東海自然歩道_38|中山道から岩村を経て明智へ
今回は7月12日に歩いた
東海自然歩道38回目について🙌
ルートとしては35回目の続き
恵那コースを歩きました🍃

ちなみにこの間の36、37回目は
冬季積雪で歩けなかったルートで
アクセスが悪く保留としてた道
ここ歩ききったことで今回から
新たなエリアを歩けます😄
■これまでの軌跡

※詳細地図は目次最後の今回のルートで🗺
東海自然歩道を歩く《38》
今回の起点は恵那市の武並駅
新たなエリアは楽しみやけど
現時点で最東端の起点🙄
起点までも長旅になってきた…

けど今後はさらに東へ進むため
ここで尻込みしてる場合やないな💦

郊外の駅やけど駅前に喫茶あり🙌
しかも早くからやってるので
迷わず歩き前のモーニングへ♪

恐る恐る入店すると先客無く
店主の方は少し驚いた様子💦

これから長い距離歩くので
量多めのセットにしました😋
支払い店をあとにする時
店主に声をかけてもらい
自然歩道歩きの話を少し😄
そういえば過去の歩き旅前にも
喫茶で自然歩道歩きの話したな…
と思いながら武並駅を出発🙌
旧中山道を一里ほど

駅前から自然歩道まで約2km
比較的アクセスの良い起点✨

今回は序盤の約4kmを
中山道に沿って東へ向かう

標識がごちゃつくけど
どちらか辿れば良いので
安心感のある道でした🤩


直径5m程の岩が上から見ると牡丹の花に見えることから「紅坂のぼたん岩」として江戸時代から有名だった。学術的には花崗岩のタマネギ剥離の標本として貴重な岩。

たまに急坂はあるものの
歩きやすい道はさすが…

一里塚は1604年徳川幕府の命により東海道、東山道、北陸道の各一里(約4km)ごとに築かれた里程標で、土崩れを防ぐため頂上には榎の木が植えられた。

森を抜けると静かな農村
こういう道好きやな🍃

首が無い理由は諸説あるらしいが
元々は地元の人たちが旅行者の
道中安全を祈って立てたとのことで
手を合わさせてもらいました🙏


大きな道標があるこの場所は
中山道と下街道との分岐点🍃

下街道は途中に山道があるが、川沿いの平坦地を進み、付近に人家も多い。名古屋までは上街道(中山道経由)より近いため、旅行者に加え承認、伊勢神宮の参拝者も多くにぎわった。

伊勢神宮へは下街道方面やけど
伊勢までの旅費や時間がない人は
ここで手を合わせたらしい🙏
ここから伊勢神宮まで歩くと約40時間
1日8時間としても5日かかるので
ここで…となるんやろな🙄

下街道分岐から少し東へ行くと
東海自然歩道と中山道が分岐💨
中山道歩きたい欲もあるけど
それはまたの楽しみに👋
街道沿いとは違う景色

ここまで東へ歩いてきたが
この先は南へ歩いていくた💨


標識も自然歩道だけになり
どこか分からない行先を目指す😂


山に入れば中山道と似てるが
歩く人少ないのか草は多め🍃
そして蜘蛛の巣も多め😨

旧街道の鬱蒼とした森とか
史跡が連続するのも良いけど
どこだこれ?と思い歩くほうが
個人的には好きな気がした🤩

標識に誘われるがまま
ここ入る?ってのが嬉しい😄

名のある名所は少ないけど
ふとした瞬間の絶景は多い

坂を登ればどんな景色かなと
気持ちは高揚しまくってたけど
日差し強まり歩みが亀になる🐢


緩やかな斜面に連なる棚田
暑いけど緑美しい風景が広がる
ここで歩く方角を確認したら
背後の山向こうへ行くらしい🙄

標識にあった野井地区に入り
威代寺横の休憩所に腰を下ろす

いつも座って休憩はしないけど
ここからの山越えに向けて💪
大名街道で山越え

山越え…とはいっても
最高地点までの高低差300mで
登りは構えるほどではない🙌
問題は歩き通せる道かどうか…

石仏は道標でもあるようで…
左は読めないが、右は大井とある
大井は現在の恵那駅付近の地名で
1963年まで大井駅だったらしい🚃

この山道を江戸時代は大名街道といい、岩村藩主が江戸への参勤交代のときに利用したといわれ、松並木は当時の面影を残している。また大名街道は別名殿様街道とも呼ばれる。

溜池堤下までは舗装路が続き
面白み無いが淡々と歩けた♪


その後は街道の名残か
石畳や石段で標高を上げる

急坂を登りきると平坦地になり
周辺には牧場が広がってました

日向で吹きだした汗が
日陰の空気で冷やされる
ずっと日向やとバテと思うけど
日向と日陰の繰返しで助かった🙏

前日夜の大雨の影響か
所々にある水溜りでも遊ぶ😆

今回ルートの最高地点にある
夕立山休憩所でも腰下ろす🙌


現在は恵那市になってるけど
マンホールで旧町名残るのいいな♪
岩村町を歩く

山越え終わったと思ったら
まだ山間の街だったようで…
再び怪しげな道に突入💨

下山まで短い距離やったけど
今回イチ不安な道を抜けた💦

森を抜けたら穏やかな農道
先は長いが妙な達成感で歩く😂

岩村城は石垣のみ残る山城で
日本100名城にも指定されている
経路から外れるので今回はパス🙌
ちなみに女城主の里というのは
以下のような経緯があったみたい
1572年8月、遠山氏最後の城主だった景任が病死。幼少の養子にかわって信長の叔母にあたる女性(通称おつやの方)が女城主として差配を振るった。

実は岩村城だけ2020年6月に訪問済
山上に残る石垣が壮大すぎて
建物無くても十分楽しめた🤩

大円寺の住持であった希菴玄密の墓。1572年11月、岩村が武田信玄に攻略された時、希菴は脱出を図ったが希菴橋で殺害されここに葬られたと伝わる。

カマキリって緑のイメージやけど
卵から孵った時は皆茶色らしく
脱皮を境に茶色か緑に変わるみたい
周囲の色や環境で色変えるのではなく
遺伝的に決まる可能性が高いそう

塚から少し進むとありました
ここで亡くなられたのか…🙏


14時過ぎて一番暑い時間帯に
遮る物ない一本道を歩く💦💦

太陽がほぼ真上やと日陰がなく…
地下道の日陰で体を冷やした😑

ルート上に駅あるなんて…
歩き終わるには最適やけど
次を考えると次町まで歩きたい

自販機を探して燃料補給
キンキンに冷えたコーラは
パワーみなぎるハイオク燃料💪
飯高観音を経て明智へ

明智鉄道沿いの農道を歩く🍃
架線無いから空が広い♪

序盤から舗装路が多かったので
既に足裏の疲れは溜まりまくり💦
この先、明智までの約10kmも
舗装路続きでペースは亀🐢

暑いな~と歩いてたとこで
道端に佇むお地蔵様に遭遇し
息抜きにポートレート撮影📷

亀より遅く止まりそうな足…
前進出来たのはコーラのお陰か😆


1200年前の平安初期に慈覚大師を開祖として創建し、中世には七堂伽藍に仏法道場、仁王門を備え栄華を誇ったと伝わるが、戦国時代に武田氏により全山焼失。現在の建物は平成以降に再建されたもの。


見所も無く、日陰も無い…
この時期のひたすら歩きは辛い💦

多少不安でも歩き辛くても
土の上を歩く方が足が楽👣


山道への入口に行者像が佇む
歩き終わり近いけど安全祈願🙏

今回ラストの登りは大荒れ
合ってるか不安になる道😨


山道を出て振り返ると
凄いとこから出てきてた🙄

明智光秀の叔父遠山景行夫妻の墓所。景行が上村の合戦で武田勢に敗れ自害しその遺体を密かに裏山に埋葬したと伝えられる。

山越えにより旧明智町内に入り
名所旧跡が増えてきた🍃

街が近付くと終われる嬉しさから
自然と足取りが軽くなる😆

この社は天照大神の八人の王子を祀り、平安時代の949年に創建された歴史ある郷土の産土神。古事記によれば天照大神の胞衣を納めた山、胞衣山が恵那の地名の始まりとされる。

文武を志す明智光秀公が学問所には天神神社を、八王子神社には柿本人麻呂社を祀り、社前には紅葉(楓)を植えたと伝えられている。

神社裏から小道を抜けると
錆び錆び自然歩道標識🙄

明知遠山氏の菩提寺である龍護寺
一角には明智光秀公の御霊廟がある
墓所や供養塔は全国各地にあり
伝承も多く残ってるみたいなので
真相は分らんけどご挨拶🙏

既に明智町内に入ってるので
歩き終わってもよかったけど
次回の歩き始めを考え街の外れへ

明智川の畔付近で歩き終え
そのままこの日の宿へ直行💨

自然歩道から宿まで300m未満
こんな近いのは初めてかもな😄
《宿と街並み散策はこちら👇》
今回のルート

■東海自然歩道の軌跡(38回目まで)
・全長1697.2km|876.4km完歩|51.64%


・時間:約9時間10分・距離:33.3km
・登り:1153m、・下り:1003m
武並駅(喫茶)→中山道《ぼたん岩→紅一里塚→首なし地蔵→伊勢神宮遥拝所》→野井休憩所→夕立山休憩所→希菴塚→岩村駅→飯高観音→安住寺→明智町内(八王子神社・龍護寺)
これまでの自然歩道記事含む
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