見出し画像

<大津さんぽ>逢坂山越えという、土木遺産の宝庫を歩く

仕事で大阪に来てから、関西周辺のいろいろな行ってみたい場所を訪れています。大津に来たのは、前回の記事でご紹介した、琵琶湖疏水を遡上する舟に乗るためでした。(前回の記事はこちら)

今回は、その船から下船した三井寺付近から、逢坂山付近を歩いたことについて書きたいと思います。

■1 逢坂山とは?

逢坂山といえば、思い浮かぶのは、これ!という方もいらっしゃるのではないでしょうか。

これやこの 行くも帰るも 別れては 知るも知らぬも 逢坂の関

蝉丸

百人一首にも収録されている、蝉丸さんが作った有名な短歌に歌われた、旧東海道にあった、京都と近江の境界部にあった関所であり、京都から大津に向かう際に、必ずといっても良いほど越さなければならない峠です。そんな場所なので、昔から様々な道や鉄道が集まる交通の要衝であり、「日本初」のような土木遺産もあるような場所です。そんな逢坂山を目指して、三井寺付近から歩きます。

■2 アーケード商店街と、京阪京津線

長等(ながら)商店街は、逢坂の関から大津に至る東海道から分岐して、
三井寺の参道につながる道です。

長等商店街を抜けたところから三井寺方面に抜ける道は、古くは「北国街道」と呼ばれていて、京都から北陸方面に行く道だったのです。

長等商店街は、今ではちょっと寂しい気もしますが、大津市の商業の中心です。
なかなかすごい看板を持ったお店もありました。
懐かしのテレビCM、「目標、1327店!」のヒグチ薬局
アーケード商店街が連なる風景。なかなかすごいですね!
これが、大津市のメインストリート、東海道と、丸屋町商店街。

そして、この道路に走っている名物と言えば・・、

何といっても、京阪京津線!
地下鉄直通の4両編成が、路面電車に変身するのは、いつ見ても面白いです。

そして、この場所にあるのが、

この交差点、「札ノ辻」交差点と呼ばれていて、
元々ここで東海道がこの交差点で曲がり、北国街道が分岐する、昔の街道の一大拠点。
その片隅に、「大津市道路元標」を発見しました。
しばらく進むと、線路は専用軌道に吸い込まれる場所が。

専用軌道に入ってすぐのところに、京津線の上栄町駅があります。

■3 分断参道がある風景

さて、京津線が併用軌道から専用軌道に変わると、だんだん逢坂越えに向かう山越えのような道になり、平地が狭くなります。

線路を渡る、こんな素敵な踏切が(笑)。
このあたりが、大津宿本陣 だったようです。だから上栄町、なのですね。
明治天皇聖蹟の碑です。明治元年に京都から東京に移動された、
その後の往来の記録が刻まれています。
こちらは、急坂を荷車で昇降するのをアシストした、車石です。
旧東海道の道筋に、残っていることがたまにあります。
そして、この付近で交差しているのが、今の東海道本線。

東海道本線は、言わずと知れた東京から京阪神を結ぶ大動脈。この逢坂山と京都の東山を越えるのが明治初期の建設当時は難所であり、南に大きく蛇行し、伏見稲荷付近を迂回して京都を目指すルートになりました。その後長いトンネルを掘削し、線形改良してできたのが、この線路になります。

複々線になった線路。上を京阪京津線が交差しています。
これは、京阪電車と立体交差する、蝉丸跨線橋のレンガアーチ。
大正10年の完成。既に100年が経過していますね。

このレンガアーチのすぐ裏側に、選奨土木遺産でもある、新逢坂山トンネルがあり、今は大津~山科~京都を直線に近い線形で結んでいます。

フェンスにさりげなく取り付けられた、「旧東海道」の標示。

さて、ここからは国道1号(旧東海道)と山裾の間に京阪京津線が通りますが、神社やお寺も多い場所なので、何だか分断参道のオンパレードになります。

こちら、妙光寺踏切。分断された先のお寺は、勿論妙光寺さんです。

そして、次がとても面白い分断参道。

神社の参道入口に常夜灯と提灯、そして坂道+踏切に、鳥居。
あ、電車が来たので絶好のシャッターチャンス(笑)。
ということで、分断参道ならではの記念写真が撮れました(笑)。

この神社は、関蝉丸神社の下社です。関蝉丸神社は、先ほど紹介した短歌を詠んだ、あの蝉丸さんゆかりの神社で、もう少し坂道を上がったところにある上社と、さらにもう少し京都よりに進んだところにある、分社である蝉丸神社があります。逢坂山越えの道祖神のような感じでの崇拝もあるような神社です。

蝉丸さんの歌碑があります。
狭い平地なので、踏切で分断せざるを得なかった参道です。

■4 日本最初の本格鉄道山岳トンネル、逢坂山隧道跡

そして、旧東海道は、京阪京津線を渡ります。

この付近に、かつて京阪京津線の上関寺駅があったそうです。踏切の左右にホームがあったそうです。

その踏切のすぐ隣には、旧東海道本線の橋台跡が残ります。
なかなか立派な橋台です。京阪線の勾配も、とても急なことがわかりますね。
明治時代の東海道本線は、斜めに横断していきます。
旧東海道と、左から今の国道1号が合流します。

今の国道1号は、この付近から東にカーブしていきますが、このルートこそが昔の東海道本線のルートと思っていても良いかと思います。

新旧逢坂山トンネル付近を今昔マップで見たところ。面白い探索ができるエリアです。
昔の東海道本線の廃線の敷地は、大津市の大谷加圧ポンプ場となっています。

それを抜けると出現するのが・・、

旧逢坂山隧道東口、を案内する説明板が。
こんな感じの、ずっしりとした重厚な坑門と対面できるのです。

このトンネルは、1880年(明治13年)の開通。日本で初めて日本の技術者だけで作り上げた山岳トンネルであると知られています。

扁額に書かれた、「楽成頼功」の文字は、三条実美さんのものです。
トンネル坑内に少しだけ入ることができます。
トンネルには、鉄の扉があります。

実はこのトンネル、現在も京都大学防災研究所の逢坂山観測所として、地震動の観測などの計測機器を設置されている、現役の研究施設として活用されています。土木遺産の有効活用という面では、なかなか興味深い活用方法ですね。

そして、もう1線トンネルが。こちらは1898年(明治31年)に開通。
明治時代から複線化工事が行われていました。
複線化された、2つの明治トンネル。
線増された側のトンネル坑口に、小さな祠が。
工事で犠牲になられた方の慰霊のためでしょうか?合掌。
坑口から反対側を見ると、大津市の水道施設と、先ほどの旧橋台が。

この水道施設は、鉄道省が逢坂山トンネルやその後の新逢坂山トンネルを掘削し、周辺の水道水が枯渇したことの補償として作った、大津市の「南部水道」が起源の施設のようです。実は鉄道建設と深いつながりがある施設なのですね。

■5 名神高速道路・蝉丸橋と、逢坂の関

逢坂山トンネルから、さらに京都側に山を登ります。

またこんな小さな踏切が。
こちらも、念仏寺という小さなお寺の分断参道のようです。
そして、見えてくるのが、この立派なアーチ橋。

このアーチ橋は、名神高速道路の蝉丸橋です。この橋を含む、栗東IC~尼崎ICまでの区間が、1963年(昭和38年)に開通した、日本で最初の高速道路。高速道路の原点のような場所なのです。実はこの蝉丸橋、開通後25年程度経過した1990年頃に、桁の損傷などの劣化の進行が問題になり、補強対策を施したことでも知られています。当時の土木学会全国大会の報文を見つけました。平成2年度の土木学会田中賞を受賞しています。

京阪電車と国道を一跨ぎする橋。これの架設や補強工事は難工事だったことでしょう。
そして、蝉丸橋の両側は、蝉丸トンネル大津トンネルという2つのトンネルが。
京津線の勾配標。41.3パーミルの難所です。
そして、ここが、関蝉丸神社の上社です。

関蝉丸神社があるので、名神高速のトンネルは蝉丸トンネルなのですね。山越えのトンネルなので、よく渋滞スポットとして道路交通情報でおなじみかもしれません。

京阪電車も、大きくカーブしてトンネルに突入します。
国道1号は、大きな切通の峠道です。歩道橋は、東海自然歩道です。
恐らく昔は歩道橋の高さくらいの峠だったのでしょうね。
峠を越えたすぐ先に、常夜灯とあずまやがあります。
この場所こそが、逢坂山関跡です。

京都と大津を越える峠は、昔から関所があり、いろんな道路や鉄道が山を越える難所。なかなか面白い場所です。

■6 大谷駅と、旧逢坂山トンネル西口

京阪京津線のトンネル出口。上を越えるのが、旧東海道です。
旧東海道の大谷駅周辺は、うなぎの有名店があります。
ウナギのおむすび、「うなすび」があるのですね。思わず購入。
とびだしうなぎ君と、うなぎ注意の標識。
そして、こちらが蝉丸神社です。
蝉丸神社を越えると、「大津出口1.5km 大津インターはSA併設です」の看板。
蝉丸トンネルの真上から。名神高速を走る人からはお馴染みの車窓ですかね。

そして、この蝉丸トンネルの上には、こんな石碑があります。

旧東海道線 逢坂山とんねる跡

こちらの碑文が、なかなか熱いものがあるので、転記します。

石碑の碑文です。日本道路公団が建てました。

明治13年、日本の技術で初めてつくった旧東海道線逢坂山トンネルの西口は、名神高速道路建設に当たり、この地下18mの地点に埋没した。ここに時代の推移を思い、碑を建て記念する。
              昭和37年12月 日本道路公団 建立

ということで、日本で最初の鉄道トンネルの地を、日本で最初の高速道路が通っている、という記念すべき場所でした。この工事で、昔あった東海道線の大谷駅も高速道路の下に埋まっているそうです。

そして、こちらが京阪京津線の大谷駅。
先ほど買ったうなすびを食べながら、電車を待ちます。
京津線の電車で、今日の長旅を終えます。

■7 旅の終わりは、三条京阪

京津線に乗り、降り立ったのは、三条京阪駅です。

三条京阪と言えば、「土下座像」で知られる、髙山彦九郎像が有名です。
この像は、土下座ではなく皇居望拝、すなわち、京都御所に伏して礼をする像、なのです。

学生時代に三条京阪で待ち合わせするとき、よく土下座像前で待ち合わせした、懐かしの場所です。

そして、東海道の終点、三条大橋へ。
ここの橋の擬宝珠には、三条大橋の近代化の歴史が刻まれています。

■8 終わりに

今回の街歩きは、琵琶湖疏水の船に乗るところから始まり、逢坂山トンネルなど、明治時代の貴重な土木遺産を沢山めぐるツアーのような感じになりました。逢坂山越え周辺は、まだまだ色んな魅力がある場所です。再訪してまたゆっくり見てみたいと思います。

いいなと思ったら応援しよう!

TakashiKATO よろしければ応援をお願いします!新たな街歩きをしていきたいです。