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自分との向き合いに苦しさを感じなかったのは、向き合ってこなかったから?

わたしは「自分と向き合う」ことが好きです。
自分の声を聞くというか、いわゆる内観みたいなこと。
深掘りもそのひとつ。
もう趣味みたいに。

少し前に、
「自分と向き合うのって、苦しくてつらい」
という言葉を聞きました。

たしかによく聞く言葉だな、って思って
そのとき気づいたんです。

わたしは自分との向き合いにつらさを感じたことなかったかも、って。

たぶん、ずっと楽しく思っていた。
もっと向き合いたいと思っていた。
今もそれは変わっていないです。

そうなると、
「もしかしてわたしはちゃんと自分と向き合えてなかった?」
という疑問が沸いてきます。

でも、やっぱりわたしなりに向き合ってきたと思うんです。
それはわたし一人の力ではなくて、
いろいろな人の支えがあったからではあるけど、
でも向き合ってはきました。
はっきり言い切れる!

じゃあなぜつらくなかったんだろう。

その理由は、わたしのスタート地点が低すぎたせいだと思いました。

ここで改めて「つらなくなかった」という感覚を振り返ると、
正確に言えば、
つらくなかったというより、
楽しさが勝っていた、ということだと思います。
今もめちゃくちゃ楽しいですし。

こんなに「楽しい」にフォーカスできたのって、
わたしが自分のことを分からな過ぎたから
なんですよね。

わたしの人生は長い間、
「母親を怒らせない」の基準で回っていました。

自分がどう思うかよりも、
どうすれば怒られないか。
どうすれば波風が立たないか。

それが最も大切なことだった。

だから自分が何を好きで、どうしたいかなんて
本当に後回しだった。

それがわたしの「普通」だったんです。

もちろん、推しと共に歩いてきた人生なので
好きな芸能人とかはいましたが、
それも母親に「その人、なんか嫌」って言われたら
シュン……と萎んでいく感覚がありました。

これはChatGPTが言ったことなので、
あくまでひとつの見方ですが、
自分と向き合うことがつらいときは、
すでに“自分”がある前提で、その自分が否定されそう・価値が揺らぎそう
というところから始まる
とのこと。

わたしはこの「前提の自分」自体が
ある意味未定義だったのだと思います。

うわー、なんかどれだけ他人軸だったんだって話ですけど(笑)。

だからこそ、わたしにとって自分と向き合うということは
きつい過去を振り返る・自分の前提を見つめ直す
という側面よりも、
ただ単純に探索だったんじゃないのかな。

見つかる自分は全部新しい発見、って感じ。
そりゃ、楽しいですよね。

これは優劣の話でも正解不正解の話でもなくて、
わたしが辿ったルートがたまたまこれだった、というだけの話です。

もしかしたら、けっこうつらいと思いながら向き合ってきたことを忘れているだけ、という可能性も無きにしも非ずですし(汗)。
実際、向き合いの途中で泣いたことは記憶にあります!

それに、そもそも「つらい」「苦しい」の感覚も、
人それぞれですしね。
1でつらいと思う人も、
10で初めてつらいと感じる人も、
どちらもその人の正解だから。

ただひとつ言えることは、
自分で向き合ってきたと思える時間は無駄じゃない、
ということです。

その過程がつらくてもつらくなくても、
楽しくても楽しくなくても。

わたしは、自分と向き合い続けることで、
少しずつ自分を大事にするという感覚を掴めるようになりました。

そしてこれからも、もっと自分を知っていきたいし、
自分を大事にしていきたいです。
自分を雑に扱ってきた過去の分を取り戻すくらいに。

自分と向き合う形も、タイミングも、人それぞれ。
こんなふうに、
よく言われる感覚とは違う感覚で向き合う人もいるよ、
というお話でした。


【ワクワク76日目】

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