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ふと、涙ぐんだ光景——名もない、優しさの、目撃者

見ず知らずの人たちの、なんでもない光景に、ふいに、目頭が、熱くなることが、ある。

一 ホームで、見た、親子

ある朝、駅の、ホームで、電車を、待っていた。急いでいて、少し、いらいらしていた、と思う。そのとき、隣に、小さな、女の子と、その、お母さんが、いた。

女の子は、まだ、三つか、四つくらい。何かに、つまずいて、転んでしまった。膝を、すりむいて、泣き出すかと、思った。けれど、お母さんは、慌てず、しゃがんで、女の子と、同じ目線に、なって、こう言った。「痛かったね。でも、よく、頑張って、立とうとしてるね」。女の子は、涙を、ためた目で、お母さんを、見て、それから、自分の力で、立ち上がった。お母さんは、「すごい」と、静かに、微笑んだ。

それだけの、光景だった。私とは、何の、関係もない、見ず知らずの、親子。けれど、私は、その、朝の、慌ただしい、ホームで、なぜか、ふいに、胸が、熱くなった。あの、お母さんの、「痛かったね」の、一言の、優しさ。そして、自分で、立ち上がった、女の子の、小さな、けなげさ。急いでいた、私の、ささくれた心が、その、名もない光景に、ふっと、和らいだ。今日は、その、日常で、ふと、涙ぐむ、光景について書きたい。

二 自分とは、関係ないのに

不思議なのは、こういう、光景に、心を、動かされるとき、それは、自分とは、まったく、関係のない、他人の、出来事だ、ということだ。

あの、親子のことを、私は、知らない。名前も、素性も、その後、どうなったかも。二度と、会うことも、ないだろう。それなのに、その、数十秒の、光景が、私の、心を、動かした。自分に、何か、いいことが、あったわけでは、ない。ただ、見ず知らずの、他人の、優しいやりとりを、そばで、目撃した。それだけで、胸が、熱くなる。この、感情は、いったい、何なのだろう、と、私は、よく、考える。

たぶん、それは、人の、いちばん、善い部分を、目撃したときの、感動なのだと思う。前に、見知らぬ人の親切について書いたとき、優しさに、打たれる、という話をした。あれは、自分が、優しくされたときの話だった。けれど、優しさは、自分が、受け取らなくても、ただ、それを、目撃するだけで、心を、動かす。人が、人に、優しくしている。その、光景を、見るだけで、「世界は、そんなに、悪くない」と、思える。前に、不安について書いたとき、世界への信頼を、つなぎとめる、錨、の話をした。名もない、優しい光景も、その、錨になる。他人の優しさを、目撃することは、自分が、優しくされること、とは、また、別の、けれど、確かな、温かさを、くれるのである。

三 何気ない、けれど、確かな、光景たち

思い返すと、そういう、ふと、涙ぐむような、光景に、私は、日々の中で、案外、たくさん、出会っている。

満員電車で、席を、譲られた、お年寄りが、何度も、頭を、下げていた。譲った、若い人は、少し、照れくさそうに、目を、そらしていた。雨の日、コンビニの、軒先で、傘のない、人に、店員さんが、「よかったら」と、ビニール傘を、貸していた。公園で、転んだ、知らない子どもに、通りすがりの、おじいさんが、「大丈夫か」と、手を、差し伸べていた。横断歩道で、白い杖の人に、さりげなく、寄り添って、一緒に、渡っていく人が、いた。どれも、ほんの、数秒の、光景だ。誰も、褒めてくれない。写真にも、残らない。それでも、そこには、確かに、人の、善さが、あった。

こういう、光景は、探そうと、思って、探すものでは、ない。ふと、目に、入って、ふと、心を、動かす。前に、小さな幸せについて書いたとき、幸せは、気づくものだ、と記した。名もない、優しい光景も、同じだ。気づこうと、する目が、あれば、日々の中に、たくさん、ある。急いで、下を、向いて、歩いていると、見逃してしまう。でも、少し、顔を、上げて、まわりを、見ていると、そこら中で、名もない優しさが、静かに、交わされている。世界は、私が、思っているより、ずっと、たくさんの、小さな優しさで、できているのかもしれない。

そして、こういう、光景を、目撃した日は、私自身も、少し、優しくなれる。人の、優しさを、見ると、自分も、優しくしたく、なるのだ。前に、機嫌や、親切について書いたとき、良いものは、伝染する、と記した。優しい光景の、目撃も、同じだ。誰かが、誰かに、優しくしているのを、見ると、その、優しさが、目撃した、私にまで、伝染してくる。名もない、優しさは、直接、関わった、二人だけでなく、それを、たまたま、見ていた、第三者の、心まで、温めるのである。

四 涙の、正体

なぜ、こういう、光景に、涙ぐむのか。その、涙の、正体を、考えてみたことが、ある。

悲しいわけでは、ない。むしろ、温かい、気持ちだ。それなのに、なぜか、目頭が、熱くなる。この、涙は、たぶん、「こういう、優しさが、まだ、世界に、あるんだ」という、安堵の、涙なのだと思う。日々、生きていると、ニュースは、暗い話ばかりで、人の、冷たさに、触れることも、多い。世界は、殺伐としている、と、感じてしまう。そういうときに、ふと、名もない、優しい光景を、目撃すると、「そうだ、こういう、優しさも、ちゃんと、あるんだ」と、思い出す。その、思い出したときの、ほっとした気持ちが、涙に、なる。

前に、寂しさについて書いたとき、つながっている、という感覚、の話をした。名もない優しさを、目撃したときの、涙には、それに、近いものが、ある。私は、その、優しさに、直接は、関わっていない。それでも、その、優しさを、見て、心を、動かされた、という一点で、私は、その場に、確かに、参加している。優しさを、交わした、二人と、それを、見て、涙ぐんだ、私。その、三人は、名前も、知らないまま、一瞬、優しさの、輪で、つながっている。前に、感謝について書いたとき、人は、良いものを、浴びると、こぼす側に回る、と記した。名もない優しさを、浴びた私も、その、輪の、一部に、なっているのである。

もう一つ、あの、ホームの、親子の、光景で、私が、涙ぐんだのには、理由が、あった、と思う。あの、お母さんの、「痛かったね。でも、よく、頑張って、立とうとしてるね」という言葉は、たぶん、私自身が、かけて、ほしかった、言葉だったのだ。転んで、痛い思いを、しても、頑張って、立ち上がろうと、している。それを、誰かに、ちゃんと、見ていて、認めて、ほしい。あの、女の子に、かけられた言葉は、私の、心の、奥にいる、小さな子どもにも、届いた。名もない光景に、涙ぐむとき、私たちは、しばしば、その光景の中に、自分自身を、見ているのかもしれない。

五 目撃者で、いること

こういう、名もない、優しい光景の、目撃者で、いられること。それ自体が、実は、恵まれたことなのだ、と、いまは、思う。

急いで、いらいらして、スマホばかり、見て、下を、向いて、歩いていたら、あの、ホームの、親子の、光景は、目に、入らなかった。私は、それを、見逃して、ただ、慌ただしい、朝を、過ごしていただろう。でも、たまたま、その日、私は、顔を、上げていた。だから、あの、優しい光景に、出会えた。前に、楽しむことについて書いたとき、心を、いまここに、置く、という話をした。名もない優しさの、目撃者に、なれるかどうかも、同じだ。心が、いまここに、あって、まわりを、見ている人だけが、その、光景に、気づける。

だから、私は、できるだけ、顔を、上げて、いたいと思う。急いでいても、少し、まわりを、見る。すると、そこには、たくさんの、名もない優しさが、交わされている。それに、気づくたびに、私の心は、少し、温かくなり、少し、優しくなる。そして、私自身も、いつか、誰かの、目撃する、光景の中で、優しい側に、いられたら、と思う。私が、目撃して、温かくなったように、私の、何気ない、優しさも、どこかで、誰かの、心を、温めているかもしれない。名もない優しさは、目撃者を通して、静かに、世界に、広がっていくのである。

六 結び——世界は、優しさで、できている

あの朝の、ホームの、親子のことを、私は、いまでも、時々、思い出す。もう、顔も、はっきりとは、覚えていない。でも、あの、「痛かったね。でも、よく、頑張って、立とうとしてるね」という言葉と、自分で、立ち上がった、女の子の、小さな姿は、私の中に、温かい光景として、残っている。

これまで、私は、たくさんの、しんどいことについて書いてきた。不機嫌、焦り、嫌いな人。世界は、ときに、理不尽で、冷たい。それも、本当だ。けれど、同じくらい、確かなことが、ある。世界は、名もない、小さな優しさで、満ちている、ということだ。駅で、街で、電車で、公園で。誰も、見ていないところで、人は、人に、優しくしている。転んだ子に、声を、かけ、席を、譲り、傘を、貸し、手を、差し伸べる。その、一つ一つは、ニュースにも、ならない、小さな光景だ。けれど、その、無数の、小さな優しさが、この世界を、静かに、支えている。

前に、小さな幸せについて書いたとき、幸せは、探すのではなく、気づくものだ、と記した。名もない優しさも、同じだ。気づこうと、思って、顔を、上げれば、日々の中に、たくさん、ある。そして、それに、気づいて、ふと、涙ぐむとき、私は、その、優しさの、輪の、一部に、なっている。目撃するだけで、温かくなり、温かくなった分だけ、自分も、少し、優しくなる。名もない優しさは、そうやって、目撃者から、目撃者へと、めぐっていくのである。

今日も、私は、どこかで、名もない、優しい光景に、出会うかもしれない。急いでいても、少しだけ、顔を、上げていよう。転んだ子に、かけられる、優しい言葉。譲られた、席への、深い、お辞儀。そういう、なんでもない光景に、ふと、心を、動かされる。その、瞬間の、温かさを、私は、大切に、したい。世界は、優しさで、できている。そう、思える目を、持って、生きていけたら。名もない優しさの、目撃者で、いられること。それは、この、少し、しんどい世界を、それでも、優しい場所として、生きていくための、いちばん、静かな、力なのだと思う。

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