21:30開園の僕のテーマパーク
2310 1401 3404
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数字には不思議な力がある。
円周率みたいに無機質なこともあれば、
心を打つ、深淵なストーリーを感じさせることもある。
1964・・・ 復興の象徴、東京オリンピックの年
262 ・・・ イチローの最多安打記録
911 ・・・ 米国で起きた最も悲しい1日
9.58 ・・・ 人類が最も速く走った100mのタイム
誰しも1つや2つ。記憶に残る数字があると思う。
僕にもある。
それがさっき言った、この数字。
2310 1401 3404
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ボンゴレスパゲッティ 辛味チキン デカンタ(小)
今「ああ…!」ってなった方。同志です。友達になりましょう。
「は?!」ってなった方。ごめんなさい。もうちょっとだけお付き合いください。
そう。僕は大のサイゼリヤ好き。
母親に「今日の夕飯何がいいー?」って聞かれたら、食い気味に「サイゼ!」って答えて、怒られるくらいには好き。大好き。愛してる。
そんでもって、「2310 1401 3404」は、サイゼリヤのオーダー番号。
あのスマホの画面でせっせと打ってオーダーするやつ。
2310 ・・・ ボンゴレスパゲッティ
1401 ・・・ 辛味チキン
3404 ・・・ デカンタ(小)
だから僕には、この数字たちがサイゼの料理に見えるの。数字の羅列だけで、条件反射的にヨダレが出る。パブロフの犬です。
あ、そういえば1つ聞きたいことがあるんだけど。
「夜のサイゼリヤって、知ってる?」
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サイゼには朝昼夕、それぞれの顔がある。
朝のサイゼは優しい。高齢者がゆっくり読書をしたり、井戸端会議をしてる。
昼のサイゼは楽しい。ランチを楽しむマダムや、昼休憩のサラリーマンで活気が溢れてる。
夕方のサイゼは愛おしい。家族団らんで楽しんだり、高校生カップルが仲良さそうにくっちゃべってる。
でもね。サイゼにはもう1つの顔があるの。
それが、夜のサイゼ。
夜のサイゼは特別感がある。
例えるならあれ。夜も更けた閉園間近のディズニー。
静かで人も少ない。乗り物もスイスイ乗れちゃう。
夜ふかしが許された、大人だけの世界。
静寂に包まれた、穏やかな世界。
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子供たちが帰った21:30頃。
夜のサイゼはオープンする。
でも、「夜だと何が違うのさ?」って思うよね。
それじゃ、
僕の夜のサイゼの楽しみ方、教えるね?
①家を出る
家を出る時に大切なこと。
それは、できるだけこっそり家を出ること。
一人暮らしだろうが関係ない。とにかく忍び足でこっそり家を出るの。
夜も深い、21:30の外出。その背徳感がサイゼのワクワクを増幅させるから。
ウチの近所のサイゼは近い。5分もあれば着く。
でも毎回小走りで向かうの。
だって、サイゼの閉店時間は23:00。
残された時間を1分たりとも無駄にはしない。
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店に着いたら、店員さんが席に案内してくれる。
「ご注文はQRコードからお願いします」
うん、知ってる。よく知ってる。
だってもう100回は聞いたもん。ってかこの店員さんと話すのも30回目。
でもいい。それでいいの。
僕たちは毎回、初めまして。
変に距離感を詰めない。それが大人の付き合いってもんでしょ?
②オーダー
席に着いたら、まずは1回深呼吸。
いきなりメニューを開いちゃダメ。多分パニックになるから。
「うひょー、辛味チキンうまそぉぉ」、「アロスティチーニでワイルドに攻めるのもありか?!」、「あーでも若鶏のディアボラ風も捨てがたいよなぁ…」、「てか、ポップコーンシュリンプのドリアって何?!こんなの前なかったよね???」
目に飛び込む、バラエティ豊かなメニュー。しかもどれも200円〜500円くらいなの。
おかしい、バグってんのよ。慈善事業でやってんのか??ってくらい圧倒的なコスパなの。
どれも美味しそうで、目移りしちゃう。でも迷った時こそ原点回帰。
2310 1401 3404
僕のスタメンはいつもこれ。
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注文したら、料理が来るまでリラックスして過ごす。
スマホをいじるもよし、メニューを見返すもよし、店内のイタリア絵画を眺めるのもいいかもね。
ただ、キッズメニューにある間違い探し。あれはダメ。素人が手を出すもんじゃない。
言うなれば羊の皮を被ったオオカミ。全然子供向けじゃない、鬼ムズなの。
下手すりゃあれだけで閉店までの90分が溶ける。だから手を出すなら、それなりの覚悟でね。
③実食
そうこうしてると、料理が運ばれてくる。

ここからはもう解説はいらない。
本能のまま、好きなように貪りつく。
ボンゴレスパゲッティ。正式名称「スープ入り塩味ボンゴレ」。尋常じゃない数のアサリがパスタと絡んで、まー最高。調子がいい日はフォッカッチャも追加して、スープにダクダクに浸す。飛びます。
辛味チキン。サイゼ界のスター。大谷翔平。
もし嫌いな人がいるなら名乗り出て欲しい。僕が2時間みっちりインタビューして、サイゼリヤ社にレポートするから。
白のデカンタ(小)。小サイズはグラスワイン2杯分。この量が絶妙なの。ちょっと気分は良くなるけど、まだ取り返しはつく。おかわりするかどうかは、明日の自分と相談してね。
食べる時はひたすら没頭する。
だんだん酔いも回って、仕事の嫌なことも忘れちゃう。もう、ほんっっっとに最高の時間なの!
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この通り、僕はサイゼが好きだ。
愛してやまないサイゼ。
でもね。
ある日、パスタを一心不乱にかき込んでた手が、止まったことがある。
急に冷静になって、怖くなったの。
「僕はなんで、こんなにサイゼに執着してるんだ…?」
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多分、僕のサイゼへの執着は幼少期の経験が関係してる。
僕は昔。イタリアに住んでたことがある。
親の転勤で9歳の頃、少しだけ。
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その日は突然来た。
家族団らん。みんなで仲良く金曜ロードショーを観てた。確かトトロだったっけ。
そしたら父親が言った。
「イタリアに住むぞ」
兄は泣いていた。
新しいクラスにも慣れて、中学の部活もこれからって時だった。
でも、僕は泣かなかった。
正直言うとよくわからなかった。
なんか遠くに行くんだなぁとは思ったけど、
新しい家は自分の部屋があるといいなーとか、能天気に考えてた。
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そして、あれよあれよという間にイタリアに引っ越した。
街のいたるところに古代遺跡。
日本とは違う世界があるんだって、そのとき初めて知った。
ちょっとして、学校にも通い始めた。
そこはいろんな国の人が通う学校。共通言語は英語だった。
そこから僕の試練が始まった。
「言葉がわからん…」
「友達の輪に入れない」
「遊びはサッカーだけ?どゆこと?」
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辛かった。
日本の学校と何もかもが違った。
授業では古代ローマの歴史を学んだ。
「そもそも歴史がムズイのに、英語じゃ何もわからないよ…」、「ってかあのニョロニョロ文字は何?筆記体ってのがあるの…?」
ゲームで言うなら、初見でベリーハードモードに挑んでる感じ。9歳の僕には、まぁ過酷だった。
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周りはみんないい人だった。
でもそこには確実に、大きな文化の壁があった。
友達「日本語しゃべってみてよ」
僕「コンニチワ…」
友達「はは!何その変なしゃべりかた!ウケル!」
何の悪気もない、よくある子供の会話。
でも僕は辛かった。苦しかった。
心の底に黒いインクが落ちて、じわじわ広がっていくのを感じていた。
家に帰って母親に泣きついた。
「お母さん、僕もう無理だよ…。明日も学校だって思うと、ベッドに入っても眠れないんだ…」
きっと言われた母親も、辛かったと思う。
母親は言った。
「日本人学校に行ってみる?」
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海外にも日本人学校はある。
ウチからはちょっと遠かったけど、期待を胸に体験授業に行ってみた。
到着したら日本人の生徒がたくさんいた。先生も、もちろん日本語で授業をする。日本に居たあの時の感覚だ。
「これ。これだよ。ここなら僕でもやって行ける…!」
1時間目の授業を終えた時、すごくほっとしたのを覚えてる。
でもその安心は、はかなくも崩れ去った。
キンコンカンコーン。授業が終わり、先生が教室を出る。
僕が友達に話しかけようとした、その時だった。
友達「Allora, cosa facciamo xxxx ~」
??!!
友達が急にイタリア語を話し始めたのだ。
日本人の顔をした友達2人が、それはもう流暢なイタリア語で談笑していた。
僕は混乱した。
今思えば、きっとイタリア生まれの日本人だったんだと思う。日本語を覚えるために、親が通わせてた的な。
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僕は絶望した。
ここにも僕の居場所はなかった。
帰りの車の中。後部座席で声をひそめて泣いていた。
でもこの時、僕の中で何かが弾けた。
僕の心を覆っていた鉛色の殻が、ピキピキと音を立てて割れた。
「僕はこの前の、いろんな国の人の学校で生きてくしかないんだ」
今思い返すと、僕なりに覚悟を決めたんだと思う。
線が細くて華奢な。同世代より一回り小さい、9歳の僕なりの覚悟だったんだと思う。
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その日から、僕は変わった。
ヘタクソな英語で毎日友達に話しかけたし、
自分じゃ読めないあのニョロニョロ文字でノートもたくさん取った。
昼食のカフェテリアでは、毎日友達とイタリアンを食べた。
大人になった今でも分からない、得体の知れないパスタも食べた。
ヌメっとしてて僕の口には合わなかったけど、「これ美味しいね」って友達と笑い合った。
みんながそうしてたから。
僕にとって唯一の世界だったその学校から取り残されないよう、やれることは全部やった。死に物狂いでやった。
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そして数ヶ月が経った。
僕の世界は少しずつ、でも、確実に変わっていった。
授業で手を挙げられるようになった。
英語で友達に冗談を言えるようになった。
サッカーのチーム分けでは、みんなが僕と同じチームに入りたがった。
当時活躍してた中田英寿選手にあやかって「リトル ナカータ」っていう立派なアダ名もつけてもらった。
あの絶望の日々がウソだったかのように、毎日が楽しくなった。(今思い返しても子供の適応力はすごい)
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そんなこんなで楽しく過ごしてたら、
あっという間に帰国の日になった。
友達に開いてもらったお別れパーティー。
日本を離れた時には出なかった涙がたくさん出た。
母親いわく最後の方は「日本に帰りたくない」ってゴネてたらしい笑
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そんな幼少期を経て、僕も今では立派なおっさんになった。
ただ今でも変わらずイタリアンを食べている。
最近分かったんだ。僕がサイゼに通い続けてる理由。
それはきっと、幼少期の辛かった思い出を上書きしようとしてるんだって。
カフェテリアで無理に笑ってパスタを食べてた、あの頃の自分を正当化したいんだって。
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実は最近、夜サイゼの頻度が減った。
ピークの時は週2で行ってたのに、今は週1行くかどうかだ。
その代わりに妻と娘と行く、「夕方サイゼ」の回数が増えた。
子供がすぐ白いブラウスをミートソース色にするもんだから、夜サイゼみたいな落ち着いた雰囲気はない。
そして食べ終わると決まってグズり出す。
だから滞在時間はいつも20分くらい。
でも、これはこれで心地よい。茜色の夕日に包まれたみたいに、心がじんわり暖まる。
我が家のオーダー担当は娘と決まっている。
「パパー?何番たのむー?」
「じゃあ、2310 1401 3404 でお願い」
「わかったぁー!えーと、にぃ、さぁん、いちぃ、ぜろ…」
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>9歳の頃の僕へ
安心して。
君は20年後、心から笑ってパスタを食べてるよ。
ちょっと落ち着きがない元気な娘と優しい妻に囲まれて。
娘ちゃん、注文ありがとね。
大好きだよ。
あとね。
君が頼んでくれた 340"5"。それはデカンタ(大)なんだ。
でもありがとう。
パパ、また明日からがんばるね。
