【峡西病院だより】身体拘束をめぐる問い ― 尊厳を守る医療とは何か
ケアする病院ネットワーク理事病院である峡西病院では、令和8年3月12日、杏林大学保健学部リハビリテーション学科教授の長谷川利夫先生をお招きし、「身体的拘束について考える研修会」を開催しました。
精神科医療において身体拘束は、避けて通ることのできないテーマです。しかし同時に、それは精神科医療だけの問題ではなく、「ケアとは何か」「患者の尊厳をどのように守るのか」という、医療に携わるすべての人に関わる問いでもあります。
今回はケアする病院ネットワークの皆様にも共有したい学びが多くありましたので、その一部をご紹介いたします。
なお、研修会の詳しい内容については、峡西病院のnoteでも紹介していますので、ぜひご覧ください。
一人の患者の死から始まった問い
講演の中で紹介されたのは、2017年に起きたある出来事でした。
ニュージーランド国籍のケリー・サベジさんが、日本の精神科病院に入院し、身体拘束を受けたまま10日間を過ごした後、心肺停止となり亡くなりました。ケリーさんはニュージーランドでも精神科病院に入院した経験がありましたが、その際には身体拘束を受けることは一度もなかったといいます。この出来事に対し、長谷川先生は
「なぜケリーさんは死ななければならなかったのか」
という問いを抱き、実際にニュージーランドの精神科病院を訪問されました。そこで聞いた言葉が、とても印象的だったといいます。
「身体拘束はあり得ない。もし行われたとすれば、それは治療サービスの失敗だ」
拘束は治療ではない、という考え方です。
日本の精神医療が抱える課題
講演では、日本の精神医療の現状についても紹介されました。
日本の精神科病院における身体拘束は、人口100万人あたり約98人とされています。これは諸外国と比較して非常に多い水準です。もちろん、海外でも身体拘束がまったく行われていないわけではありません。しかし大きく異なるのは「拘束に対する考え方」です。
例えばフィンランドの精神科病院では、患者がスタッフに暴力を振るった際、すぐに身体拘束が行われました。しかし拘束が始まると同時に、スタッフは「どうすれば早く解除できるか」を話し合うカンファレンスを始めたといいます。
拘束はあくまで危機対応であり、前提は「いかに早く解除するか」であるという文化があるのです。
身体拘束は医療の問題である前に、人権の問題
長谷川先生は、身体拘束について非常に重要な視点を提示されました。それは、身体拘束は医療行為である以前に「人身の自由」という基本的人権の問題であるということです。
患者の安全を守るために難しい判断が求められる場面はあります。しかし、身体拘束は患者の尊厳と自由を大きく制限する行為でもあります。
だからこそ、その必要性や妥当性を、医療者自身が常に問い続ける必要があります。
拘束を当然としない文化
今回の研修で印象的だったのは、身体拘束の問題は個人の判断だけではなく、病院の「文化」にも大きく関係しているという指摘でした。
医療現場には、いつの間にか「当たり前」になっている文化があります。その中には、本来であれば見直すべきものも含まれているかもしれません。
長谷川先生は峡西病院の視察を通して、「必要最小限の身体拘束をできるだけ短時間で行う文化がある」と評価してくださいました。そして「この文化を大切にしてほしい」と言葉をかけてくださいました。私たちにとって、この言葉は励みであると同時に、大きな責任でもありました。
「ケアする病院」としての問い
精神科医療における身体拘束の問題は、簡単に答えが出るものではありません。しかし今回の研修を通して改めて感じたのは、身体拘束を「仕方がないもの」として受け入れてしまうのではなく、常に問い続ける姿勢の大切さでした。
・本当にその人にとって必要な対応なのか
・他にできることはないのか
・やむを得ない場合でも、どれだけ早く解除できるのか
こうした問いは、精神科医療だけではなく、あらゆる医療やケアの現場に共通するものではないでしょうか。患者の安全を守ることと、患者の尊厳を守ること。その両方を大切にする医療とは何か。
ケアする病院ネットワークの一員として、これからもこうした問いを大切にしながら医療の実践を続けていきたいと思います。

