【小説】FM言ノ葉「第8回きっとあなたの1400字」投稿作品『夕焼けを見る時の心で』
本作は、VRChat内のラジオ「FM言ノ葉」において2023年9月に開催された企画「第8回きっとあなたの1400字」に投稿した小説作品です。
お題は「言葉」でした。表紙画像は「Yayoi Riverbed」で撮影しました。
段落頭インデントはnote掲載に際して挿入したものです。
『夕焼けを見る時の心で』 ソーサツ・チエカ
彼女は夕日を向いて立つ。私はその背中を見ている。後ろに置いたカメラの、モニターだけを目の前に浮かべて。永遠に沈まない夕焼けのワールドで。
鏡はない。
広い河川敷から見上げる、赤い赤い夕焼けだった。噴火したような光は対岸いっぱいに凍りついていて、銀色の川を挟んで空のこちら半分には頼りない夜があるばかりだった。しかし夜も、夜の頼りなさも、私にとっては問題でなかった。ただ夕焼けに顔を向けて、夕焼けの前に立ち尽くしていた。夕焼けを見る時の心で夕焼けを見ていた。
初めて夕焼けを見たのがいつのことだったかは忘れた。だが、私が夕焼けを想う時、心を占めるのはいつもこれだ。夕焼けの中で何かが起きた憶えも、何かの絵本で美しい夕焼けを見た憶えもない。あったとしても、心を占めるこれが、私の経験にあるこの世の記憶からできているとはやはり思えない。私の中から来るもの、それでいて私の知らないものが、夕焼けを見る私をいつも同じ心へと連れてくる。
今、私と夕焼けの間には、ゴーグルの液晶がある。いや、液晶とカメラのモニターがある。いや、液晶とモニターとカメラがある。いや、液晶とモニターとカメラと彼女の背中がある。彼女と夕焼けの間には何もない。私は彼女の背後に、彼女の視点の位置に、彼女の中にいる。彼女の中にいて、彼女の背中を見ている。
私と夕焼けの間に彼女がいる。私のアバターと呼べば、彼女は私のアバターだ。しかし、私はそうは呼ばなかった。技術が彼女に追いつく前から、彼女は私と共にいたと思う。そして同じ場所で夕焼けを見ていたと思う。私の中に私の知らない何かがあり、しかしそれはなおも私でなくもない。あるいはそれを彼女と呼んだ瞬間に、私は私を知り尽くすことを永久に諦めたのかもしれない。私と彼女の間には無にして無限の不条理の深淵がある。ちょうど、私とこの夕焼けの間にあるように。
鏡はない。しかし鏡を出したとしても、彼女の顔は映るまい。
夕焼けに心を占めるこれがどこから来たのか、彼女は知っているのかもしれない。私がなくしていくものは全て、彼女のもとに流れ着くのかもしれない。しかし彼女は私に語るまい。問い質した瞬間に、その最初の息を吸った瞬間に、問うための言葉を準備した瞬間に、彼女は私に飛び込んで、彼女と夕焼けの間には川ができ、後には自問する私だけが残るだろう。そして私の目で見る夕焼けは、今彼女の向こうにある夕焼けと同じではあるまい。ありのままの、目に見える、天体の運動と光子の散乱と生活の経験が見せる光景でしかあるまい。そのようなものに興味もない。
だから、鏡に彼女の顔は映らない。夕日に向かって立つ彼女が浮かべているはずの、夕焼けに照らされる顔は映らない。私が見たい顔。見たいと願うほどに見えなくなる顔。見えない時にだけそこにあって、液晶とモニターとカメラと彼女の背中とモニターとカメラと背中とモニターとカメラと背中とモニターとカメラと背中とモニターとカメラと背中とモニターとカメラと背中の向こうで夕焼けを受けている顔。私が私の身体と言葉を押し留めている間だけ、私と夕焼けの間に彼女がいる。私は彼女を知る前からずっと、彼女の背中のある夕焼けを見ている。
私は動かない。
声を出さない。
振り向かない。
振り向かないでくれ。
今、私と彼女と夕焼けを包んでいる、この、これが――
夕焼けを見る時の心。
