日々俳句鑑賞309 「夏鴨へくらき敷居を跨ぎけり」 摂津よしこ
夏の日差しは高く、軒は深い影を落とす。外は明るいのに、家の出入口だけがひやりと暗い――「くらき敷居」は、まずそのような生活の実感に根ざした写生である。
その暗がりを一歩跨ぐとき、作者の耳に届いているのは「夏鴨」の気配であろう。渡りそこねて季節に残った鴨、あるいは人の暮らしのそばに棲みついた鴨。その声は近くにありながら、姿はまだ見えない。どこか季節の主流から外れたその存在が、庭先の静けさにわずかな陰影を添えている。
ここで「夏鴨へ」と措かれた「へ」が効いてくる。「に」であれば到達点は定まり、「を見に」であれば目的は明確になる。しかし「へ」は、ただ気配のする方角を指し示すだけである。見えないものに引かれるように、意識だけが先に外へと伸びていく。
そのとき跨がれる「敷居」は、単なる段差ではない。内と外、明と暗、日常と自然とを分ける境界である。しかもそれは「くらき」敷居であり、踏み越える一瞬にわずかな躊躇いと、名状しがたい陰りが差す。季節から少し外れた夏鴨の気配と、この暗がりの境界は、どこかで響き合っている。
それでも作者は、夏鴨の方へと足を運ぶ。目的を定めて外へ出るのではなく、ただ気配に導かれるように、気づけば境界を越えている。この「跨ぎけり」の軽さが、かえって越境の感触を際立たせる。
明るい夏の庭先へ出る、ただそれだけの場面でありながら、この句には、日常の縁からわずかに外へ踏み出す感覚がひそんでいる。「へ」という一語が開いた方向の余白の中で、見えないものに引かれていく心の動きが、静かに、しかし確かに立ち上がっている。
『合本俳句歳時記第五版』(角川書店)より
