私は怒っていた。でも、その怒りを認められなかったー 怒りの奥にあった「守ってほしかった」という願い ー
🌙私は長い間、
自分はあまり怒らない人間だと思っていました。
むしろ我慢強い方だと思っていました。
嫌なことがあっても耐える。
納得できなくても飲み込む。
自分さえ我慢すればいい。
そんなふうに考えていたからです。
怒って黙り込むことはありました。
でも私はそれを
我慢するのは当たり前。
我慢できる私は偉い。
そう思っていたのです。
だから自分の中にそれ相応の怒りがあること
に気づけたのは比較的最近のことです。
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🌙最初はおいそれと受け入れられませんでした。
私は怒っていたんだ。
傷ついていたんだ。
本当は納得していなかったんだ。
その気持ちに気づくと同時に
戸惑いもありました。
怒っている自分を、
どこか認めたくなかったのです。
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🌙怒りという感情は、
私の中でハッキリ言って悪役でした。
怒る人は怖い。
怒鳴る人は苦手。
怒りをぶつけられるのも嫌でした。
だから怒る自分にも抵抗がありました。
怒ってはいけない。
もっと理解しなければいけない。
許さなければいけない。
そんな考えが何度も出てきました。
私は怒りに気づいてからも長い間、
「そんなことで怒るなんて心が狭い」
「相手にも事情があったはず」
「私の受け取り方の問題かもしれない」
そんな考えが何度も浮かびました。
だから私は、
怒りを感じている自分を
認めることができませんでした。
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🌙今振り返ると、
私は子どもの頃から怒ることが怖かった
のだと思います。
祖父に怒鳴られたことがありました。
悪態をついている大人に反論なんてできません。
ただ終わるのを待つだけでした。
けれど改めて振り返ると、
本当につらかったのは
怒鳴られたことだけではありませんでした。
私は心のどこかで、
母に守ってほしかった。
祖母に守ってほしかった。
そう思っていました。
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🌙「そんな言い方しなくてもいいでしょう」
「この子は悪くないでしょう」
そう言って味方になってほしかった。
怖がっている私を見て、
間に入って守ってほしかった。
でも、その願いは叶いませんでした。
もちろん大人たちにも事情はあったと思います。
でも子どもだった私は、
守ってもらえなかった。
そう感じていました。
だから怒ることよりも先に、
我慢すること、
自分が悪いことにすることを選んだ
のだと思います。
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🌙もしあの時、
「おかしい」
と感じた気持ちをそのまま認めていたら。
きっと怒りも感じていたはずです。
でも私にはそれができませんでした。
怒ることは怖かったからです。
大好きな人たちを
責めることも怖かったからです。
だから怒りは外へ向かわず、
私の中へUターンしてきました。
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🌙怒りは消えたわけではありませんでした。
ただ向きを変えただけでした。
本当は、
傷ついた。
悲しかった。
怖かった。
そう感じていたはずなのに、
その感情は少しずつ、
「私が悪い」
へ変わっていきました。
そして気づけば、
怒りは自分を責める言葉になっていました。
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🌙でも最近になって思います。
私が感じていた怒りは、
誰かを傷つけたい気持ちではありませんでした。
傷ついた。
悲しかった。
怖かった。
その気持ちを、
誰にもわかってもらえなかった。
ただそれだけだったのかもしれません。
そしてその奥には、
守ってほしかった。
味方になってほしかった。
そんな願いがあったのだと思います。
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🌙もしあなたが、
なぜかいつも自分を責めてしまうなら、
その奥にはまだ気づいていない怒り
があるのかもしれません。
そしてその怒りの奥には、
守ってほしかった。
わかってほしかった。
味方になってほしかった。
そんな悲しい気持ちや切実な願い
が隠れているのかもしれません。
怒りは悪いものではなく、
自分の大切な気持ちを教えてくれるサイン
でもあります。
私も少しずつ、
その声に耳を傾けていこうと思います😌

