子どもに「間違っても大丈夫」と伝えるための、たった1つのシンプルな習慣。
「間違っても大丈夫」
「完璧じゃなくてもいい」
子どもにそう伝えたいとき、
言葉で言うのは簡単だけど、
実際にそれが腑に落ちるかどうか。
言葉だけではけっこう難しいのかも、
って思いました。
わたしが日々の暮らしの中で、
子どもたちに対して意識していることが
ひとつあります。
……すみません、嘘です。
たくさんあるけど、
その中でも上位に意識していることです。
それは、
「親のドジ話をすること」。
いつ頃からこれを意識し始めたのか
もう覚えていないのですが、
今日失敗したことも、
昔の失敗話も、
機会があれば積極的に話しています。
幸い(?)ドジ話には事欠かないわたし。
「こんなことがあってさ」
と話すと、子どもたちは
「なにやってんの(笑)」
という感じで笑ってくれます。
でも笑わせるために(笑われるために)
話しているわけじゃないんですよね。
わたしの目的は、
「親でも失敗するんだ」
「ダメなところもあるんだ」
と思ってもらうこと。
つまりは、
「親は絶対的、あるいは完璧な存在ではない」
と知ってもらうこと。
自分の幼少期を振り返ったとき、
親の失敗を笑う環境ではありませんでした。
親が完璧だと思っていたわけではないです。
どちらかと言うと、
親子逆転の関係に近くて、
わたしが母親のメンタルケアをする、
という関係性に近かった。
だけど、親に逆らえないという気持ちは
ずっとありました。
逆らえないし、
そもそも逆らおうという考えすら
思い浮かばなかったのだと思います。
そんな関係性だったから、
もし母親の失敗を指摘したりしたら
めちゃくちゃ不機嫌になるか
もしくは悲劇のヒロインになるか。
どちらにしても、
そんな母親を見ていられなかったので、
わたしが母親の失敗話を笑うなんて
禁忌事項に近かったし、
母親もわたしにそういう部分を見られることを
(実際にはバレバレだったのに)
極度に嫌がっていたように感じます。
でも親が完璧(ダメな部分を極度に嫌う)と
子どもは輪をかけて
「間違えられない」って思っちゃう気がして。
だからわたしは、
子どもたちにダメな部分を見せます。
親だって間違うし、
間違ったことは「間違ってるよ」と言っていい。
そして親だって間違うのだから、
あなたたちが間違うことだって当然あっていい。
ダメな部分がある自分を
ダメだと思わなくていい。
ダメな部分って、本人がそう思うだけで、
実際は愛すべき余白だったりするんですよね。
そして親のダメな部分は
子どもにとって息抜きのような、
安心材料になるんじゃないかな、って。
直接的な言葉で伝えるのではなく、
わたし自身の言動で伝わったのなら、
より腑に落ちるんじゃないか。
そんな思いでやっていることです。
子どもたちにバカにされることもありますが、
それでも愛のある「もう、しょうがないなぁ」は
聞いていて可愛く感じます。
だけど、
ダメすぎて子どもの負担にならないように。
そのバランスは気をつけていきたいな。
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