映画「ハウス・オブ・ダイナマイト」ーこれは訓練ではないー
恒常性バイアスの先に ―
突然、アメリカ本土に向けて発射された1発のICBM。
発射位置は不明。
着弾まで、あと20分。
その知らせが、アラスカの軍事基地からホワイトハウス、国防長官室、そして大統領へと伝わっていくーー
「これは訓練ではない」――
そう宣言されても、誰もが現実をすぐには受け止められない。
そんな“もしも”の20分を、視点を変えながら三度描く。
末端の兵士から中枢の政治家へ徐々に情報増してトーンが変わる。
その構成がうまい。
観客はまるで巨大な組織の中に取り込まれ、混乱の渦の一部になっていく感覚を味わう。
本作、設定はかなり刺激的だが、やっていることは意外と地味だ。
司令室、会議室、報告書、電話。
画面に爆発も派手な演出もほとんどない。
会議室や司令室映画好きなので、憚らずいうなら最高に面白い(*‘∀‘)
人間の恒常性バイアス―「まさか自分には起こらない」と思い込む癖――が見事に描かれている。
象徴的な冒頭の空気
お菓子を食べながら勤務し、警備員は形だけの荷物検査をこなす。
靴の中になにか入っていても通れてしまう。
これがハッカーだったら?とボケた日々をみて思う。
ミサイルアラートが鳴っても
「また北朝鮮が日本の上空を超えて海に打ち込んだんだろ」
そんな会話が飛び交う。
日常の中にこびりついた“慣れ”が、危機を鈍らせる。
そして、その“慣れ”を壊すのは、たった一報の
「軌道がアメリカ本土を向いた」という事実だけ。
この視点を変えて同じ時間を繰り返す構成が、“麻痺の剥がれ方”をより鮮明にしている。
同じ20分ではない。
末端では優秀な上層部の判断に期待するが、上層部も決定なんて出来ない、同じ人の子なのだとわかる。
その距離感が、人間社会そのものの縮図のように見える。
机上のやり取りばかりなのに、手に汗握る緊張感が続くのがすごい。
“まだ何も起きていない”ことを、これほどドラマチックに見せる。
時間の魔法は「ダンケルク」みも感じる。
いきなりNetflix配信嬉しいけど、映画館の大きい画面でみても良かったなぁ!と後悔しました(*/∀︎\*)
⚠️以下ネタバレあーだこーだ
物語は三部構成
第一部 アラスカ基地とホワイトハウス。
第二部 国防総省、NSA、ペンタゴン。
第三部 大統領。
カメラが少しずつ“中心”へと進むたび、判断の重さも増していく。
興味深いのは、人間の会話の不純物がどんどん露出していく点だ。
緊急会議の最中に、お菓子食べてゴメンとか、娘がいるんだとか、、、私的な話をする者。
上司への気遣いを優先して発言をためらう者。
何がなんでも攻撃したい脳筋叩き上げ軍人。
それと真っ向から反発するリベラル議員。
情報よりも感情が先走り、指揮系統が伝言ゲームのように歪む。
映画の“リアル”は、まさにこの人間臭さにある。
そして、中盤で印象的なのが、南北戦争のゲティスバーグの戦いを再現するお祭りの場面。
「3日で5万人が死んだ」と説明されながら、いまやそれは観光ショーだ。
過去の死が“娯楽”に変わる。
その対比の中で、タイトル「ハウス・オブ・ダイナマイト」が意味を持ってくる。
私たちは、壁の中で爆弾の家に住みながら、その事実をすっかり忘れて“平和”を楽しんでいる。
それがこの映画の最大の皮肉だなぁと思う。
核抑止論やミサイル防衛も興味深い。
作中で言及される
「対空ミサイル迎撃の成功率は61%」
「コストは1発500億」という台詞。
命がかかると高く見えない確率に途端みえてくる。
弾丸を弾丸で撃つ確率にしたら高いと思えるのね。(;´・ω・)
今はこれが最適という専門家の声は、安心を与えるようでいて、突っ込まれたら虚ろだ。
AIの“最適解”がそうであるように、そこには感情も倫理もない。
“正しさ”はあっても、“納得”はない。
911以降、アメリカ人の恐怖の矛先はテロや内側の敵に向かっていた。
だからこそ、この映画は“外からの攻撃”という古典的な悪夢を呼び戻す。
「抑止力としての核」
「撃たないことが平和」
そんな建前が一瞬で崩れたとき、人はどうするのか・・・
実際は衛星が見逃すとか、現在ではあり得ない前提なので、あくまでシミュレーションではあるが、あり得ないことを思考実験するのは楽しい。
また、作中でも触れられるように、撃った時点で終了なので、撃つメリットがないから撃たないのもその通り。
酔っぱらって誤発射しちゃた(´>ω∂`)☆みたいなのも、アメリカの撃つまでの何重にもある手続きが、某国にもあると思うのだけど。
「あの国」ならやり兼ねない。。。があるうちは妄想できちゃうのね。
この作品はその問いを、最後まで“答えのないまま”見せる。
敵国として描かれるのは北朝鮮、中国、ロシア
アメリカからしたら遠い敵国だが、その“ご近所”にある日本は常に最前線に立たされている。
北朝鮮のミサイルもアメリカより近いのに、ニュースをみても「また撃ったのか、、、」くらいの麻痺はあるなあと思う。
映画はアメリカの混乱を描くだけで、レッドチームの視点には踏み込まない。
結局、腹を割って話そうが、外交辞令を並べようが、世界は疑心暗鬼で動いている。
武器商人が儲ける限り、均衡は壊れないように壊れ続ける。
人類には核兵器は早すぎたんだ!(;´・ω・)
“AIがいない最後の時代”の話
今作では、AIの判断は一切登場しない。
人間が報告を受け、人間が悩み、人間が決断できずにいる。
指示書の手順どおりに進めても、最後のボタンを押す瞬間だけは、宗教や罪悪感や恐怖が入り込んでくる。
そこに“人間らしさ”が残っている。
AIなら与えられた学習データとアルゴリズムの先に、最も確率の高い“最適解”を選ぶだろう。
それが人間の幸せを保証するのか、破滅に繋がるのかは、もはや問題ではない。
AIにとってそれは“結果”でしかない。
けれど、人間にとっては“選択”であり、“責任”だ。
学習データやアルゴリズムのいきつく先に破滅にならないのか。
AIは“決定”を下すが、“決断”はしない。
この映画は、AIがまだいない世界で、人が最後まで決めきれなかった時代の物語にも見えてしまう。
派手な戦闘も救いもない。
けれど観終えた後に残るのは、“判断するしかない”人間の姿の、どうしようもなさと愛おしさすら感じた。
私たちは今日も、爆弾の家に住みながら、「平和でいいね」と笑う。
描ききらない余白にあれこれ話し合いたくなる映画でした。

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