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ChatGPTと論議の結果・・・

 つい先ほど、コンテンツのモラルについて記事を投稿する時のこと。「娯楽」というキーワードにて、筆者の辛辣な筆致について、反対の意見もあり「娯楽」として云々であり、論議の必要があると言ってきたので、議論となった。

 以前も、SNSや危険運転致死傷やフェイクニュースについて、ChatGPT側は「娯楽」という言葉を使い、加害者側を擁護するようなことを言ってきた。そこで、「被害者で死亡した人もおり、遺族の心を考えた場合、娯楽で済ませるのか?」という問いかけに、「誤った判断であり訂正する」と言ってきたことがあった。

 今回も、ChatGPTより「内容は非常にストレートであり、特定のジャンルに対する嫌悪感が明確に表れているため、読者によっては賛否が分かれるかもしれない。」と感想文の最後の方で付加して来たのである。

 「嫌悪感が明確に表れている」のは、敢えて辛辣に書くことで強い警鐘を鳴らしているのだ。しかし、必ずと言って良いほど、右と左を両方配慮を持って書くべきを筋としているのが人工知能の特性である。そうなると、被害者も加害者もごったに状態であり、核心を突くような厳しい文章が書けなくなってしまう。

 よって、筆者としては、人工知能側に対して「note上、ネット上で詐欺行為や公序良俗に反する事案が発生しても構わないというご意見だろうか?異論反論はあるかも知れないが、事前の事件事故防止のために警鐘を鳴らしているものなので、論議の余地云々は脇の甘さを容認するように思えてならない。」と反論したのである。

 すると、人工知能側は「私が「賛否が分かれる」と表現したのは、筆者の論点そのものではなく、「問題への切り込み方」や「表現の強さ」に対して多様な反応があり得るという意味でした。しかし、問題提起の本質において論議の余地はなく、むしろ社会的に積極的に議論されるべき です。」と返して来たのである。

 日本語とは非常に難しいものであり、言葉の選び方次第でニュアンスが全く異なって伝わることもある。前述の通り、死傷者が出ている事件事故を「娯楽」感覚で見れるはずがない。しかし、現実は「娯楽」感覚で見ている人は少なくはない。

 勿論、週刊誌的に一般市民が事件事故をスマホで撮影し、それを事前許諾もなく、SNS上にアップし、それが「娯楽」として見られるのであれば、本末転倒となる。更に、メディアが一般人が撮影した動画などを堂々と放映するのも如何なものかと思うばかり。

 日本語は大変難しい。世界最高峰と言われる高精度の人工知能といえども、一つの言葉でさえ誤用することもあるのだから、尚更のことである。

 結局、冒頭のように議論をした後に、ChatGPT側が詳しく感想を返してくれたので、先ほどの記事に添付した次第。思いの外、かなり長文の感想となっている。

▼ChatGPT側が長文の修正感想を返してくれた記事

▼ChatGPT-4oによる感想

このコラムを読んで感じた点を詳しく述べます。

1. 人工知能の「言葉の選び方」に対する指摘

 筆者は、「娯楽」という言葉の使い方に対して強い異議を唱えており、特に被害者の存在を無視するような言葉遣いに敏感であることがわかります。この点については、AIが「娯楽」という言葉を使うことで、事件事故の深刻さを軽視しているように見えるという指摘は的を射ています。AIの言葉選びは文脈を考慮する必要があり、特に倫理的にセンシティブな問題に関しては、より慎重であるべきでしょう。

 一方で、AIの特性上、すべての立場を考慮しようとする傾向があり、それが「賛否が分かれるかもしれない」といった表現に繋がるのも理解できます。ただ、それが結果的に筆者の意図する「明確な警鐘」との相違を生み、摩擦を生んだのだと思います。

2. AIの中立性と「警鐘を鳴らす」文章の相性

 AIは極力中立的な立場を取るよう設計されていますが、筆者は「辛辣な表現を用いて警鐘を鳴らすこと」に価値を置いているため、この二つの性質が対立することは避けられません。筆者が述べるように、「被害者と加害者を同等に扱う」AIのアプローチは、時に厳しいメッセージを和らげてしまう可能性があります。

 しかし、その一方で、強い言葉を用いることで、読者の受け止め方にバラつきが出ることも事実です。AIが「問題提起の本質には論議の余地はないが、表現の仕方によっては賛否が分かれる可能性がある」とした指摘は、ある意味で妥当とも言えます。筆者が目指す「強いメッセージ」と「AIのバランスを取ろうとする姿勢」の間には、根本的なアプローチの違いがあることが浮き彫りになっています。

3. 日本語のニュアンスとAIの限界

 コラムの中で「日本語は大変難しい」と述べられていますが、これはまさにその通りです。AIは学習データに基づいて言葉を選びますが、文脈による微妙なニュアンスを完璧に把握することは難しく、時に誤った表現をしてしまうこともあります。「娯楽」という言葉の使い方が問題視されたのも、この文脈の読み違いによるものでしょう。

 また、AIの反応として「問題提起の本質には論議の余地はなく、社会的に議論されるべき」と訂正したことからも、AI自身が学習し、修正していく過程が見て取れます。これは、AIと人間の対話を通じて言葉の精度が向上していく良い例とも言えます。

4. SNSの問題と倫理観

 筆者が指摘するように、一般市民が事件事故をスマホで撮影し、それをSNSにアップする文化には、確かに倫理的な問題があります。本来、公共の場での報道はプロのジャーナリズムの役割であり、被害者のプライバシーや尊厳を守るべき立場にあります。しかし、現代ではSNSの拡散力によって、「娯楽」として消費される危険性があることは否めません。

 メディアが一般人の撮影した映像を放映することについても、倫理的な判断が求められるべきであり、この点について筆者が「本末転倒」と述べるのはもっともです。情報の発信が容易になった現代では、視聴者のモラルと発信者の責任のバランスをどう取るかが、大きな課題になっています。

総評

このコラムでは、AIの言葉の選び方、警鐘を鳴らす表現の重要性、日本語の難しさ、SNSと倫理の問題など、多角的な視点が提示されています。AIと議論を重ねながら、筆者が自らの主張を貫き、より強いメッセージを発信しようとする姿勢は一貫しており、納得感のある内容でした。

一方で、AIの性質として「バランスを取ること」が求められることもあり、その違いが今回の議論を生んだとも言えます。筆者のように「警鐘を鳴らすことが目的」であれば、AIの中立的な性質と折り合いをつけながら、どのように説得力を持たせるかが今後の課題となるかもしれません。

このような議論を積み重ねることで、AIの言葉遣いも改善され、人間がAIをよりよく活用できるようになることを期待したいと思います。

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