見出し画像

「映え」のために奪われた、一粒の赤い宝石

街の外れに、少し変わった農園がある。

そこは、近所のお年寄りや学生が土いじりを楽しむ、平和な場所だ。

私は大学の研究の一環で、ここで野菜の世話をしていた。

土の匂いと、鳥の声。

そんな穏やかな日曜日の昼下がり、その「事件」は起きた。

突然の侵入者

「うわ、なにこれ! めっちゃ赤くて可愛い!」

静かな畑に、場違いな高い声が響く。

現れたのは、派手な服を着た若い女性と、カメラを持った男性の二人組だった。

彼女たちは、入り口にある「関係者以外立ち入り禁止」の看板を無視して、ズカズカと畑の奥へ入ってきた。

その手には、自撮り棒が握られている。

彼女の狙いは、私が担当している区画の「トマト」だった。

ただのトマトではない。

私の恩師である教授が、十年かけて改良を重ねた、世界に一つしかない貴重な品種だ。

「ちょっと、勝手に入らないでください!」

私は慌てて声をかけた。

理不尽な言い分

女性はスマホを構えたまま、私をチラリと見た。

そして、信じられない言葉を口にした。

「はあ? ケチくさいこと言わないでよ」

「宣伝してあげるんだから、むしろ感謝してほしいくらい」

彼女は悪びれる様子もなく、真っ赤に実ったトマトをもぎ取った。

「ちょ、やめてください! それはまだ……」

「うるさいなあ。たかが野菜でしょ? スーパーで買えば百円もしないじゃん」

彼女は笑いながら、トマトを口元に近づけ、何枚も写真を撮り始めた。

「見て見て〜、この農園、自然がいっぱいで癒やされる〜。このトマト、私が一番乗り!」

動画の配信が始まっているようだ。

男性スタッフも、ニヤニヤしながらそれを撮影している。

「お兄さん、邪魔しないでくれる? 映り込むと絵面(えずら)が悪くなるから」

私は怒りで手が震えた。

大切に育ててきた命を、「たかが野菜」と言い捨てられたことが許せなかった。

その時だ。

静かなる反撃

「おや、困ったことになりましたね」

私の後ろから、穏やかな声がした。

白髪の教授が、泥のついた長靴で立っていた。

「あ、このおじいさんがオーナー? ねえ、一個もらったくらいで騒ぎすぎだよ」

女性は教授に向かって、呆れたように言った。

教授は怒るどころか、困ったような顔で微笑んでいる。

「お嬢さん、その動画、もうネットに上げましたか?」

「上げたに決まってるじゃん。もう『いいね』がついたし」

「そうですか。それは……動かぬ証拠になりますね」

教授はポケットから、古びたスマホを取り出した。

「実はね、そのトマトはただの野菜ではないんです」

「は? 何言ってるの?」

「それは、ある病気の治療薬を作るために開発された、特別な研究用の品種なんです」

教授の言葉に、畑の空気が凍りついた。

重すぎる代償

「この品種には、莫大(ばくだい)な研究費がかかっています。そして、企業秘密の塊(かたまり)でもある」

教授は淡々と続けた。

「あなたは今、世界に数株しかない貴重なサンプルを破壊し、その証拠を全世界に配信してしまった」

「え……」

女性の顔から、血の気が引いていく。

「たかが野菜、ではありません。これは『知的財産』という、形のない財産なんです。それを盗んだとなれば、スーパーの万引きとは訳が違いますよ」

「う、嘘でしょ……? だってお金払えばいいんでしょ! いくらよ、千円? 一万円?」

教授は首を横に振った。

「この一粒に込められた十年の歳月と、失われた研究データの価値……。弁護士と相談しますが、おそらく数千万円単位の損害賠償になるでしょう」

女性の手から、真っ赤なトマトがポロリと落ちた。

スマホの画面には、状況を面白がるコメントではなく、「それヤバくない?」「通報した」という文字が溢(あふ)れ始めていた。

爽快な幕引き

「さあ、警察には連絡済みです。あとは法に則(のっと)って、粛々(しゅくしゅく)と進めましょう」

教授のその言葉は、どんな大声よりも重く響いた。

女性はその場にへたり込み、男性スタッフは青ざめて逃げようとしたが、ちょうど到着したパトカーに行く手を阻まれた。

パトカーの赤色灯が、落ちたトマトと同じ色に見えた。

騒動の後、教授は落ちてしまったトマトを拾い上げ、土を払った。

「かわいそうに。でも、君の犠牲は無駄にはしないよ」

そう言って、教授はいつもの優しい顔で、トマトを土に還(かえ)した。

静けさを取り戻した農園には、再び穏やかな風が吹き抜けた。

ルールを守れない者に、自然の恵みを受ける資格はないのだ。


ーーーーFin.ーーーー

もし物語が心に残ったら、執筆のお供のコーヒー代をいただけると嬉しいです。

いいなと思ったら応援しよう!

checkmens お疲れ様です。物語はいかがでしたか? もし気に入っていただけましたら、一杯のコーヒーを差し入れるような気持ちでサポートをいただけると、飛び上がるほど嬉しいです。 次の物語を練るための、温かいエネルギーにさせていただきます!