保存する価値
人類がいずれ滅ぶなら(滅ぶ前提)保存とはなんだろう。
アイルランドの観光名所にもなっているトリニティ・カレッジ図書館の画像を見た。吹き抜け二階の天井まで届く書架にぎっりしと並ぶ古い本たち。とても絵になる、雰囲気ばっちりである。しかし本は書架に並べてあるだけでも朽ちていく。建築の一部のようになっている書物はもはや飾りではないのか、と思った。
すると別の旅ブログでは、同図書館を訪ねたがメンテナンス中ということで、空になった書架の写真とともにがっかりしたという感想が書かれていた。確かに、本が並んでいない図書館では、求めていた雰囲気が損なわれている。本は一冊ずつクリーニングされるらしい。
朧げな記憶なのだが、子どもの頃にテレビでみた映画で、貴重な書物が埃にまみれて無造作に積まれており、登場人物の男性が触れただけで粉々になってしまい、きちんと保存されていなかったことに怒る、というシーンがあった。
なぜこのシーンが記憶に残っているのかわからないが、多分、失われたら二度と戻らないことの深刻さ、見かけは本の形を保っていたのに、触れたら粉になってしまう映像のインパクトが強烈だったのだろう。
保存するのは、価値があるからだ。その価値も、時代や考え方次第で変わる。捨てられしまったものに価値があったと後から気が付いたり、後生大事にとっておいたものに価値がなかったり。
偏執的になにかをコレクションする人は、自分の人生の有限性をどう考えているのだろう。大事に保存しておいた収集品も、価値がわからない相続人に捨てられてしまうかもしれない。
芸術品の価値は普遍だろうか? 形あるものは経年劣化を免れない。修復に失敗して作画崩壊したようなレリーフをたまに見かける。修復されたものはオリジナルといえるのか。天災、人災、価値観の変化が保存に立ちはだかる。
デジタル保存も永遠とはいえない。電気のない終末世界が来るかもしれないし、その前に単にサービス終了でデータが消えることもある。
保存には限界がある。永遠はない。ひょっとすると一周まわって口伝が一番確実に保存できるのかもしれない。
