Before It‘s Too Late
強い言葉を使ったあとは、少し気持ちが挫ける。
だから笑えることをして、息を抜く。
裏で、とても疲れていることもある。
私は、自分の発言について、
この発言は、こういう人にこう刺さるな、というのは事前に結構シュミレーションしている。
それでいて尚、自分の気持ちを偽ることの方が辛いな、となった時に外に出す。
が、その主義主張を抱く理由を、毎回全て説明するのは不可能だ。
例えば、自分の父親が毎晩浴びるようにお酒を飲んでいて、よくよく考えればアル中だったこと。
朝昼に、今日はやめておこうと言って禁酒を宣言しても夜にはお酒になったこと。
思い出す幼少期の夕食には、毎日ベロベロの酔っ払いがいて、キャッキャと笑いながら、母や私を馬鹿だと落としたり、犬猫をいじめて遊んだり、顧客の悪口を言っていたり。
そして、真夜中にはトイレで大声を出して吐いていた。
朝起きたあとのリビングのテーブルには、何一つ片付けられていない晩酌の後がひろがり、ビール缶から垂れた液体がベタベタしていた。それを母が片付けるのを手伝ってから、朝食だ。
無責任な大人。
自分の言葉を守れない大人。
それが私の父親。
飲んでるのか、飲まれてるのか、どっちなんだ。
私が8年はお世話になったピアノの先生は、旦那さんのアル中が原因で離婚した。
その後旦那さんは、肝臓を悪くして40代くらいで亡くなった。
先生は母子家庭の母親になった。
ピアノ講師一本でお子さんを育てることになり、いつもカリカリしていた。
私はよく怒られて泣いた。
ある時先生は鬱になり、小さい子供を置いて自死をしようとしたところを、自分の母親に発見されて未遂になった。
そんな先生と私の母は、お隣の家同士の幼馴染だったから、
私が先生に親のことを相談しても、母がかわいそうじゃないかと言うだけだった。
先生は、あの子をーーひとり、置いて行こうとしたのに。
私の喉から出そうになった言葉。
先生はおそらく、私がそれを知っていることを知らない。
だから、表向き“なかったこと”にしている。
アルコールがなければ。
お酒なんかがあるから。
私のアルコール嫌いには、そういう、苦々しい記憶が乗る。
だけど、ここまで説明してられないよ。毎回。
この辺の情報をすっ飛ばして意見だけ言えば、「私は甘えている人間が嫌いだ」になる。
どこまでの飲酒であれば、それは趣味の延長って言えるの?
今日休もうと思って休めない飲酒は、もう自分のコントロール外なんじゃないかな。
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辞める辞めるって言って、やめたフリして隠れてタバコを吸っていたパートナーのことも出てくる。
何度も何度も、嘘をつかれた。
動かない証拠を突きつけて聞いた。
これはタバコじゃない、どうして持ってるの、吸ってたんじゃん、と。
「それはタバコじゃない。電子タバコだ」
おい、子供の言い訳じゃないんだぞ。ふざけんな。
楽しんでいることと、逃げられなくなったことの境目はいつの間にが溶けている。
わからなくなっているはずだ。
父だって、俺はお酒が大好きだと、今もそう思っているはずだから。
それがあることで日々が回るように作り変えられた体は、今度は抜くことに抵抗を示す。
逃げられなくなっている。
初めは主体的な選択だったはず。
いつの間にか、それをやめられるかどうかの主導権は相手に移っている。
意思すら奪われている。
書き換えられている。
自分はそれが、好きだと。
それが依存だ。
治療段階の依存症になってしまえば、その大好きだったアルコールは、1mlも飲めなくなるんだよ。
待ってるのは破滅だ。
行きすぎないでくれ。
どうか戻れる場所に。
…そう願ってしまう。
強い言葉を使ってでも。
これは、小さい頃にふたりのアル中男性を見てきた私の、苦い記憶だ。
