初投稿|文学「抽象の論理融解に至る空白」

私たちの思考はなぜ途切れるのか? 
考えたことはありますか。

言葉の作用しない隙間に秘めた思考プロセスは
交錯を必要とし、また視覚と空間の
橋渡しとなるのです。

思考の先に立ち止まる瞬間、
あなたはプラットフォームが忽然と姿を消す情景に立ち会うかもしれない。

元来、理解と処理の相互関係は表裏一体。
同一パターンで記憶の定着に関与していると認識するのが一般的です。

しかし、何かが欠けていたら?

処理に特性を持つ者は具体を好み
理解に特性を持つ者は抽象を好むのです。

正反対の両者は交じり得ない水と油だと思う人もいるかもしれない。
それを補完関係と仮定すれば
架け橋は何だろうか。

優劣に則って情報の波を泳ぐ凹凸のある個体は
どこかに空白を持ち合わせている。
彼らは具体的にどのような思考を持ち合わせるのでしょうか?


マジョリティがカテゴリーに分類される時代に、
不可視な対象は霞んで見えるかもしれません。

書店で一番目立つコーナーには
"言葉"にまつわる本が所狭しと並べられています。

感情を持たない媒介が人とやりとりする昨今に
機械や端末、webサービスに囲まれた環境。
マニュアル化した現代には
正解のわからない対人コミュニケーションに苦悩することも多いでしょう。

不安は行動に、安心は消費につながり
可視化への重要性を裏付けしたニーズは高まっていると言えます。

透明なものを認識出来る透明な個体は
不透明も表現できる可能性を示唆している。
そして不透明な存在は認知されていく。

何より、今まで目にすることがなかったものほど
公開されると人は興味を唆られるのです。


さて、凹凸のある個体では
独自の優劣に複合して空白を創出するマッチポンプが備わっています。
具体的には透明を不透明に変換する作業です。

なぜそれが、可能なのか。
彼らは、凹みに不可視な物を置く空間を残しています。

論理と抽象の可能性を引き出す役割を持つ両者が合致するため、目に見えない空白は
無を有に育てる土壌を示しているのではないでしょうか。

抽象世界を形に変換するのが論理であり、
論理に疑問を提供するのが抽象ではないか?

そしてタイトルの回収です。
空白を与えている実体は感情の共鳴では無いか?
ということです。

感情って、抽象にも論理にも存在するのですね。
美術が学術的作品や体感型作品など多角的な視野から思想を持つように、
抽象も論理も、起源を辿れば感情の交差する起点が落ちており、
芯に触れたわずかな時間だけは
知らない扉を開けて隙間から覗く景色に感嘆する
抽象も、論理も考えもつかなかった世界が
姿を見せるかもしれない。

いずれ、感情を理解した私たち自身が論理と抽象の架け橋へと成り代わるかもしれない。




あなたは思考する時、
何を大切にしていますか。
整合、動機、結論、勝敗、公平、理解、尊厳etc

思考を正確に言葉にするのって
論理派には実はとても楽しい作業かもしれません。

行ったり来たりを繰り返すことが出来れば
人生の視点は立体的になっていく。



論理の色は何色なんだろう。
そう考えた時頭に浮かぶのは数字やデータでしょうか。

なぜニュートンはリンゴの落下に着目したのでしょうか?



心って、面白いんですよ。
目に見えない物なのに、形ある物と繋がれたり
形ある物自体を変える潜在能力を控えていたりします。




創造は歴史、医学、学術分野において
発起者の役割
すなわち、実体は過去・現在において
トライアンドエラーの第一人者として機能しているのかもしれません。
何かを生み出す時、思考の空白というのは
不可欠になり得るのです。

私たちは日々、膨大な数の記憶と情報の元に時間を消費しています。
中で「思考」という手段は
各地を巡る広大な旅のようなものだと私は考えます。


空白を辿る軌跡の解像度には
人それぞれ様々な厚みのフィルターが備わっている。

壁を越えた先には息を呑むような答えが
隠れているかもしれません。




今回、初めてではありましたが、文章を読んでくださりありがとうございました。
そして、こちらの作品を通してあなたの一番のお土産は脳の空白です。

この文章それ自体が機能し、論理融解を表してみました。
そして、今一つの空白を
あなたの脳に残せたなら
新たな創造の道筋となる光を
見せる歩みを残しつつ
私はここでささやかな第一章を終えることとなります。

抽象が固有に、論理が無固有に姿を変える大人たちの遊びは思考をより深みへと連れ出してくれるのではないでしょうか。

鮮明な世界は本当に美しい。
ここまで読んでくださりありがとうございました。

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