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新作前にMCUスパイダーマン三部作復習🕷ピーター・パーカー虐の振り返り( ;∀;)

新作『スパイダーマン:ブラン・ニュー・デイ』の公開前に、トム・ホランド版スパイダーマン三部作を見直し🕷️


『スパイダーマン:ホームカミング』
『スパイダーマン:ファー・フロム・ホーム』
『スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム』

改めて三本続けて観ると、明るくておしゃべりな高校生ヒーローが、作品を重ねるごとに順調に曇っていくシリーズだったなと思う。(;´Д`)

ご近所ヒーローから始まり、アベンジャーズに憧れ、加入して「エンドゲーム」にまで参加したのに……。

ピーター・パーカー虐の三段活用映画でもある。

以下三作品すべてネタバレありです










『スパイダーマン:ホームカミング』

『シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ』で華々しくデビューした、トム・ホランド版スパイダーマン。

ニューヨークでご近所ヒーローをしていたところを、トニー・スタークにスカウトされ、アベンジャーズ同士の内輪揉めに突然投入された高校生である。
もっとも、あの時はキャプテン・アメリカ側と戦う人材不足で強制徴用された感じでもある。

ピーター本人としては、「あの」アベンジャーズの一員になったつもりでいる。
ところが、その後は世界を救うような依頼も来なければ、トニーからの指示もない。

自転車泥棒を捕まえたり、道案内をしたり、近所の人にチュロスをもらったりする鬱屈した日々から物語は始まる。

せっかくすごい力を持っているのだから、もっと大きなことに使いたい。
けれど、正体がバレるのは困るし、メイおばさんに知られれば当然止められる。

世界を救える力を持っているのに、悩みの中心はごくごく半径三メートル。

この、巨大な力と高校生らしい狭い生活圏のアンバランスさが、トム・ホランド版スパイダーマンの面白さでもあり、今後ずっと続いていく苦労の始まりでもある。


憧れの女の子とホームカミング・ダンスへ行きたい
告白して、できれば恋人同士にもなりたい。

そう考えると、本作はとても健全な青少年の青春映画でもある。

ところが、その彼女の父親が敵のヴァルチャーだった。
玄関扉を開けて正体に気づいた瞬間は、ピーター虐の中でも群を抜いていやらしい。

彼女と一緒に撮る写真で、ピーターの顔は完全に硬直している。
彼女の父親を前に緊張している高校生に見えなくもないが、そのガン見はさすがにバレますよ、ピーターさん!と思ってしまう。
実に見事な場面である。

トニー・スタークにはまともに取り合ってもらえず、窓口役のハッピーもまるでやる気がない。
それでもピーターは、自分が正しいと思ったことを貫く。

そのために、好きな女の子の父親の罪を暴く。
しかも、ヴァルチャーを倒すだけでなく、最後には命まで助ける。

罪を憎んで人を憎まず。
未熟で、判断を誤ることも多いけれど、ここでのピーターはきちんとヒーローだった。
そして、その行動が小さいながらもヴァルチャーの心に残っていたことは救いだった。

ただし、その代償として、好きな女の子は転校していく。
あの別れの切なさがひどい。

スパイダーマンは最終的にMJと結ばれなければならないという、世界の強制力が発動したようにも見える。
シリーズの予定調和のために、ピーターのささやかな初恋が静かに処理されていく。

ヒーローとしては正しかった。
高校生としては、あまりにも悲しい(ノД`)・゜・。

そして、ヴァルチャー役がマイケル・キートンなのも、絶対に『バットマン』を意識しているだろうと思ってしまう。

かつて黒いマントで夜空を飛び回った男が、今度は黒い翼を背負ったヴィランとして現れる。
(さらに『バードマン』だし)

しかも彼が立ちはだかる相手は、まだ正義を疑うことを知らない、純粋で真っ直ぐな少年ヒーローである。
巨大な黒い翼で空を覆うヴァルチャー。

マイケル・キートンの映画史まで利用して、光と影を並べてくるMCUのしたり顔を感じる。( ̄ー ̄)



『スパイダーマン:ファー・フロム・ホーム』

『アベンジャーズ/エンドゲーム』後の物語

ピーターにとってヒーローとしての指針であり、父親のような存在でもあったアイアンマンこと、トニー・スタークは、もういない。

世界もまた、指パッチンによって消えた人々が五年後に戻ってきたことで混乱している。
高校生たちの間でも、消えた人と残された人の年齢がずれ、生活は何事もなかったようには戻らない。

それでも、新しい日々を始めなければならない

そんな中、ピーターが望んでいるのは、ヒーロー活動でも世界の平和でもなく、学校のヨーロッパ旅行でMJといい感じになりたいという、やはり半径三メートルの願いである。

ところが世界は、傷心の高校生を休ませてはくれない。

ヴェネツィア、プラハ、ベルリン、オランダ、ロンドン。

タイトルどおりホームから遠く離れたヨーロッパを転々としながら、ピーターは半ば強制的にヒーローを続けさせられる。
旅行というより、だんだん欧州ドサ回りに見えてくる。

そこへ現れるのが、別世界から来たヒーローを名乗るミステリオである。

映画館で最初に観たときは、トニーを失ったピーターの心の穴を埋めてくれる大人が現れたのだと思った。
ピーターの話を聞き、苦しさを理解し、無理にトニーの後継者にならなくてもいいと言ってくれる。

よかったね、ピーター(ノД`)・゜・。
ようやく、自分の気持ちをわかってくれる人ができた。

……と思っていたら、トニーから託されたAI眼鏡をさっさと渡してしまう。
ちょっと迂闊じゃない・・・?


そして案の定、悪い人でした(*ノ><)テヘッ

完璧な流れではある。

ミステリオは、トニーの不在によってできた穴に入り込み、ピーターがいちばん欲しかった言葉を与える。
だからこそ、裏切りがただの敗北ではなく、ピーターの心をさらに曇らせる。(´°ω°`)↯↯

このシリーズ、ピーター・パーカーを曇らせることに関してだけは手加減がない。


本当にピーターを見ていた大人は、もっと近くにいた

オランダのチューリップ畑まで迎えに来るハッピーである。

トニーの遺した技術を奪われ、自分の判断で多くの人を危険に晒し、ミステリオにも騙された。
ピーターはすっかり自信を失っている。

「僕はトニー・スタークじゃない」

そう口にするピーターに対して、ハッピーは、トニー自身も迷い続けていたことを伝える。
ミステリオはピーターの中にあるトニーの穴へ入り込み、自分こそ新しい導き手であるかのように振る舞った。

けれど、ハッピーはトニーの代わりになろうとはしない。
ピーターを息子のように扱うのでもなく、盟友だったトニーの姿をピーターの中に見つけている。

飛行機の中で、ピーターが新しいスーツを作る姿を見ながら、ハッピーが嬉しそうな顔をする場面が好き。
(*´ω`*)

あの瞬間、ピーターはトニーの真似をしているわけではない。
迷いながら、自分のやり方で立ち上がろうとしている。
ハッピーは、その中にトニーと同じものを見ている。
トニーの後継者ではなく、トニーが信じた少年を信じてやる。

ミステリオが言葉でピーターの心へ入り込んだのに対して、ハッピーはただ迎えに来て、隣に座り、必要なものを用意する。
この控えめな支え方が、とても良い。


とはいえ、本作が描いているのは、ピーター個人の喪失と再生だけではない。

ミステリオは、実際には存在しない脅威を映像で作り出し、それを倒す英雄まで自作する。

人々が見ているのは事実ではなく、ドローンによって作り出された、もっともらしい物語である。
そこにドローンと特殊映像だけで、あそこまで完璧な幻影を作れるのかという疑問はある。

あるけれど、ネット上で虚実の入り交じった情報が拡散され、印象だけで人が英雄にも悪人にもされていく世界の風刺としては、かなり露骨である。

ミステリオは、真実を支配したのではない。
人々が信じたくなる映像を支配した。
ヒーローを求める世界の声に呼応した、日陰者たちの復讐でもあった。

最後には、自分を倒したスパイダーマンを悪者に仕立て、ピーター・パーカーの正体まで世界中へ晒していく。

一度は信じた相手を、自分の手で倒さなければならなかっただけでも心が病みそうなのに、最後の最期まで自分を憎み、人生を壊す仕掛けを残していた。
嫌らしい最後っ屁である。

やっとMJとデートできるような生活が来たと思ったのに!
がんばれ、ピーター・パーカー。。゚(゚´Д`゚)゜。

最近『ちいかわ』の映画を観たばかりなので、ピーターが理不尽に孤立されて頑張る物語に放り込まれるちいかわに見えてくる。




『スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム』

前作の最後、ミステリオの置き土産によって、ピーター・パーカーの正体は世界中に暴露された。

大変なことになった!!(;´Д`)

……はずなのだけれど、問題は意外とピーターの半径三メートルに収まっている。

世界中から命を狙われるわけでもなく、アベンジャーズ級の大事件になるわけでもない。
いちばん困っているのは、ピーターのせいでMJとネッドまでMITに不合格になったことである。

でも、高校生にとっては十分に重大な問題だ。

自分のせいで友人たちの進路まで壊してしまったとなれば、どうにかしたいと思うのもわかる。

そこでピーターは、Dr.ストレンジに助けを求める。

えっ!?(;´Д`)
スターク社の力を使えば、風評被害の検証も、MITへの口添えもできるでしょう。
正攻法を使わずに、魔法の力を使おうとするのが迂闊すぎではないのか。

物語を作るために愚かになってしまう現象。

Dr.ストレンジもドラえもんばりに、ピタ太君のお願いを聞いてくれる。

「助けて~、みんなに正体を忘れてもらいたいよ~!」

「過去は変えられないが、記憶を消す魔術ならできるYO」

「やったー!」

では、世界中からピーター・パーカーの記憶を消しますネ!

「待って待って!MJとネッドは除外して!」

んも~、しょうがないなあ、ピタ太くんは。

「あとメイおばさんも!」

んも~~。( ⸝⸝>⤚<)プンプン

世界規模の魔術を発動しながら、除外リストを後出しで追加し続ける二人。
一度、指差し確認から指導した方がいい。

結局、魔術は失敗し、時空に穴が開く。
二人の適当さで世界が危機に瀕している。

そこから別のユニバースにいたスパイダーマンのヴィランたちが、この世界へやってくる。
まあ、そりゃそうよと心の岡田彰布も呟く。
それくらいのザルさである。


やって来た他ユニバースのヴィランたち

彼らを元の世界へ戻せば、待っているのは死である。

だからピーターは、彼らをそのまま送り返すのではなく、悪の原因を「治療」してから帰そうとする。
映画の中では、とても善良で正しい行いとして描かれている。

けれど、映画館で観たとき、私はここに少し引っ掛かった。

元の世界へ送り返せば死んでしまう罪人たちを、こちら側の価値観に合わせて治療し、善良な存在へ変えてから帰す。

罪を憎んで人を憎まず、なのはヒーロー物として、わからなくもないけど、その構図は移民の強制送還や、同化をめぐる問題と重なって見えてしまう。

社会の役に立つ、良い移民になれば受け入れられる。
そういう条件付きの慈善にも見える。
しかも、「悪を治療する」と言いながら、本人の人格を変えることになるのなら、それは治療なのか、洗脳なのか。


ピーターの善良さは本物である。

けれど、善良であることと、正しい結果を生むことは同じではない。
シリーズでは、ピーターが関わることで隠れていた問題が明るみに出る一方、そのせいで犠牲も増えていく。

今作は特に、発端からかなり自業自得である

もう少し考えてから行動していたら・・・。
そう思わずにはいられない。

だからこそ、別世界からやってきた二人のスパイダーマンが、ひどく大人に見える。

トビー・マグワイアとアンドリュー・ガーフィールド💓
映画館で観た時、もう一度この二人のスパイダーマンを大きなスクリーンで観られるとは思わなくて興奮した( *´艸`)

ソニーとMCUをめぐる大人の事情も透けて見えるし、使える版権を全力で使い切ろうとしている感じもある。

それでも、三人のスパイダーマンが同じ画面に並ぶと、細かいことはどうでもよくなってしまう。

こまけえこたぁいいんだよ!☆d(´∀`*)
そんな強制的なパワーがある。

アンドリュー版スパイダーマンがMJを救う場面などは、過去作を観てきた人間に対する、あまりにも強いご褒美ね。
救われてよかった(ノД`)・゜・。。。。。。

と、思うんだけど、その一方で、それぞれの世界の結末を改変してよいのかという疑問は残る。
すでに死んだヴィランを、改心した状態で過去へ戻したら、そもそもの事件は起こらなくなるのか。

それなら過去作そのものがなかったことになるのか。
時間はどこへ戻るのか。
ヴィランが復活するなら、死んだ人間も復活するのか。
グウェンやMJの運命まで変わるのか。
興味は尽きない。

たぶんそこまで細かくは考えていないとは思うのね。
そう思うと、何でもアリのマルチバース概念を使いすぎてしまったようには思う。

「戻したら死んでしまう」とヴィランたちの命を救おうとした結果、メイおばさんが死ぬ。

そして彼女は、お約束の言葉をピーターに残す。
「With great power comes great responsibility.」

この言葉を伝えた者が死ぬのは、もはやスパイダーマン世界の呪いである。
責任という名のダモクレスの剣を、ピーターの頭上に吊るして去っていく。

メイおばさんのリベラル頭お花畑ぶりは本当に良かったの?と考えてしまうところではある。
それでも腐らず恨まずいれるのかと、突き付けられる。
自業自得とはいえヒーローなんてなるものじゃないと思わされるのよねえ。。(;´Д`)


最後には、MJもネッドも、世界中の誰もピーターを覚えていない。
アベンジャーズに憧れ、トニーの後継者にされかけ、仲間と家族に支えられてきた少年は、すべてを失った。

『ホームカミング』では、アベンジャーズの一員になりたかった。
『ファー・フロム・ホーム』では、トニーの後継者にされかけた。
『ノー・ウェイ・ホーム』では、名前も仲間も帰る場所も失い、ようやく誰にも所属しないスパイダーマンになった。

三作かけて、やっと孤独な“親愛なる隣人”(Friendly Neighborhood)のピーター・パーカーが完成したとも言える。
隣人愛の具現化たるスパイダーマンこそ現代に必要なのかもしれない。

だから新作『スパイダーマン:ブラン・ニュー・デイ』は、新しい物語であると同時に、ようやく始まる「本来のスパイダーマン」の第一話なのかもしれない。

大学生になったピーターが、今度こそ少しは大人になっていることに期待したい。

……とはいえ、ピーター・パーカーなので、たぶんまた曇るヨネ。( *´艸`)楽しみ


黒いスパイダーマンもどこかにいるかもしれない・・・。
ゲームへの目配りもあったのかな(´∀`*)ウフフ


( *´艸`)アメスパも大好きデス。


東映版は呼ばれなかった・・・ネ。。。( ´∀` )
歌かっこいい。

絶対産まれていないはずなのに、知ってるのは再放送をみたからなのかな。
最初これがスパイダーマンだと思っていたので、トビーマグワイア版でロボットがいつ出てくるのかワクワクしていた私です(∀`*ゞ)

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