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「英語学習のモチベーション」という謎の概念

noteのトップページにはあれやこれや記事が流れてくるのですが、その中に「英語学習のモチベーションの保ち方」みたいな記事が結構出現することに気づきました。これは私的には結構謎の概念だったので、少し思ったことを書いてみます。

そもそも何故英語をやるのか?

まず、「モチベーションを保たなければならない」ということは、英語学習をやりたくないということです。小学生が「テレビゲームをやるモチベーションを維持する方法」とかググってるなんて状況はありえません。やりたければやるし、やりたくなければやらない。それだけの話です。

そしてこの「モチベーションの維持」に関する記事をネットで読んでる層は一部は学生とか高校生とかかと思われますが、大半は成人だと思います。つまり学校の試験とはほぼ無縁。その上、モチベーション次第で英語学習をしたりしなかったりするということは、英語を絶対にできなければならないという緊急切迫した状況でもないということです。ヒグマに追いかけられている時に「走るモチベーションが湧かない」とか悩むはずがありません。「どうせ追いつかれるから最初から諦めて走らない、むしろ死んだふりする」という選択肢はあるかもしれませんが

つまり私の考えた限りでは、「モチベーションの維持」を考えてるという時点で「英語学習なんてやりたくもないし特にそこまでの必要性もない」という可能性が非常に高いのです。

これは私にとって大きな謎です。正直に言ってしまうと、「じゃぁやる必要ないのでは??」と思ってしまいます。

保険としての英語?

やりたくもない、必要性も大してない、そんな英語を何故学習するのか? 私は小学生くらいの頃から興味本位で英語と、大学生の頃からそれ以外の多言語と意味不明に接し続けて来たため、「語学学習のモチベーションが湧かない…」と悩んだことは多分ほぼありません。というか、飽きたら止める感じです。

で、何故多くの人がモチベーションを無理矢理維持してまで英語をやろうとするのか。私が考え得る限りでは、恐らく「保険」なのではないかと思います。

自分の会社が外資に買収されて英語が必要になるかもしれない、自分の取引先が海外になるかもしれない、英語で情報収集出来たらビジネスで有利、これからはグローバル時代だから英語が出来ないと生き残れない、等々。あるいは、単に英語話せたらかっこいいというような漠然とした憧れのようなものか。それどころか英語教育産業界のマーケティングに見事にカモられているだけかもしれません。

このような場合、一過性のモチベーションに支えられて勉強を始めたり飽きたりを繰り返すと思うのですが、個人的には気が向いたときに気が向いただけやればいいと思います。私もヒンディー語とかアラビア語とか中国語とかそんな感じで気が向いたときにすんごいちょっとずつやってます。おかげで成長は激遅で、全く知らないよりはマシ、みたいなレベルですが。しかし、大して必要性がない語学学習なんてそんなものだと思います。最近は全く使う予定ないのにウズベク語やキルギス語やモンゴル語をやりたい衝動を無理矢理抑え込んでて最早何かの病気のようです。

あと、方法を固定しないのも個人的にはいいと思います。英語学習というと真面目に教材使った定番のお勉強スタイルから入る方が多いと思うのですが(私も最初はそんな感じです)、別に教科書や単語帳でなくても、いきなり洋画みてもいいし、Web記事を読んでもいいし、発話の練習をしてもいい。気が向いたときに気が向いたことをやる、というので良いのではなかろうかと思います。語学学習において、完璧主義は益より害の方が遥かに多いというのが私の個人的な見解です。

結論

特に必要性も興味もなく、漫然とした不安や憧れを起点として英語学習をする場合、よほどの精神力の持ち主でもなければ大体飽きたり再開したりの繰り返しになると思います。が、別にそれについて気に病む必要は特にないかと思います。3日坊主を何回もやってると知らぬ間に意外と色々身につくので、何もしないよりはマシかと思われます。私のフランス語も超絶3日坊主をリピートしているうちにaujourd'hui(today)とかいうやたら長い単語も知らぬ間に覚えてましたし、estを否定するとne est pasじゃなくてn'est pasになるとかそういうのにも慣れました。

英語が出来るといいことはメチャクチャ多いのですが、かと言ってモチベーション維持を必要とする苦行のようなやり方で継続しようとするのは個人的にはお勧めしません。これまでの人生を一貫してストイックな姿勢で戦い抜いてきたという方ならともかく、大抵の人は無理すると「英語=難しい、嫌い⇒やる気しない」となって終わりだと思います。

語学学習も筋トレと同じで、負荷が適度に高いほど身につきやすいのですが、そのような高い負荷に耐えるには相応の学習理由が必要です。興味も必要性もない、学習目的が不明な状態で高負荷な学習方法を採用しても、ただ辛いだけで身につくことも少ないと思われます。




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