「何が食べたい?」が答えられなかった40年。
「何が食べたい?」
そう尋ねられると、
わたしはいつもこう答えていました。
「なんでもいいよ、合わせるよ」
それしか答えを持ち合わせていない時間が、
わたしには40年近くもあったのです。
その言葉の裏に隠れていたのは、
「優しさ」という名の鎧をまとった
わたしの怖さ。
相手を困らせたくない。
波風を立てたくない。
当時のわたしにとっては、
その場の空気を乱さないことが
何より大事なことだったのです。
「自分」が不在だった40年間と、魔法の質問
あの頃のわたしは、
誰かと食事に行くのが少しだけ苦手でした。
正確に言えば、
食事をする前の時間が苦手。
なぜなら、何を食べたいかを聞かれても
答えることができないから。
自分の意見を言って、もし相手が
「その気分じゃないな」と思ったらどうしよう?
みんなと違うことを言うと、
変なやつって思われるかも。
そんな不安から、
いつも決定権を持たないようにしていました。
自分の生き方を見直し始めた頃、
一人のメンターさんと出会います。
そのメンターさんがある日、
こんな言葉をかけてくれました。
「自分に『何が食べたい?』って
問いかけてあげて」
さっそく実践してみますが、
これが案外難しい。
全然出てこない。
わたしはずっと
自分の心の声を無視してきたことに、
そのとき初めて気づきました。
そして、自分を消して周りを優先することに
実は苦しさを感じていたことにも
ようやく気づいたのです。
二択から始めた、自分の心との「対話」
いきなり「好きなものを」と言われても、
長年見向きもしなかった本音が
すぐに反応してくれるはずもありません。
そこでわたしは、
クイズに答える感覚で
自分に問いかけることにしました。
「ごはんと麺、どっちの気分?」
「ハンバーグと肉じゃがだったら?」
わたしが家族に
「何が食べたい?」と聞くように、
自分にも優しく語りかけてあげる。
答えを待ってあげる。
最初はそのクイズにさえ
答えるのが難しかったけど、
少しずつ
「今は温かい汁物が飲みたい気がする」
「今は洋食の気分かも」
と、自分の心のモヤが
晴れていくのを感じました。
同時に、嫌いだった自分を
好きになっていく感覚もありました。
自分の気持ちに耳を傾ける練習は、
自分を大切にする練習だったのだと思います。
「正直」は、相手への信頼の証だった
そしてついに、友人の前でも
食べたいものを言える日が来ました。
実はこのときもまだ、直前まで
言おうかどうか迷っていたんです。
これまで自分だけの食事では、
自分の希望を聞いて叶えてあげてきた。
だけど自分以外の誰かに
(ましてや家族でない人に)
自分の気持ちを伝えるのは
怖かったし勇気が必要でした。
それでも、一呼吸おいてから言いました。
「パスタ、食べたいかも」
口にした瞬間、心臓の動きが激しくなったことを
今でも覚えています。
だけど、言ってみて驚きました。
相手は困るどころか、
「それなら、ここがオススメ!」と
嬉しそうに笑ってくれたのです。
その日以降も、尋ねられたときには
自分の希望を伝えるようにしました。
もし意見が違ったときには
わたしが折れればいい。
意見を伝えるだけで、気を悪くする人は
今のわたしの周りにはいない。
そう自分に言い聞かせることで、
残っている怖さを少しずつ乗り越えました。
実際に意見が分かれたことも、
もちろんあります。
そんなときには
「間を取ってファミレスにする?」とか
「今日はそれにして次はこっちに行こう」とか
擦り合わせていくことができるんだ、
と体感できたことも大きかったです。
その擦り合わせって、
どちらかと言えば楽しいもの。
時間を共有しているからこそできること。
自分の気持ちを伝えることは、
相手を困らせることではありませんでした。
「わたしはあなたを信頼して
本音を言っているよ」
「あなたと心で会話をしたいよ」
そう伝える行為でもありました。
自分の気持ちを聞くことができなかった頃、
わたしは正直になることが
怖いことだと思っていました。
でも実際は、怖くなんてなかった。
そこには優しくてあたたかい世界が
わたしを待っていました。
きっかけは、たったひとつの質問。
「何が食べたい?」
自分の小さな願いに正直になれたとき、
わたしの毎日はより彩り豊かになりました。
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