能力がないと嘆く前に、穴を埋めよ
受講生の中に、なかなか「日々変化、日々進化」の波に乗れない人が数人いる。共通する口癖は、「自分は能力がない」である。会話の端々に、その言葉が何度も顔を出す。
しかし、「自分は能力がない」と嘆く暇があるのなら、不得手なところを一つずつ埋めていけばよいだけの話である。穴があるなら、塞ぐ。足りないものがあるなら、補う。それ以外に道はない。
そもそも、その穴埋めを他人が代行してくれるはずもない。学びとは、自分自身の欠落と向き合い、自らの手で埋めていく作業である。誰かが背中を押してくれることはあっても、代わりに歩いてくれることはない。
「能力がない」という、くだらぬ前置きの癖を払拭しない限り、次のステージへ上がることなどできはしない。熟年になってから、自分スタンダードの歪みに気づくようでは遅すぎる。しかし、それが事実であるならば、不運にも、これまで学びの環境に恵まれていなかったのだろう。
とはいえ、筆者は同情などしない。容赦もしない。
学ぶ意思があるのなら、価値のない前置きなど不要、厳禁である。枝葉の多い語り癖を持つ人間は、思考回路そのものを根本から修正していかなければならない。そうしなければ、少し気を抜いた瞬間に、長年染みついた悪癖が、あちらこちらから滲み出てくる。
本日も苦言を呈した。しかし、返ってきたリアクションは、到底納得のいくものではなかった。「自分は能力がない」と自覚しているのなら、覚悟を決めるしかない。たとえ周囲から笑われようとも、目を見開き、前へ進むしかないのである。
不格好に見えるのではないか。人にどう思われるのではないか。そんなつまらぬことを気にしながら学んでも、身につくはずがない。学びの場において、体裁ほど邪魔なものはない。
何かにつけ鈍感で、繊細な事象を捉えるアンテナが働かないのであれば、まずは自己否定を受け入れる覚悟が必要である。自分の現状を否定することは、自分の人格を否定することではない。古い自分を脱ぎ捨て、新たな能力を備えるための出発点である。
大人になると、どうしてもプライドが邪魔をする。だが、はっきり申し上げれば、その軽々しいプライドこそが最大の障壁である。学びに格好など不要である。泥臭くてもよい。不器用でもよい。大切なのは、動くことだ。
同じように、体裁ばかりを気にして、口は達者だが行動が伴わない受講生もいる。年齢はほぼ同じで、何事もネガティブに受け止める悪癖を持っている点も共通している。結果として、いつも「振り出し」に戻り、最後は貝のように口を閉ざす。その繰り返しである。
他県で行われている「自己改革研修会」の現場には、想像を超えるほど厳しいものがいくらでもある。ところが、視野の狭い彼らの認識は、あまりにも甘い。自分の悪癖を分かっているようで、実のところ、修正する覚悟がないのである。
本当に変わりたいのであれば、死に物狂いで「自己改革」への意思表示と行動を見せなければならない。いい格好をしようとするから、足が止まる。体裁を守ろうとするから、前に進めない。結局、堂々巡りをしているだけである。
能力がないと嘆く前に、まずは穴を埋めよ。自信がないと語る前に、まずは動け。次のステージは、言い訳を捨てた者にしか開かれない。情けなさを抱えたまま立ち尽くすのか、それとも、恥をかきながらでも一歩を踏み出すのか。
彼らは、遅ればせながらであるが、その分岐点に、今、立っているのだ。

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