映画『Michael』を観て——同じ曲が、今は少し違って聴こえる
映画『Michael』を観た。
正直に言えば、劇場でマイケル・ジャクソンの音楽を聴けるだけで、もう十分だった。
ああ、そういえば、と。
観ているうちに、数年前、『マイケル・ジャクソン THIS IS IT』をスクリーンで鑑賞して、感動した記憶がよみがえった。
大きなスクリーンと音響の中で彼の曲が流れるたび、映画を観ているというより、ライブ会場にいるような感覚になった。
けれど、そこに映し出されていたのは、ただのスターとしてのマイケルではなかった。
彼がどれほど辛い人生を歩んできたのか。
流れてくるゴシップから、頭では知っていたつもりだった。
でも、映画を通して見ると、やはり胸が苦しくなる。
とくに父親との関係は、とても重く感じた。
才能を伸ばした存在でありながら、同時に彼の心を深く傷つけた存在でもあった。
毒親という言葉では片づけられないほど、複雑で、痛みを伴う関係だった。
幼い彼が、あの家庭環境の中でどれほど必死に自分を守り、表現し、生き抜こうとしていたのかを考えると、胸が痛む。
映画を観ながら、私は彼のことを「地上に遣わされた天使」のようだと思った。
彼には、明らかに特別な光があった。
その光と才能を、世界中の人に届けるために地上に降りてきた人だったのではないか。
けれど、その光が大きすぎたからこそ、彼はたくさんの人に利用され、翻弄されてもいた。
だからこそ、彼の孤独は計り知れない。
友達が、いなかったのではないか。
あまりにも早くスターになりすぎた彼は、普通の人と、普通に絆を結ぶことさえ難しかったのだと思う。
安心できる場所が少なかった彼にとって、動物たちだけが本当の友達だったのかもしれない。
チンパンジーといつも一緒にいたことも、当時は奇異に映った。
でも映画を観たあとでは、その姿が少し違って見える。
彼にとって動物たちは、評価も期待もせず、ただそばにいてくれる存在だったのかもしれない。
非凡であるということは、ただ輝かしいことではない。
その才能があまりにも大きいと、周りの人はその人自身ではなく、その才能や価値ばかりを見てしまう。
マイケルはずっと、人として愛されたかったのではないだろうか。
そして、この映画を観て、『We Are the World』がなぜ生まれたのか、ようやく腑に落ちた気がした。
彼は本当に、たくさんの人を救いたかったのだ。
自分の才能を、自分のためだけに使いたかった人ではなかった。
音楽によって、苦しんでいる人に手を差し伸べたかった。
届かない場所にいる人に、光を届けたかった。
あの歌は、ただの有名アーティストたちの豪華な共演ではない。
彼の祈りや使命感から生まれていったものなのだと、映画を観たあとだからこそ強く感じる。
ちなみに、私は『We Are the World』のDVDを今も宝物にしている。
彼は、病気の人に手を差し伸べ、居場所のない人に場所を与え、差別の中にいる人たちに自由を与える手助けをした。
彼の音楽は、ただ楽しませるためのものではなく、誰かを救い、世界を少しでも良くしようとする祈りだった。
映画を観て改めて感じたのは、アメリカ社会の中で黒人アーティストが直面していた差別の大きさだった。
日本にいると、当時のアメリカで個人に向けられる差別がどれほど激しいものだったのか、なかなか実感できない。
テレビに出ること、ミュージックビデオが流されることさえ簡単ではなかった時代があったのだと知り、衝撃を受けた。
マイケルは、その壁を壊していった人でもあった。
黒人アーティストとして、表現者として、そしてひとりの人間として、彼は道を切り開いた。
自分のためだけではなく、その後に続く人たちのためにも。
映画は、途中で終わってしまったように感じて驚いた。
私はてっきり、彼が亡くなるところまで描かれるのだと思っていた。
ワールドツアーや、彼が作り上げた世界、『We Are the World』の制作秘話、家族との関係のその後も、もっと見てみたかった。
けれど、この映画は彼の人生すべてを描くというより、父親との関係や、彼がどのように自分の表現を切り開いていったのかに焦点を当てた作品だったのだろう。
彼は、ただスターになりたかった人ではない。
ひたむきに、必死に、自分の内側にあるものを表現したかった人だった。
音楽も、ダンスも、映像も、すべてが彼にとっては「生きること」そのものだった。
映画を観たあと、星野源さんの『SUN』のことも思い出した。
あの曲には、マイケル・ジャクソンへの想いが込められているという。
Hey J
いつでもただ一人で踊り歌い
君の歌を聴かせて
澄み渡り世界救うような
君の歌を聴かせて
深い闇でも月の上も
祈り届くなら
安らかな場所にいてよ
今聴き返すと、胸がさらにいっぱいになる。
本当に彼は天使であって、多くの人にとって太陽だった。
星野源さんにとっても、世界中のアーティストにとっても、そして私たち聴き手にとっても。
マイケルはただ過去のスターではなく、今も誰かの音楽の中で、誰かの記憶の中で、光り続けている。
私は今も、普通にBGMとしてマイケル・ジャクソンを聴いている。
でも、この映画を観たあとでは、同じ曲が少し違って聴こえる。
そこには、スターとしての輝きだけではなく、ひとりの人間としての痛み、孤独、祈り、そして愛がある。
いまさらだけど、悲しくてたまらない。
もっと普通に幸せでいてほしかった。
もっと安心して笑っていてほしかった。
もっと、ただの人間として愛されていてほしかった。
友人はこの映画を4回観たという。
その気持ちが、今ならわかる気がする。
私もまた観に行こうと思う。
もう一度、劇場でマイケルの音楽を聴きたい。
もう一度、彼の光に会いに行きたい。
マイケル・ジャクソンという人は、きっとこの地上に、音楽と光を届けるために降りてきた人だった。
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