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世界の霊性研究を年表にまとめてみた。~「空想の友達」の正体追求と「霊性」について論文書いてみた。No.11~

日々猛暑が続きますが、読者の皆さんが毎日健康であられることを心からお祈りしています。

七月から八月にかけては、お盆の時期で、梅雨も明けてセミも鳴き始め、何かとソワソワしてきますね。

私の祖父の姉は、毎年お盆の送り火のために、精霊棚をきちんと作り、親戚を招いて夕ご飯を食べ、皆でお墓参りにいくなど、そういう日を催してくれていました。

私は子供ながらに、精霊棚の作り方から、ご先祖さまへの御膳のあげかた、地域的な風習なのか最後は不味い冷味噌汁を出してきちんと帰ってもらうなど、そんな細かいことまで教えてもらい勉強していました。

そんな叔母も2年前に亡くなりました。今年私は世帯を持って1年目、よしそれなら私がやろうじゃないかということで、叔母さんのようには立派にはできないけれど小さく精霊棚を飾っています。

スペイン人の夫にキュウリの馬とナスの牛を作ってもらい、みんな無事に帰ってこられるといいねと話したりしています。


前回まで、「霊性」についての文献研究を読んでいただきました。
ここからは、これまでの霊性研究と心理学との深い繋がりについて書いた部分です。どうぞ。



 これらのことを踏まえて,今後,この研究における, 「霊性」とは,アニミズム的思考を起源とする,古代的・ 東洋的霊性であるということをここで確認しておきたい。

 東洋的と言うのは,特定の地域ではない。
ケルトやハワイ・アメリカの先住民族・オセアニアの先住民達もアニミズム起源の「霊性」 を共通して持っていた。
 東洋諸国は,現代でもアニミズム起源の霊性が色濃く残る地域だと,西洋の学者が指したことで,東洋的という言い回しができたのである。
このことを再度書き留めておく。

霊性研究の年表


 これまで「霊性」の研究は,各分野を超え,さまざまな方面でなされてきた。なかでも、筆者が着目しているのは,民俗学・人類学・心理学の間の特徴を持ち合わせる「霊性」 研究で,古代的(東洋的)な「霊性」の要素が大切なのである。
近代から現代にかけての,上記の特徴を持つ先行研究を年表にして簡単に表した。

Table1(表の中には,本稿で登場した文学作品も表記した。)

 これを見て筆者は,各時代を通して「霊性」が高まる波は,戦争など「死」が身近にあることに関係するのではないかと考えた。(断言するにはデータが足りない)

 18世紀以降(1701年〜),世界においても日本においても「霊性」は,さまざまな言い表され方で,学術的に取り上げられるようになる。
 当時,そのような研究は,科学的ではないという理由で,批判を受けることが多かった。しかし,着実に「霊性」は数多くの研究者達の知的好奇心を掴み離さなかったのである。

 19世紀(1900年まで)なると,世の中が激しく動きはじめる。表にもあるが,世界は第一次世界大戦へと向かい,各地方の先住民族はイギリスをはじめとする西洋諸国に弾圧を受けた。それが原因で,先住民族と西欧人との戦い(一方的な侵略)が繰り広げられていた。

 近年の研究で,ポリネシア人の遺伝子を共通して持つといわれる、環太平洋の先住民族(東南アジア・ハワイ・ ネイティブアメリカン・オセアニア・南米・アイヌ・琉球の先住民族など)は,植民地政策による虐殺や,インフルエンザをはじめとするウイルスの媒介などで激減した。
 その時代の「霊性」への関心の高まりには,そのような背景が関連したのかもしれない。

 その後,20世紀(1901年〜)に入ると,1920〜30年代に一度,その波が落ち着く印象を受ける。この時代は,戦後の華やかさも束の間,次なる世界大戦に向けて,再び世界情勢が徐々に悪化していた時期だった。

 そして,第二次世界大戦終戦後,焼土となった日本で,新たなる大きな「霊性」の波が起こる。

大著 「日本的霊性」の著者である鈴木大拙が強く霊性の自覚を叫んだのは,敗戦後の焼け野原からの道を求めてのことだ(安藤,2008)

 また,柳田國男も終戦直後に,「先祖の話」を書き上げた。ここに,序文の一部を引用する。

この度の超非常時局によって,国民の生活は底の底から引っかきまわされた。日頃は見聞することも出来ぬような,悲壮な痛烈な人間現象が,全国の最も静かな 区域にも簇出している。その片端だけがわずかに新聞などで世の中へ伝えられ,私たちはまたそれを尋ね捜しに地方をあるいてみることも出来なかった。かつては常人が口にすることをさえ畏れていた死後の世界,霊魂はあるか無いかの疑問・・・大よそ国民の意思と愛情とを, 縦に百代にわたって繫ぎ合わせていた糸筋のようなものが,突如としてすべて人生の表層に顕れ来ったのを,じっと見守っていた人もこの読者の間には多いのである・・・人に自ら考えさせ,自ら判断させようとしなかった教育が,大きな禍根であることはもう認めている人も多かろう。しかし国民をそれぞれに賢明ならしめる道は,学問より他に無いということまでは,考えていない者が政治家の中には多い。自分はそれを主張しようとするのである。(柳田,1946)

 柳田のこの言葉から,当時の人間の「霊性」の高まりを,ものすごい量のエネルギーと共に感じるのである。


 これまで幾度となく繰り返されてきた、古代的・東洋的な民俗文化の制圧。しかし、こうして地球上から無念にも消えた先人の魂も,現代を生きる我々に受け継がれているのである。

 そして,その魂に思いを馳せた時,我々の霊性も高まるのかもしれない。


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