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歴史における4レイヤー構造①

「歴史には光と影がある」の虚像

 「歴史には光と影がある」という言説がある。歴史の「栄光」が光、歴史の「悲劇」が影だ。
太平洋戦争で言うのであれば、「戦艦大和」や「零式艦上戦闘機」、「真珠湾攻撃の成功」が光、「ガダルカナル島の戦い」「インパール作戦」「特攻作戦」が影だ。
 ところで、私の本職は、イベントテクニカル業界の機材管理のマネージャーである。業務内容としては、映像・音響・照明・配信機材の出入庫管理と機材メンテナンスを行っている。その私の実務の視点から見ると、「歴史の光と影」という視点は、イベント業界を良く知らない人間が意図的に切り抜いた、作為的なフレームワークにしか感じないのだ。
 イベントでは、「フォロースポットライト(一般的には「ピンスポットライト」という認識で問題ないだろう)」という機材を使用して、舞台上の演者に強い光を当てることもある。LEDパーライトを仮設で設営して、ディスカッション中の登壇者を狙って光をシュート(光の当たり方を調整)することも、もちろんある。
 イベントのテクニカル業界に棲息する人間としては、「光」は「当たるもの」ではなく、「誰かが『当てている』もの」、という認識なのだ。自然界で「光が意図的に、勝手に当たる」ような自然現象は、ほとんどありえない(だからこそ、『自然の調光効果』を生む自然現象は珍重される)。
 その視点で捉えると、「歴史の光と影」という概念には「歴史の光を当てるエンジニア」という、第三の登場人物が「隠れている」ことに気付くことができる。歴史の光が当たるのは、あくまでも舞台上の話。歴史を「光と影」でしか捉えられない人間は、「歴史の舞台裏」への想像力に欠けている。
 イベント業界の話に戻る。イベントの舞台上は演者しか存在しない。しかし、客席からは見えないが、裏導線にはたくさんのセクションのスタッフが人知れず動いて、イベントの完遂の為に苦心している。
 制作スタッフ、運営スタッフ、進行スタッフ、造作施工スタッフ、仮設電気工事スタッフ、テクニカルスタッフ(当然その中には、「演者に照明を当てる」照明スタッフも含まれる)…
 彼らは、本質的に「黒子」で「裏方」である。決して舞台上に上がってはならない。イベントの「裏導線」で、観客に見えないところで、イベントの円滑な進行の為に身命を賭している。
 その視点を持つ人間から考えたら「歴史の光と影」というナラティブの、なんと解像度の粗いことか。
 ここまでに出てきた「レイヤー」を「歴史とイベント」という文脈で整理する。

「歴史の4レイヤー構造」

第1レイヤー:歴史の「光」:舞台上を「観劇」している、観客。演者の語る「ナラティブ」を消費する。
第2レイヤー:歴史の「影」:舞台上で光を浴びる、演者。台本に書かれている「ナラティブ」を観客に語る役割。
第3レイヤー:歴史の「裏導線」、歴史の舞台に「光を当てるエンジニア」:舞台の外でイベントを成功させる為に、実務を回すスタッフ。決して観客の前には姿を表さない。
 第1レイヤーと第2・第3レイヤーの間には、歴然とした壁がある。第1レイヤーの観客は「お金を払ってナラティブを聞きに来ている」が、第2・第3レイヤーの人間は、「台本、すなわちナラティブの内容を全て把握し、リハーサルを行い、それを業務として『お金をもらっている側』」だ。

 これに太平洋戦争の日本軍を重ねると、このようになる。
・第1レイヤー:歴史の「光」:「戦艦大和」や「零式艦上戦闘機」、「真珠湾攻撃の成功」
・第2レイヤー:歴史の「影」:「ガダルカナル島の戦い」「インパール作戦」「特攻作戦」
・第3レイヤー:歴史の「裏導線」、歴史の舞台に「光を当てるエンジニア」:

 悲劇(影)であっても、それが語り継がれる対象である限り、それは舞台上の演者である。歴史上の事象としては、「光を浴びて称賛されるもの(栄光)」と「光を浴びつつも悲劇として語られるもの(影)」は、どちらも「舞台上のナラティブ」に含まれる。歴史的文脈で見れば、光を浴びる演者(第2レイヤー)の中に、栄光(光)と悲劇(影)の両方が含まれる、という認識だ

 太平洋戦争の日本軍における、「第3レイヤー」とは何だろうか?今まで「歴史という文脈」のメインストリームにいなかった、「戦場の裏導線」のスタッフである。具体的には、 日本中の兵站線を破壊したアメリカ海軍の潜水艦攻撃、それへの対策に、リソースの枯渇に悩まされながらも奔走した海上護衛総隊とそのスタッフ。戦艦大和の乗組員でも、ほとんど光が当たってこなかった機関科や主計科の乗組員たち。彼らは「実務として戦場を支えている」が、今まで歴史のメインストリームとして語られることは、驚く程少ない。

 ただ、テクニカル機材管理の実務者として言わせてもらえば、「我々のことが忘れられている」。イベントテクニカル業界としては、第3レイヤーに属するが、彼らは「本番に立ち会っている」。イベントテクニカル企業のバックオフィス、特に機材メンテナンスを行うスタッフは、業務のほとんどを倉庫で行う。実際、会場に赴き、本番で機材を操作する「テクニカルオペレーター」と、そうではない「非オペレーター」には、厳然とした「格差」が存在する。ちなみに私は「非オペレーター」出身だ。テクニカル業界は厳格な結果主義かつ能力主義ゆえに、「残酷な能力差別が正当化」されてしまう。ハイエンド機材を使ったオペレーションは、いくら機材知識が豊富な私でも、遂行できる業務内容ではない。オペレーターは職人なのである。
 会場の熱狂も感じられず、機材倉庫の片隅で、不具合の出た機材の原因特定、修理、動作確認を行う。ここでメンテナンスされたピンスポットライトが、会場で「演者を照らしている」。いわばイベントテクニカル業界の「技術インフラ」、それが我々だ。
 第3レイヤーの照明オペレーターも「適切にメンテナンスされた照明機材」がないと、仕事にならない。整備不良で本番中に故障したら眼も当てられないからだ。「通常に使えて当たり前」「スペック通りの性能が出て当たり前」、「故障した機材だったら『ちゃんと整備しておいて』と怒られる」。平時ではその存在は透過され、トラブルが起きた時だけ「何やっていたんだ!仕事しろ!」と言われる。これは「社会インフラ維持」の実態と完全にフラクタルだ。

 先ほどのレイヤー構造に追加する。
第1レイヤー:歴史の「光」:舞台上を「観劇」している、観客。演者の語る「ナラティブ」を消費する
第2レイヤー:歴史の「影」:舞台上で光を浴びる、演者。台本に書かれている「ナラティブ」を観客に語る役割。
第3レイヤー:歴史の「裏導線」、歴史の舞台に「光を当てるエンジニア」:舞台の外でイベントを成功させる為に、実務を回すスタッフ。決して観客の前には姿を表さない。
第4レイヤー:歴史の「倉庫の片隅」:倉庫の片隅で「動作して当たり前」の機材を、メンテナンスし、常時稼働可能な状態に維持する。決して本番会場には赴かない。

 では、太平洋戦争の日本軍の「倉庫の片隅」とはどこなのだろうか?戦場にも赴かず、「動作して当たり前」な「技術インフラ」を担当していた部分。…まぎれもない、海軍工廠や民間工廠の技術者や職人たちだ。前線から戻ってきた艦船のメンテナンス、修理。建造は、設計図通り完成させて「当たり前」、戦場から離れた工場で「部品の規格化の失敗」や「熟練工の不足」に悪戦苦闘しながらも、「ひそかに稼働しつづけている」。
 「動作して当たり前」の社会システムの裏側には、必ずそれを維持している「裏の裏の存在」、「倉庫の片隅に」ひっそりと、しかし堅実に業務を行っている技術者が存在している。
 彼ら「技術インフラ」を担った職人たちは、歴史の光を求めてなどいなかったはずだ。ただ、目の前の鉄の塊が、狂いなく作動することだけを信じて油に塗れていた。 歴史の光は、永遠に彼らを照らさなくていい。ただ、その巨大な歴史の舞台の下には、決して光の当たらない「倉庫の片隅」で、黙々とボルトを締め続けた無名の人間たちがいたという『事実』だけを、私はここに記録しておく。


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