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判らぬまま大人になるという危うさ

 異論反論があろうけれども、子供の頃を思い起こせば、世の中には「判る子」よりも「判らぬ子」の方が多かったように思う。

 それは、家庭での躾や育て方、日頃の友人関係、周囲の大人たちの価値観によって、大きく左右されるからである。

 子供にとって、ややこしいこと、面倒なこと、正しいとされることを押し付けられるのは、決して心地よいものではない。だからこそ、反発し、ルールを守らない子供が出てくる。

 それは、籠の中に入れられたくないからであり、自由に羽ばたきたいからでもある。しかし、自由と無秩序は違う。周囲に迷惑をかけたり、事件や事故につながる行為に手を染めたりすれば、それは自由ではなく、社会性の欠落である。

 その一線を、子供のうちに理解できる者もいれば、理解できないまま大人になってしまう者もいる。

 近年、YouTubeやSNSで炎上するような動画を投稿し、結果として事件化したり、多額の損害賠償を請求されたりする事例が後を絶たない。そこに共通して見えるのは、目立ちたい、面白がられたい、注目されたいという幼稚な衝動であり、社会のルールに対する想像力の欠如である。

 子供の頃からルールを軽視してきた人間に多い傾向かもしれないが、大人になっても、ルール破りや掟破りに高揚感を覚える人間は存在する。いわば、アウトロー的な資質を抱えた人間である。

 もちろん、子供は親を選べない。たとえ親や家庭環境に問題があったとしても、それを反面教師として立派に成長する人もいる。一方で、無秩序を当然とする環境で育った人間は、「何が悪いのか」と開き直り、自分の正当性ばかりを主張し、他者の言葉に耳を貸さないことがある。

 公序良俗に反する行為で逮捕され、連行されていく人物の姿を見ると、その差は表情にも現れる。太々しく顔を上げ、カメラを睨む者もいれば、俯いて顔を隠す者もいる。前者には、反省よりも虚勢が見える。後者には、少なくとも自らの行為が人生に大きな傷を残したという自覚が見える。

 多様性の時代である。しかし、多様性とは、何をしても許されるという意味ではない。古今東西、アウトローに憧れる人間は存在する。だが、自由を求めることと、社会の秩序を壊すことはまったく別である。

 社会の中で生きる以上、人は一人で完結しているわけではない。他者と関わり、仕事をし、生活を営む以上、最低限の協調性と節度は必要となる。それを理解できれば、大きな問題は起きにくい。

 公序良俗に反すれば、法的措置を受けるのは当然である。それは自業自得であっても、同じ過ちを何度も繰り返す人間を見ると、なぜそこで立ち止まれないのかと考えざるを得ない。

 少しだけ考え方の向きを変えればよい。人を傷つけない。他人の財産を奪わない。社会の信用を裏切らない。約束を守る。迷惑をかけたなら謝罪する。

 それらは、難解な道徳論ではない。人として社会に立つための、最低限の作法である。

 世の中には、判る人より判らぬ人が多い。だからこそ、判る側の人間は、黙って諦めるのではなく、何が自由で、何が無秩序なのかを、言葉にして伝え続ける必要がある。


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