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プロの主婦

私の母は、プロの主婦だ。

そう思うようになったのは、大人になってからである。子どもの頃の私は、母が身の回りの面倒を見てくれることを、ほとんど空気のように受け取っていた。

ありがたいと思っていなかったわけではない。

ただ、それがどれほど途切れない仕事だったのかを、まるで分かっていなかった。


父は家事をしない人だった。

高度経済成長の終盤ごろに就職した父は、仕事一筋の人だったのだ。と言いたいところだが、午前3時ごろに帰ってきたり、「小田急線の一番端っこの駅から歩いて帰ってきた」と話していたり、夜中に目が覚めたら父が酔って拾ってきた子猫が枕元をうろついていたこともあるので、仕事一筋というより、飲み会一筋だった疑いもある。土日は遊びに連れて行ってくれることもあったが、それ以外は寝ながらテレビを見ているような人だった。

冒頭の書き振りからお察しとは思うが、娘である私も、家事の戦力としてはかなり心もとなかった。

母も諦めていたのだろう。私に対しては、食事をテーブルへ運ぶことと、食べた食器を下げること、時々洗濯物を畳むことくらいしか求めてこなかった。それすら、毎回指示されないとやらない私である。洗濯物も一応、指示されれば畳むのだが、同じサイズのTシャツが、私の手にかかると大・中・小と異なる大きさに仕上がった。長方形を目指して畳んでいるはずが、気づくと台形や菱形に近い形状になっている。まともに畳めていたのは、小さなタオルハンカチくらいだ。母はそれらを見て、黙って長方形に畳み直したりしていた。

今となっては恥ずかしいが、そんな暮らしのあり方を、当時の私は当たり前のものとして受け止めていた。

母は家のことをこなし、父は会社で働いてお金を稼ぐ。子供である私と妹は、勉強とスポーツ、習い事などに励む。家というものは、そういう役割分担のもとで成り立っているのだと思っていた。

今振り返ると、母の担当範囲は、あまりにも広すぎると思う。


30年ほど前の我が家、母の一日は朝5時から始まる。

まず父の朝食を用意する。私と妹は父より遅く起きるので、そのあと私たちの朝食を出す。父と私は米派、母と妹はパン派だ。そのため、母は早朝から炊きたてご飯も焼きたてトーストも用意する。緑茶も紅茶も淹れる。朝から定食屋と喫茶店を同時に営業するのだ。

母は私たちを送り出したあと、朝食の片付け、洗濯、掃除を済ませ、9時から始まるパートへ出かける。

パートが終わるのは16時。帰宅すると洗濯物を取り込み、すぐに夕食の支度を始める。レトルトや惣菜が食卓に出てきた記憶はほとんどない。残業で遅くなっても、「今日は簡単に済ませちゃった」と言いながら、ほかほかご飯と、焼きたての魚と、おひたしとお味噌汁などを出してくれた。

父は家で夕食をとることが少なかった。今のようにLINEなどないし、メールも気軽にできない時代だ。夕食がいるのかいらないのか、連絡が来ることは、ほぼない。

「今日は外で飲む日だな」と母が判断するのは、だいたい21時だ。この時間を過ぎても父が帰ってこなければ、父の分の食事をラップで包み、冷蔵庫へしまう。父の夕食が必要か否かは、本人からの申告ではなく、母の長年の観測データによって判定されていた。

そのあとはすぐに食器を片付ける。翌朝まで食器が洗われずに残っていたことは、ただの一度もない。水切りかごに干しっぱなしにしていたことも、一度もない。洗った食器はきちんと布巾で拭き、食器棚にしまう。そこまでやって、ようやくその日の家事が終わる。

母が熱を出した時は、私も「手伝おうか」と申し出るのだが、いつも「大丈夫よ」と笑って断られた。「生理痛が・・・」などという弱音は、母が閉経を迎える年齢まで、一度たりとも聞くことはなかった。

母の辞書に「寝落ち」という言葉はない。「風呂キャン」なんてもってのほかである。きっちり風呂に入り、髪を乾かし、私と妹とほぼ同じ時間に寝る。そして翌朝は、また私たちより早く起きるのだ。

ちなみに、父が食べなかった夕食は、翌朝に父の朝食として出される。

けれど、飲み会明けだからだろう。朝、父は食欲があまりないらしく、それを食べ切ることはほとんどなかった。私は父の残した皿を見ながら、子ども心に「自分が母だったら悲しいだろうな」と思っていた。

「もったいないね……」

私がそう言うと、母は特に気にする様子もなく、残ったものをゴミ箱へ捨てながら

「いつものことよ」

と、「お風呂のお湯、冷めちゃったわね」くらいのテンションで言うのだ。

母は、プロの主婦なのである。


私も、やがて大人になった。

しかし、成人したからといって、突然家事のできる娘に生まれ変わるわけではない。家を出るまでは母に世話を焼かれ続けた。相変わらず、掃除も洗濯も、料理もしない。それどころか、飲み会で深夜に帰宅することが増えたし、終電を逃して早朝に帰ってくるようなこともあった。

家事をしない・深夜帰宅の常連という点では迷惑レベルは父と並ぶ。ただし、父は一家の大黒柱として、しっかり家計を支えていた。

一方、私はどうだろうか。

特に家計を支えるわけでもなく、家事の戦力になるわけでもない。親が無条件に可愛いと思う年齢はとっくに過ぎたし、将来が楽しみな伸びしろももはやない。「帰りが遅い」と言われると、「小言が多い」と機嫌を損ねる。

成人した私は、母に心配をかけ、手を煩わせ、余計な気苦労ばかり増やす娘に成り果てたのだ。私は大黒柱どころか、使われなくなって場所をとるだけの家具のように、実家に居座っていた。

その後、私が家を出て、妹も家を出て、私が出戻って・・・と紆余曲折あり、そして8年ほど前、ついに母と父のふたり暮らしになった。父は相変わらず家事をしない人だったが、定年退職して以前より気ままに働くようになってからは、時々、気まぐれに料理だけはすることもあったらしい。

やっと手に入れた、少しゆるやかな夫婦の時間。ところが、父に大きな病気が見つかった。手術をして、一度は良くなったように見えた。しかし再発し、もう治すことは難しい状態になってしまった。

そして5年前、父は他界した。

プロの主婦は、ひとりになった。

常に誰かの面倒を見続けてきた母が、ひとり暮らしになったら、どんな生活をするのだろう、と思った。


母には、これといった趣味がない。少なくとも、私にはそう見えた。私が小さい頃はトールペイントをやっていたし、トリム体操の教室に通っていたこともあった。私が成人してからはピアノを少し習ったこともある。けれど、どの習い事も今は辞めてしまったし、どの習い事もすごく好きだからやっているという感じでもないようだった。ピアノは近所から苦情が来たため、売ってしまった。

失礼な話だが、父がいなくなったあと、母に何が残るのだろうと私は心配していた。誰かのためではなく、自分のためだけにご飯を作れるのだろうか。毎日掃除をするのだろうか。ひとりになった家で、母は何を楽しみに暮らしていくのだろうか。

自分がもしひとりの生活になったら、と想像してみる。

私は夫とふたり暮らしだが、夫が泊まりで出かけたりして不在になると、生活がわかりやすく崩れる。18時ごろになるとセブンイレブンへ直行し、蒙古タンメン中本のカップ麺、ピザポテト、ビーフジャーキーやチータラに、500mlの黒ラベルを3本と無糖のチューハイを1本をかごに入れ、それらをお供にアマゾンプライムで映画やアニメを午前3時くらいまで見続けるのだ。私がひとり暮らしになったら、これに近い日々を送るだろう。


全くプロの主婦の血を引いているとは思えない娘の心配をよそに、実家は私が暮らしていた時と、ほぼ変わらなかった。

部屋も水回りも、いつ行ってもきれいに掃除されている。むしろ、父や私たちがいた頃よりもきれいなくらいだ。ものを増やし、家を散らかしていたのは、主に父と娘だったのだから当たり前である。

冷蔵庫を開けると、ちゃんと食材が入っている。残り物も容器にきれいに収められている。野菜などは、高齢者の女性ひとりでこんなに食べるのかと思うほどの量で、ふたり暮らしの我が家より在庫が多いくらいだ。

カップ麺や惣菜に頼っている形跡はない。念のため、食事はちゃんと食べているかたずねると、母は

「毎日3食作ってるわよ」

と、なんでそんな当たり前のことを聞くの?くらいの顔をした。

プロの主婦は、ひとり暮らしになっても、プロの主婦だったのだ。


先日、父の命日に、夫と共に母の家へ行ったときのことだ。夕食を食べながら、母が意外なことを言った。

「私、最近、スピッツっていいなと思っているのよね」

一瞬、犬の話かと思った。母は子供の頃、スピッツを飼っていたという話を聞いたことがある。ひとり暮らしが寂しくなって、犬でも飼いたくなったのかと思ったのだ。

しかし母が言っていたのは、アーティストのスピッツのことだった。ロビンソンや、チェリーや、空も飛べるはずのスピッツである。

私はちょっとびっくりした。

母と音楽の関係性といえば、父が好きだったクラシックを一緒に聴くか、妹に誘われてピアニストのコンサートへ行くか、そのくらいだった。家には、父が買ったクラシックのCDくらいしかなかったし、母が主体的に「この音楽が好き」と言っている姿を、私はほとんど見たことがなかったのだ。そんな母が、今はYouTubeでスピッツを好んで聴いているという。

「私もスピッツ好き! 夫さんも好きだよ。みんなで聴こうよ」

私は提案し、テレビでライブ映像を流してみた。

いつもはニュースか、妹夫婦が来ているときに姪っ子用のプリキュアくらいしか流れていない実家のテレビから、スピッツのライブ映像。それだけで、見慣れたリビングの空気が変わった。

スピッツの「春の歌」が、部屋に広がる。

草野さんの歌声に、母の歌が重なる。歌詞をしっかり覚えているわけではないから、鼻歌だったり、時々歌詞が混じったりする。身体を上下左右に揺らし、リズムをとりながら。不器用な歌だ。

母がずっと不自由だった、というわけではないと思う。母は母で、家を回し、毎日を整え、父を支え、私や妹の成長を見守り、心配したり心を痛めたりしながら、その中にも、ちゃんと喜びや楽しさを見つけてきたのだと思う。

ただ、母が誰かのためではなく、自分のためだけに楽しんでいる顔を、あまり見たことがなかったような気がするのだ。

テレビの前で身体を揺らし、歌詞のあやしい歌を歌いながら、

「草野さんってかっこいいわよね〜」

と頬を緩める母は、スピッツが好きな、ひとりの女子だった。

私は、母のことをずっと知っているつもりでいた。家を出てからは、母のことを少しは「母」ではなく、ひとりの人として見られるようになったつもりでもいた。プロの主婦だと、尊敬するようにもなった。けれど、母にはまだ、私の全然知らない顔があったのだ。

もうすぐ母の誕生日がくる。頼まれたのは、薄手の羊毛布団だ。

羊毛布団は大きすぎるので、実家へ直接送ろう。そして私が出向くときは、ケーキと花と、スピッツのDVDを持っていこう。

#創作大賞2026 #エッセイ部門

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