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ブラジルと北海道・移民の国

 北海道とブラジルの共通点、それは先住民を別にすれば、どこかよその場所から移住して来た人たちの作った場所、ということだろうか。
私が住んでいたサンパウロは、、オランダ人、スペイン人、ポルトガル人、ドイツ人、(そしてアフリカ諸国から連行された奴隷貿易の悲しい歴史も忘れてはならない)から始まって、その後、コーヒー栽培の発達とともに大量のイタリア移民が入り、サンパウロは「リトル・イタリア」でもある。
イタリア本国よりピッツァ屋が多いとか。確かに美味しいイタリア料理屋が乱立している街でもある。

100年以上前、ブラジルには日本人移民も多数入植していた。
時々、戦前さながらの小津安二郎監督の映画「東京物語」に出てくる原節子的美しい言葉遣いの老婦人がいたりして感激することがあった。
日本から一番遠いブラジルの地にタイムカプセルのように戦前の日本の風習が残っていたりして興味深い。日系人は勤勉で丁寧で勉強がよくできる、というのがブラジルでのイメージ。なので大変、親日的な人が多い。

さて、北海道は・・・明治時代に新天地を求めて「北海道開拓」ブームがあり、詩人・高村光太郎も「都会を捨てて札幌月寒に入植して牛飼いになってバターを造る農的生活」などと血迷って、あっという間に挫折して東京に舞い戻っている。
作家・国木田独歩など、なんと歌志内にまで足を延ばしたという記録がある。やはり「新天地・清教徒的農的生活」を求めて、なのだ。
炭鉱が開かれて間もない、歌志内線が開通したばかりの歌志内は、秋田の鉱山からやってきた労働者が多く、もう開拓当時から酒を出す店があったらしい。国木田の著書にそんな記述が残ってる。

ところでブラジル・サンパウロにはなんと、赤レンガ造りの「北海道県人会」があり、若いブラジル人が「よさこいダンス」を練習していたりする。
北海道からよくブラジルにねえ・・・。船で1か月以上もかかったという。
ある時、偶然知り合った日系ブラジル人が「私は12歳まで北海道の芦別で育って、炭鉱の閉山とともに家族でブラジルに渡った。」と話してくれた。
日本語はかろうじて話せるが、漢字が難しいそうだ。
同じ船でブラジルに渡ってきた「炭鉱移民」という人たちがいたという。
サントス港に到着したとたん、ブラジル各地に散ってしまい、もう今は消息も分からないそうだ。かれこれ50年以上前のことだものね。

こんなふうに、実はブラジルと北海道(空知地方)の炭鉱町は細い糸で結ばれている土地なのだ。サンパウロ北海道県人会のお祭りに行くと、屈強なアフリカ系ブラジル人が法被を着て「イカ焼き」を焼いていたりして、おもしろかったな。

ブラジル・サンパウロにも北海道を懐かしく思う人たちがいることを覚えていてほしい。帰りたくてたまらない気持ちのまま、遠い外国で命を終えた人達がいた、ということを。
(歌志内市地域おこし協力隊・石井葉子



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