プリズム劇場#074「青い笑顔を撮った人」
こちらはラジオドラマ番組『小島ちひりのプリズム劇場』の作品を文章に起こしたものです。
是非、音声でもお楽しみください。
【standfm】
https://stand.fm/episodes/6a63734622340506b937e05f
【YouTube】
https://youtu.be/mHlmGpG7VhQ
【その他媒体】
https://lit.link/prismgekijo
「はあああ」
夕食を食べ終わり、一息吐いていると、高子が大きな溜息を吐いた。
「どうしたの、高子。そんな溜息吐いちゃって」
「藤川さんと喋ってたら疲れちゃった」
高子は今日、藤川さんと久しぶりにお茶をしに行ったらしい。
藤川さんは龍斗と尋也くんが保育園の時からの付き合いだから、かれこれ15年くらいになるのだろうか。
「藤川さんか、まあそうだろう。エネルギーの塊みたいな人だし」
「好きじゃない仕事をなんでやってるのって言われちゃった」
「好きじゃない? 牛丼屋が?」
「そうよ。好きじゃないよ」
「俺はてっきり好きなのかと思ってた」
「あなたまで!」
「実際もう何年も続いているじゃないか。別に牛丼が好きだとかそういうことじゃなくてさ、お店の雰囲気とか、業務内容とか、お客さんとのやりとりとか、そういうのが好きなのかと思ってた」
「勝手な事ばっかり言って」
「まあ、バリバリ正社員でやってきた藤川さんからしたら、パートタイムの仕事なんて理解できないだろうさ」
「藤川さん、独立するんですって」
「へえ、すごいな」
「子どもの手が離れるから、やりたいことだけやるんですって」
「なるほどねぇ。高子はやりたいことないの?」
「ない」
「ない? 本当に?」
「毎日家族のことばかり考えて来たから、自分のやりたいことなんてない」
「いいんだよ、別に。やりたいことがあったらやっても。クルーズ船で世界1周とか、お金が掛かりすぎることは困るけど」
「ない。何にもない」
「そっかぁ」
高子はポロポロと涙を零し始めた。
「私の人生空っぽ。やりたいことなんて何にもない。ただ毎日のご飯何にするかだけの人生」
高子は、自分の人生を否定するようにそう言った。
「部長の奥さんって、毎日夕飯作ってくれます?」
会社の飲み会で急に徳永がそんなことを言い出した。
「うち? 作ってくれるよ」
「鎌田さんは? 作ってる?」
「作ってはいますけど、うち、子どもいないし、それに定時で上がらせてていただいているので……」
鎌田さんが申し訳なさそうに言った。そう言えば鎌田さんは去年結婚したばかりだ。
「そっかぁ。うち、毎日炒めるだけのヤツなんですよ。火、通すだけで食べられるヤツ!」
「ミールキットってことですか?」
「そうそれ! けど毎日それじゃ飽きるんですよ。うちも作って欲しい!」
「うちは嫁さんがパートだからな。俺達の時と徳永じゃ時代も違うし」
「徳永さんが作ればいいじゃないですか」
鎌田さんが真顔で言った。
「俺! 残業時間! 45時間フルマックス!!」
「頼むから超えるなよ。ドヤされるの俺なんだから」
俺の時代はただ働くだけでよかった。女性も当たり前のように働いてはいたが、今のように男が家事を求められるような雰囲気はなかった。
高子が家事と育児に専念してくれていたおかげで、俺は何時間でも残業ができた。
お金のことで苦労はさせない。そう思っていたが、龍斗が中学に上がると、高子はパートを始めた。俺だけの稼ぎでは、家族を支えられないのだと落ち込んだりもしたが、お陰で龍斗を希望の大学に入れさせることができた。
「もしかしてさぁ、母ちゃんって料理上手?」
次の日の夕飯の時、龍斗が急にそんなことを言った。
「そうだよ。知らなかったのか?」
「え?」
俺が答えると、高子が驚いた顔をした。
「なんで母ちゃんが驚くんだよ」
「だって、お父さん別に、美味しそうにしているところ見た事ないし」
「いや、美味いよ。毎日『今日も美味いなぁ』と思いながら食べてるよ」
「父ちゃん、それは食い逃げみたいなもんだよ」
「食い逃げ?」
「タダで作ってもらってるのにさ、美味しいって言わないで黙々と食べるなんて食い逃げみたいなもんっしょ。ねぇ? 母ちゃん」
考えたこともなかった。高子の料理は美味い。俺の中で、それは当たり前のことになっていた。
掃除も上手いし、衣服の管理も完璧だ。高子がいなかったら俺はまともに仕事もできなかっただろう。
世の中にはお金にならないことは価値がないことのように思っている人もいるようだが、俺はそうは思わない。高子のして来たことは、誇り高いことだ。
もしもそれが、望んだことではなかったと言われたら、ただ、申し訳なかったとしか言いようがない。
「良かったらさ、二人で趣味でも始めないか?」
「趣味? どうしたの? 急に」
あまりにも唐突にそんなことを言ったから、高子が驚いている。
「この前、やりたいことがないって言っていたろう? だから、二人で探してみるのもいいかもなって」
「そんなこと考えてくれたの?」
「うん。何かやってみたいこととか、気になってたこととかある?」
「うーん、何だろう」
「そうだ」
俺はスマホを取り出し、AIアプリを起動した。
「50代夫婦にオススメの趣味は? っと」
すると、AIは『いきなり趣味を始めるよりも、体験教室に行ったり、散歩をしてみるところから始めるのがオススメです』と出た。
「なるほど」
「そうだネモフィラ! テレビでやってて、行ってみたいと思っていたの!」
高子は、遠足前の子どもの様に目を輝かせた。
「わぁ、すっごぉい」
次の日曜日、車を走らせ、有名なネモフィラ畑へやってきた。入り口には人が溢れかえっていたが、流石に敷地内は広く、青い空とネモフィラが視界中に広がっていた。
「キレイねぇ」
高子はそう言ってネモフィラとネモフィラの間の通路を歩き出す。
たまにスマホを取り出し写真を撮り、ベージュの帽子がピョコピョコと動く。
「高子、そこの段差に座ってごらんよ」
「ここ?」
俺は高子を花壇の縁に座らせてスマホを向けた。高子は帽子が飛ばされないように手で押さえ、楽しそうにニッコリと笑った。
「どう? 撮れた?」
高子に写真を見せると
「あら、私、とっても楽しそう」
と言って、また笑った。
20年前から変わらない、俺の大好きな笑顔だ。高子が笑ってくれるなら、次は何処へ行こうかと思った。
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