日々俳句鑑賞350 蜘蛛三句
蜘蛛に生れ網をかけねばならぬかな 高浜虚子
蜘蛛の囲の全きなかに蜘蛛の飢ゑ 鷹羽狩行
影抱へ蜘蛛とどまれり夜の畳 松本たかし
蜘蛛は夏の季語である。
俳句という文学は、花や月のような美しいものばかりを愛でるわけではない。むしろ蠅や蚊、蟻や蜘蛛など、世間ではどちらかといえば敬遠されがちな生き物たちに、驚くほど深いまなざしを向けてきた。
なかでも蜘蛛は特別な存在である。
夏になると木々の間や軒下に網を張り、じっと獲物を待つ。その姿は決して華やかではない。しかし俳人たちは、この小さな生き物のなかに、人間の生そのものを見てきた。
高浜虚子の
「蜘蛛に生れ網をかけねばならぬかな」
は、その代表的な一句だろう。
蜘蛛は網を張らなければ生きていけない。誰に教えられるでもなく、生まれながらにその宿命を負っている。人もまた、それぞれの場所で働き、人と関わり、自分なりの網を張りながら生きている。蜘蛛の姿に人生を重ね合わせる虚子の眼差しには、静かな共感が感じられる。
鷹羽狩行の
「蜘蛛の囲の全きなかに蜘蛛の飢ゑ」
はさらに鋭い。
蜘蛛の網は完璧である。無駄のない構造で虚空に美しい円を描く。しかし、その中心にいる蜘蛛はなお飢えている。どれほど見事な網を張っても、獲物がかからなければ生きてはいけない。
完成と欠乏。
満たされたように見えるものの内側に、なお渇きがある。この句は蜘蛛の姿を借りながら、生きることそのものの本質に迫っているように思える。
そして松本たかしの
「影抱へ蜘蛛とどまれり夜の畳」
ここでは蜘蛛はもはや虫というより、一個の存在として描かれている。
夜の畳にじっと留まる蜘蛛。その足元には濃い影が落ちている。「影抱へ」という表現によって、蜘蛛は自らの孤独や宿命を抱えているかのように見えてくる。静まり返った夜の部屋にいるのは蜘蛛一匹だけなのに、不思議なほど人間的な気配が漂う。
宿命、飢え、孤独。
三人の俳人が見つめたのは同じ蜘蛛でありながら、その姿のなかに映し出されたものは、それぞれ異なる人間の真実であった。
夏の光のなかで蜘蛛は今日も網を張り、待ち続ける。
『合本俳句歳時記第五版』(角川書店)より
