菜花の寄り道🔞 第五話

 天建寺鈴が小森乃菜花の部屋に来たのは、土曜の夕方だった。

 旦那さんの出張に合わせて、鈴が「泊まりに行ってもいいですか?」

 と声をかけてきたのは木曜のことだ。菜花は少し驚きながらも、すぐに頷いていた。

 近所のスーパーで一緒に買い物をして、二人で夕飯を作った。特にパーティっていうわけでもないので普通のご飯にしましょうとの鈴の言葉で、豚汁と、鮭の塩焼きと、ほうれん草のおひたしという健康的な献立となった。
 でも菜花にとって誰かと並んでキッチンに立つのは、思っていたより温かく感じていた。

 食事を終えて、お風呂を交代で使う。先に鈴が入り、暫くするとワンピースのパジャマ姿でリビングにやってきた。長い黒髪をアップにしてタオルで巻いている。
 入れ替わりで菜花もお風呂を済ませ、リビングに戻ると、鈴はもう菜花のソファにすっかり馴染んでいた。小柄な体が毛布にくるまって、湯上がりの頬が少し赤い。

 冷えたワインをグラスに開け、チーズやサラミ、ピクルスなどをつまみながら話は弾んでいた。

 暫くして、少し酔いも回ってきた頃、話はいつの間にか、鈴の旦那さんのことになっていた。

「うちの旦那は写真部の先輩なんですよね。私もデジカメ持ってたし、部活の紹介で楽しそうだなって。それでですね、モデルもしますよって迫っちゃいました〜」

「ま、学生ですから、あくまでも全年齢なポートレートですよ。それに、それ以上のチャンスってそうそうないですしねえ」

(……それ以上って鈴さん、ヌードモデルとかする気だったのかしら……)

「なのでそれ以上は、卒業後ですね。」

(……したんだ……)

「菜花さん、見たいですか?、少しならデータ入ってますけど」

(えええ、そんなの私が見ちゃっていいの……)

 鈴がスマホのフォルダを開く。ロックをかけたプライベートフォルダに暗号化までしているようで二度ほど何桁かのパスワードを打ち込むと、どこか古い温泉宿らしい縁側で、シルエット気味のアングルで浴衣を少し崩している鈴の姿がそこにあった。

「わぁ、鈴さん、綺麗ですね……ちょっと神秘的な感じで」

「良いでしょ〜、まあもっとあるんだけど、それは秘密ですよ、菜花さんが見せてくれれば私も見せても良いかな〜〜」

(えっと、ええーーーー、私は何を見せればいいんだろ、っていうか鈴さんの『もっと』ってやっぱりヌードなんだろうな……)

「私はもう全然その気だったから、もし求められればいつでもオッケーだったんですけどね、初めては実はこの時なんですよね。大学生になるまで、清く正しい模範的な生徒でしたねえ。我ながら」

 菜花は自分の学生時代を振り返ると、鈴に比べて随分おとなしめだなと感じていた。

「これは大学生時代に外で撮ったやつですね、って言っても夜中に、さくっと」

(あれ、この場所の背景って、私がこの前行った山の展望台じゃ……)

「こんな風にデートの度に写真を撮って、っていうか、デートがモデルになる事だったり。まあ安全な範囲で色々、あはは」

そんな会話の後、鈴は優しげな顔をして、静かに言葉を繋いだ。

「……つぎはマタニティモデル、やりたいなあ……」

 菜花は鈴の言葉に気持ちがふわっと開き、浮かぶように感じた。何か、自分の中にも、種があって、それが芽を出すような――

 話が一段落したとき、菜花はワインのグラスを両手で包んだまま、少し俯いて言った。

「……鈴さんって、怖くなかったの。最初から、そんなに真っ直ぐで」

 鈴は少し首を傾けた。

「怖いって、何がですか?」

「好きって思ったら、ちゃんと動けるじゃないですか。私、それが……ずっとできなくて」

 鈴は少し考えてから、静かに言った。

「菜花さんは、怖いんじゃなくて、丁寧なんだと思いますよ。自分に対しても、相手に対しても」

 菜花は顔を上げた。

「丁寧……」

「うん。そういう人のほうが、ちゃんと好きになれると思う。私はちょっと、向こう見ずすぎたかもしれないし」

 鈴はくすっと笑って、グラスを傾けた。菜花も小さく笑った。

 深夜、鈴の寝息を聞きながら、菜花はスタンドライトの灯りの下でぼんやりと天井を見上げた。

 一ヶ月前の自分を思う。雨の夜にドラッグストアへ寄り道して、震える指でレジを通した。お風呂で溶けるようになった。星空の下で毛布にくるまった。

 全部、一人だった。
 でも今夜、誰かの寝息がある。

(……丁寧に、か)

 怖いのかと思っていた。臆病なのかと思っていた。でも鈴の言葉は、菜花の中の何かをそっと、別の場所に置き直してくれた。

 スタンドライトを消す前に、菜花は小さく思った。

(……ちゃんと、動いてみようかな)

 それは宣言でも決意でもなく、ただ、そう思えた、というだけのことだった。

 夜は静かに、菜花の部屋に満ちていた。


 翌朝、菜花は目を覚ますと部屋を見回した。そこには既に鈴も目を覚ましてソファベッドの上で小さな体を精一杯背伸びをしている。

「おはよう、鈴さん。起こしちゃったかな、まだ寝てても良いですよ」

「あ、おはようございます……菜花さん…………

…………あのですね、えっと、さすがに私の寝ている隣で、あの……黄色のあれを……使うのは……、でも可愛かったですよ、声」

 菜花の顔が見る見る間に赤くなる。毛布を手に取ると頭からすっぽりかぶってうずくまってしまった。

「ほらほら、可愛いおしりが出てますよ、ちゃんとしまってくださいね。一緒に朝食作りましょう」

 菜花はパジャマのすそを直すと、赤い顔のままで

(誰かと住むって、こんな感じなのかな……)

とこれから出会うかもしれない、寄り道の先にあるものに胸が膨らむのだった。

――おしまい

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