恋の墳墓 12
病いは忘れた頃にやってくる ――村隅 徹の手記5
俺は現実感を喪失しようとしている。明美は既になく、いまの編集の仕事は完全に機械的な作業でしかない。もはや俺の心の支えは無機質なひとり人住まいこの部屋でしかない。音楽を聴く。だめだ。エスプレッソを入れる。だめだ。浴室で熱湯と冷水の鮮烈な刺激を繰り返す。だめだ。食べること、飲むこと。これも俺を満たさない。リルケを少し読んだ。孤独がわんさと詰まった言葉の玉手箱。崩壊寸前の狂気の求道者の佇まい。
人間が人間でいられるのは、魂の優劣以前の問題として、その者が孤独から遠くにあり、本当の自分と正対しないで過ごせるからだ。鏡をのぞき込むとそこには鬼が棲んでいる。社会は大きなゆりかごで、鏡には布きれが被されており、鏡をめくろうとする善良な探求者は精神を病んだ詩人となる。想像力が希薄な者は容易に犯罪へと走るだろう。同じ病人でも高度なテクニックでもって世間と関わろうする者は政治家となる。空想の世界において革命を試みる者は芸術家や宗教家となる。彼らは神を見たい。何の神を? たったひとりの禍(わざわい)の神を。清純さと官能の入り交じった救いの神を。人間を卑小にするすべてが憎い。夢を見るのはいつも病人だ。
――ヨカナーン! ヨカナーン! お前の首がほしい。跪(ひざまつ)いて私のおぞましさを吸うがいい。私をソドムと呼ぶがいい。ゲヘナの海の、末裔ども、私の愛のおぞましさによって、うぬらの穢れを知るがいい。汝ら、汝、われの出現において恥よ。恥じて巷のくずとなれ。なれなれしくまどろむまむしの末ども。われの中で神を見よ。生きる時間を蝕む神を見よ。そして目に見える一切を否定せよ。
LINE友達のミウが頻繁に連絡を寄越してくるようになった。俺はトオルくんとして、ミウに返信する。なぜ主婦がトオルくんに惹かれるのか? ミウのパニック障害など、俺からすればお笑いぐさの神経症だが、それだけにミウは俗物の生き方の中でも本当の自分に嘘はつけなくて、いまある自分に相当の嫌悪感があることは事実だ。本人はその嫌悪感を隠すために、子供の頃から背伸びばかりしている。病いは、後遺症は、だいぶあとになって忘れた頃にやってくる。だがそれは自分が選択した人生からの報いであろう。生きていく過程において歪められ抑圧された感情はどうしたところで噴出する。俺はその自覚をどうやらミウに与えつつあるらしい。だが、ミウ。君は、真実を知ることに耐えられるのだろうか……。
――LINEしていて、逢いたいと思ってしまったら、結局はどこかで逢ってしまうことになると思うの。男女なんてそんなもの……。こんな気持ちって、ルール違反かしら。
俺はこう返信してやった。
生きている限り時間はずっと流れていきます。ミウが過去において、選択したもの、それはそれで尊敬すべきだし、いまの生活にある種の孤独を感じていたとしても、家庭生活が最終的に守らなければならない価値であれば、恋は危険な要素です。愛は守るもの、恋は流れるもの。だけど、今日という日が明日も同じように続くとしたら、そこには何の緊張感もなく、何の危険もなく、したがって時間は無益な世間との繋がりにすぎなくなってしまうでしょう。もし時間に希少価値を持たせるとしたら、僕たちは何をすべきでしょうか。それは、いまを限りに生きることです。一瞬一瞬が最後の情熱であり、そのめくるめく繰り返しが本当に満たされる自分だとしたら、恋はいまを限りの流れる情熱であり、一瞬一瞬のぎりぎりの死です。昨日想われた気持ちが明日に持続する保証などない。昨日あれだけ燃え上がった情熱が、翌日には平凡な価値に落ちてしまうかもしれない。そんな不確定な魂の高揚に、ミウがいま持てるもののすべてを犠牲にするなんて危険な賭けです。でも、ミウ、危険だからこそ魅惑なのでしょ? 僕たちには理性があります。未然に危険を回避することもできます。だけどそれを乗り越えたいとする自分がいて、そこへ到達したいと想える価値なり、相手がいたら、結局、逢ってしまうと思います。僕の考えは間違っているのでしょうか。
ミウは俺の言葉に触れてから時間の過ごし方がわからなくなってしまったようだ。夫と二人の子供を送りだしたあと、夕方までの時間の過ごし方がわからないと。俺は何もしていない。ミウの生活の価値も否定していないし、ミウが俺に想いを寄せてくることも俺の仕掛けたわなではない。俺はトオルくんを演じ、本当の自分をくらましつつも、ただ真実の言葉で話しかけているだけだ。社会生活を破綻させない唯一方法は、考えないことだ。人生の意味を深堀りしないことだ。世間が認知する社会的優等の表象(しるし)の中に自分を埋没させ、本当の自分を見詰めないことだ。なぜコミュニケーションが必要なのだろう。それは他者と関わっていさえすれば本当の自分と対話しないですむからだ。人間の精神は自分の姿を正視できるほど強くはない。個々の人間の価値は、どう分析したところで宇宙のカケラほどでしかないのだから。真実でなく幻想が必要だ。カケラにも神の栄誉の仲間入りが許される幻想が……。しかし幻想すら抱けぬ者は世間と折り合いをとらなくてはならない。そう、ミウのように。
――ミウ、自分と正対することは危険なことなんだよ。一度人生を疑いはじめたら君の生活など、坂道を転がる石ころのようなものだ。
俺は確信している。ミウという女は、いまだかつて、人を愛したことがないことを。その理由は、ミウが人から愛されたことのない人間だから。魂の次元で、本当に人から必要とされたことがない人間だから。その憤りが文面から伝わってくる。ごまかそうとしてもだめだ。人は理不尽な状況に放置されると、まずは生存を第一に考えて、そのひどい現実を自我の中に埋没させるが、その憤りは魂の水脈となってちゃんと生きている。そして歪められたエネルギーはその緊張から解放されたくて必ず表に顔をだす。
ミウのことを心配している? おかしな話だ。ミウ、俺に深く関わらないほうがいい。俺は本質をしか愛さない。本質でしか満たされない。もし俺がミウのことをほんの1ミリでも好きになるとしたら、ミウの汚れを、その人生の泥化粧をすべて裸にしてからだろう。そのとき免疫のない君は、果たして精神の平静を保てるのか?
ミウの写メを眺める。三十九歳には思えない女の美しさがある。目に力があって、肉厚の収まりのいい鼻。唇はうすいルージュで濡れて、やや日焼けした褐色の肌を誇るようにノースリーブの服をいつも着ている。躰全体の印象はふっくらとしている。白とベージュとうすい緑色の服が好みのようで、強烈な原色の服を好まないところが既に精神の消耗と本当の自分をくらましたいとする無意識の配慮のように思える。ミウの笑顔はたぶんトレーニングされたものだろう。じつに均整のとれた笑顔で写真映えがして、それだけに目の内には醒めたものが感じられる。ミウ。二人の子供がいて、都銀の支店長クラスの夫がいて、君はそのような幸福なイメージに囲まれて、毎日、何を見ている? ゴールデンレトリバーの飼い犬だけが君の唯一の友達ではないのかい? 毎日、妻を演じ、親を演じ、おしゃれな主婦を演じ、深夜たったひとりの寝室で、君はパニックに襲われる。冷たい骨だらけの老人の手が君の心臓をわしづかみにして揺さぶる。おい、起きろ、ミウと。本当のミウになれと。だがまだ三十九歳、すべてを捨て去り、世間から羨望を浴びるいまの生活に見切りをつける理由などどこにも見つかるまい。そこが君の生息する場所だ。だがどうする。未来は、時間は、懲罰のように永い。現にパニックに見舞われて、精神の本音と現実は微妙なアンバランスを露呈しているではないか。子供は可愛いかろう。だがその子供たちもやがては自分の生活を第一に考えるようになる。子供が成人に達する頃には、ミウの肉体は衰え、隣には腹のふくれた、ヤニ臭い、顔の表面が弛緩した、加齢臭のきつい、馬鹿な中年男が濡れ落ち葉のように君にはりついてくる。見るな。目をふさぐべきだ。
君の時間を整理してあげられるのは、きっと、俺のような非人間であろう。だがそれは外科手術のようなもので、血が流れでるのだよ。俺はミウを壊すつもりなどない。そんなことはもうこりごりなんだ。人間など好きにやればいいのさ。信じ、愛し、期待したところで、人間など俺を踏み台にしてまた世間へと流れていくに違いない。俺の手のひらにはいつも人間どもの温もりの余韻だけが残る。ちょっとだけ真実と添い寝してみたいだけだ。そんなわがままな欲望に、俺は自分の大切なものをこれ以上提供する気などない。愛なんて、もうこの世には存在しない。
俺は、ミウにコンスタンの『アドルフ』を読むことを勧めた。あの優れた恋愛心理小説を読めば、少しは俺の言いたいこともわかるだろう。ミウ、君は、若き青年アドルフを愛しきれるのか。『椿姫』のマルグリットのようになれるのか。情熱を貫き通すには勇気と犠牲がいるのだよ。愛し・愛されること、それはあくまでも理想なんだ。一瞬一瞬の死の覚悟がなくて、どうして恋などできようか。
