雑記:「若者のすべて」がわからない若者
はじめに
皆さんこんにちは。ななしです。今月2本目の記事ですが、今回は雑記を書きたいと思います。本当は、10月良く聴いた曲やよく聴いアルバムを紹介しようと思っていたんですが、10/19に配信した記事の内容とほとんど変わらなかったので、予定を変更したいと思います。
もう冬になりそうなので、そろそろこの記事を書いてもいいかなと思って書きます。先に言っておきたいのですが、この記事を上げるからといって私はみなさんの価値観を否定しているわけではないですのであしからず。それでは本題に入っていきたいと思います。
若者のすべては本当に名曲なのか
・・・言ってしまいました。今日言いたいのはこういうお話です。フジファブリックの「若者のすべて」はフジファブリックの代名詞を超えて、夏の大定番になってますね。それどころか、音楽の教科書にも載っています。でも、若者は本当にこれを理解できているのでしょうか。
志村正彦期のフジファブリックなら、空で歌えない曲の方が少ない私ですが、この曲は本当に理解できていないです。この曲との出会いは小学校一年生の夏でした。6,7歳のころにこの曲が好きになるはずがないですね。好きになったとしても歌詞に共感するとかはないじゃないですか。なので、そのころに好きにならないのはわかります。逆に私は、そのころから銀河にドはまりしているんですが。
それから時は流れて、中学生になって親のお下がりのスマホを使いだし、YouTubeでいろいろな曲を漁りました。そのとき、フジファブリックのいろいろな音源も探していたのですが、小学生の頃わからなかった「若者のすべて」を今なら多少はわかるのではないかと思い、MVを何度か見たんですよ。それでも全然わからなかった。何なら、「若者のすべてって言っている割に、若者である私が分からないのはどういうことだ。若者である私が分からないなら、若者のすべてってつけないでほしい。」なんて考えたこともあります。もちろん、すべての若者がこれを理解できるとは限りませんが、実は、恥ずかしながら今もこうした感情をいだいております。
若者のすべてが分からない原因を考えてみる
私なりにこの原因を考えてみました。こうなってしまう原因は、2点ほどありまして、一つ目は、フジファブリックの入り口が「若者のすべて」ではなかったからで、二つ目は「若者のすべて」を志村が作ったとは思えないからです。
原因①:フジファブリックの入り口が「若者のすべて」ではなかった
銀河から入ってしまったのが非常に良くなかった。深夜のヘンテコダンスソングと「若者のすべて」似ても似つかない。他のバンドはどう入ったかというと、例えば、スピッツは「ロビンソン」から入っていますし、東京事変は「群青日和」、イエモンは「JAM」から入っているんですね。他のバンドは、入口がそれぞれのバンドの代表曲なんです。もちろん「銀河」もフジファブリックの代表曲ですが、明らかに立ち位置が違いすぎる。逆に「若者のすべて」から入った人が、「銀河」で躓くのは良くある話です。ただ、私は「銀河」を作るのが志村正彦であり、「銀河」こそがフジファブリックの本流だとすら考えている節があるので、「銀河」で形作られたフジファブリック観はなかなか崩せていません。
正直、私としては、広く知られているフジファブリックの曲がほとんどこれだけという現状には全く納得いっていません。フジファブリックの名前を出しても、伝わらないときは全然ありますし、若者のすべてを聴かせたときに何となく知っているという人が結構多くてちょっとファンとしては悲しいです。「茜色の夕日」とか「赤黄色の金木犀」はネクストステップではなく、フジファブリック入門でいいと思っていますし、これら万人受けする曲もそうですが、「銀河」とか「TAIFU」とかのヘンテコ曲ももっと聴かれていていいと思っています。さらに、志村死後、これらの楽曲を歌い継いでくれた山内さんを始めとするメンバーだけで作った楽曲ももっと知られていいと思っています。もちろん、こういう現状があるのはしょうがないですし、人には人の好みがあるので、押し付けるようなことは致しませんが。
原因②:「若者のすべて」を志村が作ったとは思えない
上記したことと重なりますがが、ここでは別視点から本当に志村が作ったのかについて話します。陰謀論ではありません。
志村が真面目に歌っている曲(基本真面目だと思いますが、一部変な曲があるので・・・)、例えば、「茜色の夕日」、「笑ってサヨナラ」は実生活に即して出てきた曲だと思うんですよね。インディーズの時期に等身大の自分を歌っている感じがします。また、「バウムクーヘン」とか、「Anthem」とかもありのままの自分をさらけ出しているので、理解しやすいんですよ。なんだけど、「若者のすべて」だけ、志村の中からぽろっと出てきた曲な気がします。志村が散々悩んで考えて、その中で人生とは何か達観して見えたものを歌にしている。だから志村正彦の作った曲の中でもちょっと浮いていると私は考えてます。
歌詞の中に、「すりむいたまま僕はそっと歩き出して」というフレーズがあります。日常の中で嫌なことがあるけれども、それにずっと気を取られないで、バランスよく日々の生活を送れるようになっているように読み取れます。精神が発達して、子どもから大人になった感じが見て取れる。まあ、それでも不安や心配を覚えることももちろんあると思いますし、だからこそ「バウムクーヘン」とか「Anthem」ができたんですけど。志村の作る素直な曲は暗い方がいいと思っている節が私の中にあります。
シャムキャッツというバンドに「完熟宣言」という曲があります。この歌に「大体のことはもうわかった 曖昧にするのも慣れたさ そうやって僕や君の旅は 続いていくのさ」という歌詞があります。この歌詞と「若者のすべてはリンクするところがあると思っていて、成熟した大人の慣れとか、なんとなく流れに身を任せるようなゆるゆるとした生活ができるようになったということをシャムキャッツは言いたいんだと思っています。この部分と「若者のすべて」は、曖昧という点が共通しているのではないかと思い、引用しました。
考察:「若者のすべて」が分からないのは私が若者だから
この二点を考えた時、私がまだ、「若者のすべて」を理解できない本当の理由がやっと見えてくるわけです。それは、私がまだ若者だからです。私はもう22歳ですが、まだ就職したわけではないので、本当の社会の怖さがまだわかっていないんですね。まだ不安定なところとか、知らないことが多く存在しています。学生という身分にまだおぼれている。そのために、若いからこそ出る根拠が薄弱な批判とか、他人と衝突して自分から折れられないとか(これでも減ってきましたが)があるわけです。他にもいろいろあると思いますが、そうした若者の特徴や行動をまだ、俯瞰できるような立場でもなく、むしろ進んでやっています。あと3~4年たってあの頃はまだ若かったなとか振り返るときになって、初めて「若者のすべて」が完璧に理解できるようになると思います。つまり、「若者のすべて」は若者ではなくなった人間が、「若者だったときを振り返ったときに、私もあなたも、その他大勢の若者が、私と同じような若いころを過ごした」という、若者観の共有を行っているんですね。
また、今筆者は22歳で、発達段階の青年期の終わりごろに属しています。これが25歳くらいになると、壮年期と呼ばれる一つ先の発達段階に移行します。志村が、「若者のすべて」を制作したのは27歳ごろなので、壮年期に入ってすぐに作成しています。だからそれまでのアプローチが発達段階から変化しているということもいえるかと思います。この発達段階の違いからも、理解できない要素になります
結論と感想
結論としては、若者のすべてがフジファブリックの入りではなかったことと、まだ若者であるという2点が原因で、若者のすべてが分からないということになりました。そして、後者のまだ若者であるという点を深堀りして、私が若者であるからこそ、若者のすべてが分からないという結論に達しました。ここまで来るのに大分時間を費やしました。大変満足しています。
ただ、ここまで考えられたので、来たるであろうこの曲を完璧に理解できるようになる日まで、若者を楽しんでいきたいと思えています。ここまで私の拙い文章を読んでくださった方は本当にありがとうございました。また次回の記事でお会いしましょう。
今回出てきた楽曲
ページ全体を読み込めなくなるかもしれないので、一部楽曲のみYouTubeリンクを貼ります。
フジファブリックの曲
・若者のすべて
・茜色の夕日
・銀河
・笑ってサヨナラ(インディーズバージョンを貼ります。)
・バウムクーヘン
・Anthem
フジファブリック以外に出てきた曲
・ロビンソン/スピッツ
・群青日和/東京事変
・JAM/THE YELLOW MONKEY
・完熟宣言/シャムキャッツ
