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 エラスムスの『キリスト者兵士必携における人間観と倫理』


  本文文書は、筆者が立教大学院に入学した直後に、院生を前に研究対象について発表する際に用いた発表原稿のメモである。研究に取り掛かったもっとも初期の段階であり、かなり短い時間での発表だったので、エラスムスという人物の概略的な説明と研究の中心にあるエラスムスの著作『キリスト者兵士必携』の概略的な説明に終わっている。内容も稚拙で荒いものではあるが、覚書なた記録として残すために掲載する。              


1.エラスムスの人物像
1-1 生い立ち
1466年頃(67年とも69年ともいわれる)、オランダのハウダで司祭である父ロゲル・ゲラルドと医者の娘である母マルガリーテの間に産まれる。エラスムスの幼年期についてはほとんどわかっていない。エラスムス自身の出生に関わる短い自伝があるが、それも司祭の子であるということを弁明するために造られた創作された物語である。
 1476年頃、ディベンダーにある聖レイブイヌス教会付属学校に入り、その後1484年に両親がペストでなくなったあと、叔父たちによってヘルツォーゲンブッシュのある生活兄弟団の学校に移らされるが、この間に後のエラスムスに思想的影響を与えた「近代的敬虔」(Divotio
moderna)と人文主義(ヒューマニズム)との出会いがある。
 1497年に、後見人の叔父たちの説得によってステインの修道院にはいり、92年に司祭となる。
1-2 思想的背景
 エラスムスは「キリスト教ヒューマニストの王者」と言われるように、人文主義者であるが、エラスムスの人文主義に大きな影響を与えたのは、第一回英国訪問の際に知り合い終生の友人となった英国人文主義の中心的人物であるJ.コレットやT.モアである。エラスムスは、直接的にイタリア・ルネッサンスの人文主義者との直接的関係は、あまり見られないが、ジョン・コレットやト―マス・モアなどの英国ヒューマニズムを通しての間接的な影響はあったであろうし、R.ヴァッラの影響は、少なからずあったと考えられる。また。幼年期に関わりがあった「近代的敬虔」のもつ理念「キリストに倣う」(Imitatio Christi)もエラスムスの思想的背景にある。
 
2.『必携』の執筆動機
  第一回英国訪問後の1501年に、エラスムスがトルヌムに滞在中、友人のバットを通してひとりの女性から「夫の行状を正して欲しい」という依頼を受け、その依頼に対して答えたものとして書かれている。

3.『必携』の想定する読者
  執筆の動機からもわかるように、『必携』の想定する読者は、第一にはこの依頼者の夫である。この夫は宮廷武器製造職人ホッペンロイターであると言われているが、このことは、『必携』の冒頭にある言葉に適合する。しかし、同時に、この『必携』は1503年に最初の出版されており、その後1515年に第二版が出版されている。その序文を見る限り、最初から出版する意図がうかがわれ、その意味では、ホッペンロイター個人だけでなく、広く一般のキリスト者に読まれることを想定している。

4.『必携』の構造
  『必携』は、基本的には、その執筆の動機や名前からうかがえるように、キリスト者が倫理的に正しく生きていくことができるように導くことを意図している。そしてその意図の中心にあるのは「祈りと知識」ということである。この「祈りと知識」ということを明らかにするという意図のもとで、39の項目がかかれている。しかし、その内容を見ていくと、そこには明確に意図されたエラスムスの考える神学的構造といったものが見えてくる。

5.『必携』おける聖書と古典
  「キリスト教ヒューマニストの王者」と言われるように、エラスムスの思想にとってヒューマニズム(人文主義)は、Key wordの一つであり、エラスムスにとって聖書と古典との関係がどのような関係にあるか問いにどのような姿勢で臨むかは、エラスムス研究にとって重要な点であるが、その意味では『必携』が1501年に書かれたということは、それなりに意義があることであり、また、少なくとも『必携』には、エラスムスの聖書と古典に対するエラスムスの姿勢は示されている。また、『必携』には、聖書の引用と古典からの引用があるが、『必携』の中心にある「祈りと知識」における知識とは、聖書に対する知識でありキリストを知る知識である。

6.『必携』におけるエラスムスの人間観
  『必携』において、エラスムスは二つの視点から人間について述べている。一つは存在する人間を存在論的に観察することによって導き出されたと考えられる人間観で、人間を「霊と肉」といった二元論的な視点から叙述する。もう一つは人間の行動(意思決定)を、「霊・魂・肉」の三つの要素から3元論的に述べている。
6-1 二元論的視点からとらえた人間観
 エラスムスは、人間を神的部分である霊と獣的(身体的)部分である肉とから構成されているという。このとき、霊は天を目指すものであり、肉はこの世のものを目指すものである。しかし、この両者は不可分で、霊だけでも、肉だけでも人間は人間でなくなるとする。そして、霊が肉を支配している状態が人間の本来あるべき姿であるが、現実には肉(肉に属する欲望や情念)が霊を支配している状態が罪の状態であるとしている。
 この意味では、霊と肉は二項対立的であり、プラトン的二元論の形式を装っているが、霊と肉とは不可分であって、霊が肉の束縛から離れて天的なところに向かうのではなく、霊と肉とが霊の支配のもとで調和することを求めるところにおいて、エラスムスの2元論はプラトンと全く同じものではない。
6-2 三元論的視点から見た人間観
現実に存在する人間は、倫理的な視点から見るならば善も悪も行う。しかもそれは決断的になされる。このような人間の決断性をエラスムスは、「霊と肉」の間に魂という中間的存在を置き、この魂が霊の下におかれているか肉の下に置かれているかのどちらかによって、善と悪の行動が導き出されるとする 
そのため、この魂が霊の下に置かれるようにするために教育が大切になるのである。なぜならば、魂は人間の理性や意思といったものに関わる領域だからである。
 6-3 二元論的人間観と三元論的人間観
 エラスムスが、このように二元論的人間観と三元論的人間観をもって人間を表現するが、その最終目標は、人間の意志決定のプロセスを明らかにし、人間が神の前に如何に決断的に生きるべきかという問題に導くためである。そして、エラスムスにとって、二元論的人間観と三元論的人間観とは、便宜上二つの視点から人間を叙述したということではない。二元論的人間観は、現実の人間を観察して得られた帰納的人間観である。また三元論的人間観は、聖書から演繹的にとらえた人間観であるが、この二つはエラスムスの中では調和している。それは、エラスムスにとって現実に観察されうる人間は、神の創造の業によって作られた人間であり、聖書から演繹的に引き出せる人間の姿は、現実の人間の姿と一致するからである。また、この人間に関する叙述が、まずプラトン的な二元論の視点からとらえた叙述から始まり、それがオリゲネス的な三元論に続くという構造は、古典と聖書の関係と同じ構造であり、その意味では非常に良く、また意図的にデザインされた構造であると考えられる。

7.『必携』におけるエラスムスの倫理思想
 7-1 人間の生きている場
  エラスムスは、人間の生きている場であるこの世は悪魔が支配する世界であり、普段の戦闘の場であるという。そこでは、悪魔が人間を神から引き離そうと企て様々な誘惑をもたらしている。そして、その悪魔の働きは、教会の内外にまで及んでいる。そのような中で、キリスト者はキリストの旗下の下に置かれているものとして、悪魔の企て、誘惑に打ち勝っていかなければならない。
 7-2 戦いの武器
  エラスムスが、この戦いにおいて、キリスト者が持つべき武器は「祈りと知識」であるという。知識は何を祈るかを我々に教え、祈りは人間の目を天井に向けさせ、確かなものを神に懇願させるからである。この場合、人間が懇願すべき確かなものが一体何かが問題となるが、エラスムスは、キリスト者の生き方を示す22の教則を通して、それが十字架の上で悪魔と罪とに勝利したキリストであることを示していく。そしてそのキリストを観想することで、人間は人を神から引き離そうとする悪魔の企てと誘惑に向き合うのである。
 7-3 模範としてのキリスト
  エラスムスは人間の倫理的生き方を、完全な神の像であるイエス・キリストに見ている。それゆえにキリストは、我々の「模範」である。その「模範」である「キリストに倣って生きる」ということが、エラスムスの倫理思想の根幹にある。
  エラスムスにとって、キリストは、神に起源をもつ完全な善であり正である。そして、人間もまた神の像につくられたものである。それは現実には損なわれたものとなっているが、失われたわけではない。それゆえに、人間の中には他の被造物とは異なる卓越した徳の種子があるのであり、信仰教育を通して、倫理的人間を育てられていくのである。

エラスムス年表(前半期 概略)
1466年頃 オランダ・ロッテルダム近郊ハウデに生まれる。
1484年頃 両親が相次いで亡くなる。
1487年頃 ステインのアウグスティヌス修道会の修道院に入る。
1494年 カンブレの司教の秘書となり、修道院を出る。『反蛮族論』執筆(第一部、第二部)。
1495年 パリ留学
1499-1500年 第1回英国訪問
1500年 『格言集』出版
1501年 『必携』執筆
1503年 『必携』を『蛍雪余論』(Lucubratiuncula)の一編の中のとしてアントワープにて出版。
1505年  ヴァッラの『新約聖書注解』をパリにて出版。第2回英国訪問。
1506年  イタリア訪問。神学博士の学位を授与される
1509年 ローマ訪問後、第3回英国訪問
1511年 『痴愚礼賛』をパリにて出版
1516年 『校定新約聖書』第1版(Novum Instrumentum)を出版
     『聖ヒエロニムス著作集』『キリスト教君主論』をフローベン書店から出版
1518年 『必携』第2版(序文ヴォルツへの手紙)を出版
1519年 『校定新約聖書』第2版(Novum Testament)を出版
1520年 1494年ごろに書いた『反蛮族論』を出版フローベン書店から出版

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