褒められようという思いは、稚拙そのもの
社会人となり、それもいい大人になって、「褒められたい」という気持ちを持つこと自体、稚拙極まりないと言っても過言ではない。もっと掘り起こせば、厚顔無恥なる浅はかさが露呈するだけの話となる。
生真面目に、しっかりと自分の仕事を見つめ、ひたむきに遣っていれば、結果的に褒美は天から降ってくる。それを、両手を添えて褒美を待つ姿勢が「褒められたい」を体現しているものであり、実に情けない事である。
仕事や学びは褒められるために行うものではない。一所懸命遣っていれば、万が一、失敗したとしても褒められるのである。それが、リッツで言う「失敗は最高のオポチュニティ」として、仕事にも人生にも好循環を与えるものなのだ。
褒められるために演じるのは、実に恥ずかしい所業である。「褒められるようと思う気持ち」は自分の醜態を曝け出すだけで、何も得るものはない。得るものがあるとすれば、「信用の失墜」、「忖度」というレッテルであろうかと。
いい大人が、今も尚、「褒められたい」という思いでいると、嘲笑ものだ。自分の父親や兄弟が、仕事現場で「褒められたい」という厚かましい人間として仕事をしているとなれば、恥ずかしさを通り過ぎ、親兄弟といえども軽蔑に値する。
勿論、筆者の親兄弟はそのような軟弱な人間は誰一人もいないので幸運であると自分に言い聞かせつつ、自戒を込めての話を書き綴った次第。
そこの「褒められたい」という気持ちの強い方は、早々に、その邪念はトラッシュボックスへ入れた方が、世のため人のため、そしてご自分のためではなかろうか。(苦笑)

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