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山に合わせて、自分を変える|雨上がりのトビ岩山で3度転んだ話

雨上がりの登山道で、思うように歩けなかった経験はないだろうか。滑ることは知っている。雨で難易度が上がることも知っている。慎重に歩くべきことも分かっている。けれど、知っていることと対応できることは違う。千葉県のトビ岩山周辺を歩いたこの日、何年ぶりかに3度も転んだ。原因は技術不足でも知識不足でもなかった。長年頼りにしてきた歩き方が、その日の登山道では通用しなかったからだ。

💡行程データ(サマリー)

ルート:保田駅→青バス利用🚌→小保田BS→小保田峠→林道出合→牛の寝古道→物見塚山→トビ岩山→風早山→相川神社→上総湊駅

・歩行距離: 13.2km
・所要時間: 5時間35分(休憩時間含む)
・歩数:28,962歩
・累計高度:登り701m、降り724m

小保田峠~牛の寝古道~物見塚山~トビ岩山~風早山

想像以上に滑る千葉の登山道

トラバースの下りは滑りやすく気を使う。

梅雨の晴れ間を狙って、千葉の山へ向かった。

今回歩くのは、物見塚山からトビ岩山へ続くマイナールートだ。目印はあるものの、地形図に登山道が載っていない区間もある。一般登山道よりも、自分で判断しながら進む場面が多い。

歩き始めは順調だった。樹林帯を抜け、小さなアップダウンを繰り返しながら進む。

異変を感じたのは斜面だった。足を置く。体重を乗せる。次の瞬間、足がすっと横へ流れた。危ない。思わず近くの木へ手を伸ばす。

木の根も張り巡らされていることも多く、濡れていると歩きづらい。

前日の雨が残っていた。登山道は濡れている。足元には落ち葉が張り付き、地面は柔らかい。

慎重に歩き出す。ところが、また滑る。さらに滑る。
そして転んだ。尻もちをつく程度だった。
「まあ、たまたまだろう」そのときはそう思った。

千葉の山を歩いていると、粘土質の土に出会うことがある。
乾いていると気にならない。ところが雨を含むと、別の地面になる。

今回はそれが想像以上だった。足を置くたびに嫌な感触が返ってくる。
どこか信用できない。そんな感覚だった。


踏ん張るほど滑る

牛の寝古道入口近くのトラバース道。
ほぼ崩落してるのでロープがなければ終わってた。

ところが、その後も足は流れ続けた。2度目に転んだとき、「あれ?」と思った。3度目で確信した。今日はいつもの歩き方が通用しない。

転んだことそのものより、その事実の方が衝撃だった。登山歴が長くなれば、身体は勝手に動くようになる。

このくらいの斜面なら大丈夫。このくらいの傾斜なら踏ん張れる。そんな感覚が自然と身についている。

私もそうだった。ところが、この日は違った。足を置き、荷重するたびに地面が崩れる。滑る。最初は足場の選び方が悪いのだと思った。慎重に場所を選び、歩幅も小さくした。それでも滑る。

ようやく気づいた。問題は足ではなく、地面の方だった。踏み固められていない柔らかい土が、私の荷重に負けていたのだ。これまで私は、足全体で地面を捉え、適度に体重をかけることで安定して歩いてきた。

滑りそうになれば踏ん張る。それで大抵は何とかなった。けれど、この日の登山道では逆だった。踏ん張るほど滑る。

長年頼りにしてきた身体感覚が通用しない。歩けると思っていたからこそ、その現実を認めるまでに時間がかかった。そして3度目に転んだあと、ようやく腹をくくった。

「今日はダメだ」
もちろん下山するという意味ではない。
今までの歩き方で押し切るのをやめる、という意味だった。


山に合わせて歩く

「今日はダメだ」
3度目に転んだあと、ようやくそう認めた。

それは諦めじゃない。方針転換だった。
速さは求めない。歩幅を小さくし、慎重に足を置く。
足裏に伝わる感触へ、意識を向ける。

急こう配のアップダウンが続く

地面は耐えてくれるのか。崩れるのか。
一歩ごとに反応を探る。これまでなら無意識にやっていたことを、一つひとつ意識の上に引き上げていった

ルート確認の回数も増えた。数歩進んでは立ち止まり、足元を確かめ、斜面を見て、目印を探す。そしてまた、一歩。

山を自分のペースで歩くのではなく、その日の山に自分を合わせる。少しずつ、そんな歩き方へ変わっていった。


危険だったのは斜面だけではなかった

一番神経を使ったのは、トビ岩山直下の迂回路だった。
長い間、人の手が入っていないのだろう。

雨が降るたびに地面が削られてきたような斜面だった。足元には濡れた落ち葉が積み重なっている。その下の土は柔らかく、踏み込むたびに崩れる。

木もまばらだった。身体を預けられそうな場所が少ない。

まき道がグズグズで崩れやすい

斜面の下へ目を向ける。踊り場のような地形は見当たらない。滑ったら止まらない。谷底まで真っ逆さまだろう。

そんな想像が頭をよぎった。

しかも登山道が分かりにくい。
目印はあるけれど、どこを通るのが正解なのかがはっきりしない。

道が不安定で、道筋もはっきりしない。その両方が重なることが、これほど神経を削るものだとは思わなかった。

ようやく危険地帯を抜けたとき、
正直、生きた心地がした。ホッとした。

まだ終わりじゃない。
気持ちが緩みそうになるのを抑えながら、改めて気を引き締め直す。

あとは山頂へ向かうのみだった。


山は同じでも、昨日と同じではない

トビ岩山が近づくにつれて、景色が少しずつ変わり始めた。それまでの鬱蒼とした樹林帯が途切れ、明るい光が差し込む場所が増えていく。

その変化だけで気持ちが軽くなる。「もう少しで山頂だ」そんな実感が湧いてきた。それはまるで、長かった緊張から解放される予告のようだった。

そして山頂へ。視界が一気に開けた。360度の展望が広がる。思わず足を止めた。

トビ岩山

苦戦した時間が長かったぶん、その景色は余計に胸に響いた。
「来てよかった」そんな言葉が自然と浮かんだ。

今回苦戦したのは、滑る登山道じゃない。
その登山道に合わせて、自分を変えることだった。

冒頭で書いたことが、ようやく腑に落ちた気がした。
知識と身体が噛み合う瞬間は、転んだあとにしか来ないのかもしれない。

下山路もなかなかアスレチック

地面が変われば、歩き方も変わる。当たり前のことなのに、私はどこかで今までの歩き方が通用すると思っていた。

下山後、金谷港でなめろうとアジフライをつまみにビールを飲みながら、「次に同じような登山道を歩くなら、どう歩くだろうか?」と考えていた。

おそらくまた苦戦する。
それでも今度は、もう少し早く山に合わせられる気がしている。


牛の寝古道&トビ岩山を歩き終えて

無理に押し切ることをやめて、山に合わせる方向へ舵を切った。この変化が、今回の山行で一番価値のある体験でした。

今回の登山道は手強く、何年ぶりかに転びもした。不思議と落ち込む気持ちはなかった。むしろ考えていたのは、「次はどう歩こうか」だった。

足の置き方は。
重心移動は。
手を使うタイミングは。
ちょっとした工夫で、もう少しうまく歩ける気がする。

振り返れば、今持っている技術もそんな試行錯誤の積み重ねだった。山歩きを続けていると、自分の限界と、その少し先にある可能性が同時に見えてくる。

私は、この振り返りが結構好きだ。歩くたびに課題が見つかる。歩くたびに試したいことが増える。山は同じでも、昨日と同じではない。だから飽きないのだと思う。


「登山で感じた小さな発見」や「山歩きから学んだこと」も書いています。よければ他の記事ものぞいていただけたら嬉しいです。

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