日々俳句鑑賞315 「薔薇の園引返さねば出口なし」 津田清子
「薔薇」という季語は、俳句の中ではどこか特異な位置を占めている。桜や菫のように風土へ自然に溶け込む花ではない。濃密な香り、鮮烈な色彩、人工的とも言えるほど完成された造形。薔薇には、人間の欲望や美意識の歴史そのものがまとわりついている。
しかもこの句は、「野薔薇」ではなく「薔薇の園」である。
世界中から集められ、丹念に育てられ、配置され、鑑賞されるために整えられた空間。そこには自然というより、「美を極限まで純化しようとする人間の意志」がある。つまりこの園は、単なる花園ではなく、美に特化した閉鎖空間なのである。
その園へ足を踏み入れた瞬間、作者はある危機を直感する。
「引返さねば出口なし」
この言葉の恐ろしさは、「出口がない」と断言している点にある。普通、庭園には入口があれば出口がある。しかしこの薔薇の園には、それが存在しない。あるのはただ、美そのものが感覚を埋め尽くしていく空間だけである。
ここで言う「出口なし」とは、単なる地理的構造ではないだろう。
あまりに美しいもの、あまりに甘美なもの、あまりに心を満たすものに、人は時として帰路を失う。恋愛、芸術、思想、快楽――人間は何かに深く魅了されると、いつしか「元の場所へ戻る理由」を見失ってしまう。
薔薇の園とは、そのような「陶酔の閉鎖空間」の象徴なのである。
だからこそ、「引返さねば」が切実になる。
しかし興味深いのは、この「引き返す」という行為が、敗北としてではなく、生還のための意志として響いていることだ。美に呑み込まれる前に、自分自身を保ったまま後戻りする。その決断には、感覚へ溺れ切らない理性の緊張がある。
しかも句は最後を「出口なし」で突き放す。
つまり作者は、「引き返せた」とは言っていないのである。
理性は危険を察知している。しかし感覚はなお薔薇に惹かれている。その均衡の危うさが、この十七音全体に静かな恐怖を与えている。
津田清子の句には、しばしば知性の冷たさがある。しかしその冷たさは、感情を欠いているのではない。むしろ、感覚の深淵を知り尽くした者だけが持つ、ぎりぎりの醒めなのだろう。
美しいものは、人を救う。
だが同時に、人を閉じ込めもする。
この句は、その危うい境界を、薔薇の香りの中に鮮やかに定着させた一句なのである。
『合本俳句歳時記第五版』(角川書店)より
