめぐる騒動は、中国政府の意図的な文化攻勢というより、ネット世論と外交現場の間で揺れる統制しきれないナショナリズムの縮図と言えるかもしれません。
