三軒茶屋から砧公園
あと数年で還暦ということもあるのでしょう。
日本から遠くはなれた場所で暮らしているということもあるのでしょうね。
遠い記憶をたどってみたくなる。
次にいつ帰国出来るのか、時間を取ることが出来るのか分からないから。

かつてよく歩いた駅までの道。
緩やかな坂と、キツイ坂。
大きな階段と小さな階段。
駅へ徒歩で向かうには武蔵野台地から国分寺崖線を下る必要があり、いずれかのルートが主流でした。
最も利用したのが緩やかな坂。
と言っても、隣のキツイ坂に比べたらの話で、かなりの急坂を降りて駅へ。

国立駅の北口はかつて大きな森に囲まれていた。
その森の中に駐輪場もあったが、今はマンションへと変貌している。
かつての様子とは異なる国立から吉祥寺へと向かう。
特に吉祥寺から井の頭線への乗り換えについては大きく変わった様子は無かった。近代的になった位で動線なども特にかわりは無かった。

渋谷の駅はかなり変わっていた。
井の頭線から東急田園都市線への乗り継ぎは、以前は建物内での移動だったけど、今は一旦外に出る。一瞬だけ渋谷の街に出るというのが少し新鮮だった。

田園都市線で向かったのは三軒茶屋。
かつて、多くの地方から来た友人が暮らしていた街。
地下から地上に出ると、その変貌ぶりには驚かされる。
昭和の面影は一切なく、懐かしい香りのする街ではなくなっていた。
国立や吉祥寺でさえも変貌を遂げているのだから、三軒茶屋が変わっていないはずは無い。
あたりまえの話なんですけどね。

246と世田道の分岐点
世田道沿いの歩道のひさしが当時を思わせる。
戦後のバラックの延長を思わせる店舗も少し残っていたのが安心した。

三軒茶屋の南側
一本入ると当時の面影を感じる。
店舗は変わっているものの、路地の感じがそのままである。

恐らく当時はイタ飯屋さんだった場所。

駅からしばらく当時の記憶とグーグルマップを頼りに歩くと、見覚えのある建物に出くわす。
1年生の秋までは電車での通学でしたが、以降は車での通学が当たりまえ。
バブル期に学生だったので、車での通学をする者も多かった。
この駐車場にもお世話になったことが何度もありました。
この狭い路地の先にアパートがあった。

大学から先ほどのアパート近くの駐車場まで良く通った道。
当時はとっても広く感じた道でしたが、改めて見ると狭く感じる。
お寺の裏の一方通行に車を停めて、夜遅く話をしたことも蘇ってくる。

環七 龍雲寺 交差点。
中央の一方通行からよく出てきた。
この交差点の近くにも友人が住んでいた。

柿の木坂から駒沢通りを経て駒沢公園へ。
ここから富士山が見えるなんて当時は気が付かなかった。
幾度とここを車で通ったのだが、富士山が見えることを改めて知った。

駒沢公園の代名詞ともいえる大階段。
ここの風景は全く変わっていなかった。
様々な人が集い、それぞれの過ごし方をしていた。
この階段を上った先にある事務所で、使用するグラウンドの抽選会に何度も並んだのを覚えている。
サークル活動全盛期ともいえる時代だった。


最も利用したグラウンド
高いネットも出来て、駒沢マジックが無くなっていた。
『駒沢マジック』 これを知っている人は少ないでしょうね。

駒沢グランドから学校方面へ。
丁度この辺りの東側にも駐車場があり、とってもお世話になりましたね。
朝9時頃、このジョギングコースには、有名俳優さんが毎朝のようにジョギングをしていたのを覚えています。
格好良かったな~。

駐車場から学校への道。
都会でありながら穏やかな時間が流れている場所でもありました。

駒沢公園から学校へ抜ける道。
昔とは少し形状が変わってしまいましたし、大学周辺の道路も区画変更がされていましたが、ここから大学へ。
そして、とっても苦い経験のある場所でもある。
今となってはいい思い出。

ここも苦い思い出の場所。
携帯電話が無かった時代。
待ち合わせ場所の連絡がきっちり伝わっていなかったことから、没収試合となってしまった場所。
それでも、とっても良い思い出。
準決勝の試合を戦うことは出来なかったけれど、ここまでこれたと言う感謝の気持ちでいっぱいでもある場所。

駒沢公園の反対側の入り口へ。
入り口付近に美味しいパン屋さんがあったけど、今は無かった。
ヨットが置いてあったお洒落カフェも消えていた。
街中にあんなヨットを置いていたなんて、日本全体がバブルだったんだよね。

カナダに渡る前に母校に来た記憶はないので、恐らく卒業以来に訪れてみた。
守衛さんに聞いた所、教場に入らなければ見て回っても良いとのことだった。


にしても見た事の無い建物ばかり。
サークルの先輩のFBの投稿で、大きく変わっていたことは知っていたが、雰囲気がとっても変わっており、どこに何があったのかさえも思い出すことは難しかった。

この建物だけは鮮明に覚えていた。
授業で利用することは無かったけど、この階段の場所で卒業写真を撮るというのが当時の駒大生の当たりまえであった。

駅から最も近い入り口は閉鎖されていた。
バブル期に学生だった当時と比べると、学内に学生を殆ど見かけなかった。
体育館(現在は無い)の前には中庭があって、当時は出店と言って、各サークルの長机と椅子が敷地内に用意されていて、それぞれのサークル独自のスタジャンなどを着た学生で混雑していた。学内溢れんばかりの学生がいたし、隣接している公園にも多くの駒大生を見る事が出来た当時と比べると、閑散とした雰囲気が印象的でしたね。

サークル活動にも、それ以外にも車で動くことが当たり前だった当時。
この大きな看板だけは記憶に残っているものの、それ以外については殆ど目についていなかったことを改めて感じさせられた。



駒沢から桜新町への道すがら、何度も車で走ったはずの場所なんですが、庚申様や神社があったことすら気が付きませんでした。


サザエさん通りであることは知っていたものの、こんなものって当時もあったのだろうか。
三軒茶屋から用賀まで歩き、さらに砧公園へ

この公園内にある野球グランドでも試合も行ったし、ナイターさえも行った。
当時は車だったので、公園の北側にある駐車場に車を停めていたので、用賀駅からこの道を歩いたのは初めてだった。

かつての野球グランドはサッカー場となっていた。
手応えばっちりのホームランを打った後、三振を期した場所でもある。
試合前に後輩達と一緒に二子玉川のチーズケーキのお店で食べ放題へ。
試合中胸やけがして途中交代したことも。

当時存在しなかった野球グランドが公園入口近くに出来ていた。
とても立派な施設だった。

砧公園から二子玉川まで歩こうかとも考えたが、足に限界が来たので用賀駅に戻ることに。
東京インターと第三京浜はよく利用した。
近場に遊びに行くときは、三軒茶屋、二子玉川、渋谷だったが、授業が休講となりサークル活動も無い時は、高速道路に乗って、横浜、鎌倉、江の島。
246を都心方面へ向かって、お台場、京浜島などに行っていた。
砧グランドでのナイターまでの時間があった時は、このマクドナルドで時間を潰したりもした。
かつての面影が残っている場所もあれば、すっかり変わってしまった場所もあった。
また、当時気が付かなかったことにも沢山出会う事が出来た。
大学近くの友人が住んでいた場所なども巡りたかったが、夕方からの先約があったので今回はこの辺んに留めておいたのだが、ぜひ次回は駒沢周辺を細かく歩いてみたいと思った。
そうね、鶴巻通り、松陰神社、オークラランド、馬事公苑 ちょっと足を延ばして世田谷公園などを巡ることが出来ればと。
今の学生さんには申し訳ないくらい、授業には出ていませんでした。
学内にはいたけど、教室には居なかった。
ワンレンボディコンのお姉ちゃんも当たり前に学内にいました。
夜の為にそんな格好で学校に来ているのか、それとも前夜遊び歩いたまま学校に来ているのか分かりませんでしたけどね。
そんな浮かれた時代に学生だった者達も、間もなく還暦ですよ。
早期退職の話だったり、親の介護の話だったり。
当時浮かれた学生も、現実と向き合っています。
