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神様が見えても、幸せとは限らない

「床屋は天職ですね。」と言われたことがある。

30年続けた床屋を廃業した時に、ゲリー・ボーネル氏のセッションを受けた。
その時の言葉がこれだった。

彼によると、私の手からエネルギーが出ていて、使命が人の自己肯定感を上げることらしく、床屋はまさに天職だから、続けるといいとのことだった。
続けなかったけれど。

手からエネルギーを出すといえば、祖母だった。祖母は一時期、龍神様の拝み屋を生業としていて、見えないものが見え、聞こえないものが聞こえた。
痛いところに手を当ててもらうと、いつの間にか痛みがひいたし、
枯らした観葉植物を預ければ、翌年には青々と蘇っていた。

でも、祖母が幸せだったかというと、
どうなんだろう、分からない。


祖父は、戦後の混乱で戸籍を書き換え、
「林 外喜男」だったはずの名前が、ある日突然
「及川 清」になった。
そのうえ、娘の同級生の母親と駆け落ちして失踪したかと思えば、
何年かして、何事もなかったように戻ってきたりもした。

祖母は、「祖父にお茶を出す時に、お茶が包丁に見えていた」と言っていた。
母が祖父のことを語る時は、今も怒りが滲んでいる。
当然、母と祖母の関係もめちゃくちゃだった。

祖母が趣味のコーラスに出かけた隙に、母が玄関の鍵を替えて、
祖母を家から追い出したこともあった。

そんな家で育った私は、
神様が見えようと、手から何かが出ようと、
それで人生が幸せになるわけではない、ということを、早くから知っていた。

神様が見えても、幸せとは限らない。
私はただ、幸せに生きたかった。


理容師として働くうちに、私の手はだんだんと、
髪の触感から「言葉にならないもの」にふれるようになっていった。

何も言われていないのに、
「こうしてほしい」が伝わってくるようになった。
それは、床屋としては便利なセンサーだった。

でも同時に、「誰かの期待」に応え続ける毎日に、
少しずつ、空気が薄くなっていくような感覚を抱えていた。

次第に、「もうふれたくない」と手が訴えるようになり、無視していると、今度は身体のあちこちに痛みが出はじめた。


その頃、運動のために出かけたヨガ教室で、瞑想と出会った。
2017年のことだ。それ以来、瞑想は私の暮らしの軸になった。

その後、リーディングやヒーリング、スピリチュアルな学びを深めてきた。
けれど、根っこの部分にいつも響いていたのは、やはり祖母の言葉だった。

「その人を癒せるのは、その人自身なの」
祖母はよくそう言っていた。

救いたい、癒したい、変えたい──
一見善意に見えるけれど、
「私が治してあげますよという人に会ったら、
その場から逃げなさい」
と祖母は私に教えた。

「必要なことしか起きないんだから、大丈夫なの。
人にできるのは、“いま何が起きているか”を
一緒に見ることだけよ。」

それによって祖母の人生が混乱を極めていたのも、また事実ではあるのだけれど。


さて、私はもう、髪にふれるためのお席に、お客様をご案内することはありません。
でも、言葉にならない感情にふれるためのお席になら、ご案内できます。

雑談、と名前のついたお席ですが、ほとんどの方がなんらかのワークをご希望されます。
雑談セッションで特に人気があるのは、身体感覚だけを使って、ご自身の信念を観にいくワーク(マネーワーク)です。

私が提供しているセッションは全て
「あなたについて語るのはあなた自身」です。
遠隔ヒーリングも、あなたを癒すのは
「あなたのインナーヒーラー」。

それは、「あなたにもできる」ではなくて、
「あなたにしかできない」から。

いま、鋏を置いて、セッションすることを選んでいるのは──
たぶん、祖母の言葉の意味が、少し分かるようになってきたからかもしれない。

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