見出し画像

融資が間に合わない 猫共生型物件をつくってみた16

 建物の設計自体は比較的スムーズに進んでいたのですが、何故だか、担当者は融資の関係で動き出すのが遅く、そのうちお盆休みが近づいてきました。

 たぶん、彼は前職が注文住宅や建売の営業だったので、銀行の融資を軽く考えていたのだと思います。中古の売買とかでも、実需だと比較的簡単に話は進んでしまう、といいます。

 そして、たぶん大きなメーカーですから、融資の担当部門があり、自分で銀行と直接やりとりした経験も少なかったのでしょう。

 しかし、中途採用で管理職です。「出来る」の一点ばりで、自分にすべてを任せろ、と言います。

 彼がお盆休みに入って銀行と、私が直接話したところ、すでに融資は間に合わない、ということが判明しました。

 元から付き合いがある地銀では、融資は間に合ったのですが、間に合ったというか、私からの話なら融資部門に直接話を通しておくから大丈夫、というのです。
 それはそれで、事業計画さえ聞いていないのに、融資を決めてしまうのが怖かったです。
 後日、別の地銀と話をしている時に、それだけお客さんの信用があるからでは、と言われましたが、正直、だからといっても、猫が亡くなって、自分の判断力に自信がもてない時に、厳しく審査をしてくれないのは、不安でした。
(まあ、そんな時に、事業計画をたてるなとも、言えますが)

 結局、メガバンクに融資を依頼したのですが、もう着工時には融資実行が間に合わず、第一段の支払いは、自分たちで立て替えることになりました。

 そして、メガバンクの審査は一応しっかりはしていたのですが、それはメガバンクが損失をおわないためのもので、建築主の事業計画を担保するものとしては、微妙なものだったと、二年後のいまは考えています。

 金融や不動産は、加熱して、少し堅実な社会生活から逸脱した指標を元に突き進んでいるのが昨今のように感じます。
 また、そちらがクローズアップされている昨今ですが、一過性の流行に判断を迷わされないよに気をつけて、地に足をつけて思考していきたいです。

 資産を増大させたり保持できたりしても、生活に必要な業者が倒産しまくっているような世の中では、はたして楽しく過ごせるのか、疑問です。

 お金は大事でしょうが、なにより、どう生きたかが、後年振り返った時の生涯の満足感に強く影響する気がします。
「私は正しい選択をしている」そう思うだけで、彩りを欠いた日々に、満足はあるのでしょうか?

(しかし、最近は、私が間違っているのではないかという疑念と、間違っていても良いのではないかという楽観が交差していて、不思議な感覚です)

いいなと思ったら応援しよう!