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日本のランボオ・礒永秀雄没後五十年回顧展によせて

 初めて礒永秀雄(いそながひでお)氏の詩を読ませていただいのが、いつだったのか思い出せない。最初は、作者の名前さえまともに読めず、コメント欄で、読み方を教わったほどだった。聖書やギリシア神話をベースにした詩のいくつかに目が止まり、拾い読みしていた程度の読者ともいえない読者でしかなかったが、ある日、童話『もらった勲章』に衝撃をうけ、全作、読み通したくなった。

 血と死がモチーフの短篇が、童話といえるのか?

 首切り役人は刀を研ぎ、千人目の首を斬り落とす寸前に金ピカの勲章をもらうことを王に願い出るが、戦場での功績ではないことを理由に拒まれる。兵士らと群衆を前にした首切り役人は千人目として、自らの首を差し出そうとするが、それさえ聞き入れられない。意を決した首切り役人は、王の首を刎ね、黄金の王冠を手にする。千一人目の首が自らであることを知りながら――。

 作中に「血」はひと文字もないにもかかわらず、ほとばしる鮮血が眼前にひろがった。

 礒永氏は生れながらの詩人だと感じる。血を象徴する「赤」と死を象徴する「黒」がしばしば詩に使われている。赤い炎であったり、黒い海であったりと、相反する二つの色が残酷だが直截で忘れがたい言葉へと変容され綴られている。
 氏と同時代の作家は戦争体験を小説化した。なぜ、詩でなければならなかったのか?

 朝鮮の仁川で裕福な日本人家庭に育った詩人は、東京帝国大学に進学し、学徒出陣で南方戦線に配属され船舶工兵となり、極限状態のさなかあまたの戦友の死を目の当たりにする。
 その苛酷な体験が、詩人の戦後の詩作を決定づけたとのではないのか。

 国家の命令で青春時代を奪われた礒永青年の詩には当然のこととして、政治的なメッセージがふくまれている。反戦歌として、心に響いたのは『死角』と『岩の唄』。暮らし向きを嘆いた『死ね死ねびんぼ神』は本音が聞ける。戦後の荒廃した社会を描いた『梅雨たたき』『白い風車の町』も印象深い。個人的には、詩人の故郷である山口県光市から望める海を唄った詩が、詩人の感性をもっとも生かしているように感じられる。

べろの唄』より、一部抜粋して転記させていただく。

 げえええっとパイプの中に吐血する
 月の利鎌がばっさり俺の後首にかかる
 腐った水がかるく死んだ俺を運ぶために
 ぺたぺた遠くから押し寄せる
 ――あい あい あい あい……
 俺の首が足もとで海を呼んで泣いている
 やあな晩だ

 これは『海の唄』にも見られる。こちらも一部抜粋になる。

 女の中でうねっている海
 男の中で荒れている海
 海と海が向かい合う時
 ひとしきり静かなる海になる

 上記の二作には、大戦で没した人々への鎮魂歌であると同時に、青い実のまま突風に吹かれ、地に落とされた嘆きをつぶやくように唄っている。むろん、ロマンチックな恋愛詩もある。『夜の終わりに』『夏のマドリガル』『鞭の歌』など何作もある。
 マドリガルとは、叙情短詩と恋愛を意味する。人生にもしもはないが、詩人が私たちと同世代であったなら、村上春樹氏のような作家になっていたのではないかと想像した。

 しかし、詩作に心血を注いだ詩人は『詩と生活について』と題するエッセイで書いている。「詩と生活は一致。火柱や雲柱のように空に噴きあげる詩は、エネルギーはないのか」と。『詩と行動について』では、詩作への苦悩を吐露している。
  
 吹く風は、おまえの胸もとでそれる 
 吹く風を選り好みして、やさしい風ばかりにすがりつき
 みのりの季節に吹く風は、おまえにはもうささやかないのだ

 なぜ、詩人の硬質な作風に惹かれたのか、これらの文章を読みつつ納得した。時に力強く、時に自暴自棄とも思える悲哀がまっすぐな言葉のつらなりで響きあい読む側にじかに伝わってくるからだ。

夏のマドリガル』より抜粋

 空から落ちてきた鳥なんだ 僕
 空に舞い立っていく蝶なんだ 君
      略
 僕たちの恋を伝えたとしても
      略
 陸で聞くのは海に行けない なめくじ
 海で聞くのは陸を歩けない なまこ
      略
 夏のマドリガル
 短夜の幻想の中でだけはげしい出会いの時を待った 君と僕

 クリスチャンであった彼は、罪と愛の狭間で葛藤したのではないか。

 ギリシア神話から着想したと思える『夢のマドリガル』では、愛の女神アフロディテの視点で、木の皮から生まれた美青年アドニスへの想いが綴られている。狩りをしていて命を落としたアドニスの血から、赤い花アネモネが生えたといわれている。

夢のマドリガル』より抜粋

 風が吹けば咲き
 風が吹けば散るというアネモネ
 しかしわたしのアドニス!
 わたしたちの新しい恋は
 海の塩に浄められて
 やはりその泡の中から生まれてくるようだ
 花たちが死に絶えるという
 冬のはじめ
 きびしく殺し合った夢の棺の中から

金曜日の砂漠』より抜粋

 何頭の駱駝が砂漠に倒れ
 何頭の駱駝が黙々とヨブの道を歩いたことだろう
        略
 駱駝は静かにエレミヤの言葉に耳を傾け
 ひたすらに砂漠を歩きつづける

 ヨブは家族と財産を失うという不運に見舞われたとき、神を呪う。エレミヤは同胞に嘲られながらも祖国の滅亡を預言しつづけた。どちらの人物にも詩人は感情移入できたのではないかと思う。書き出しでは複数の駱駝が、最後は単数になっている。不毛と思える戦後の日常を、詩人は一途に歩みつづけたのだろう。怒り悩み戸惑いつつーー。

 タイトルにある金曜日について、辞書にをひくと、金曜は一週の第六日とある。旧約聖書の創世記第二章一節をひらくと、神は六日間で森羅万象を創造したという。第二章の二節には「神は第七日にその作業を終えられた」とあり、すべての作業を終わって第七日に休まれたとしたうえで、「神はその第七日を祝福して、これを聖別された」と。詩人は自らをふくめて、多くの人は第六日、金曜日を生きていると感じていたのではないのか。
 新約聖書の「ヨハネの黙示録」第六章一二節に「子羊が第六の封印を解いた時、(略)大地震が起こり、太陽は毛織の荒布のように黒くなり、月は全面、血のようになり(略)御光の大いなる日が、すでに来たのだ。だれが、その前に立つことができようか」と記されている。そして第七の封印が解かれたとき、地上の罪深い人間は滅ぼされる。
 詩人は、『正午』の中で、綴っている。「封印に意味があるのか、なかんず君の手による封印の上に」と。

 さきほどお読みくださった宮滝桜様より、金曜日の設定について、ご助言をいただきました。当時、「月・月・火・水・木・金・金」と巷で言われていたので、金曜日が週の最後であり、これで終わりにしてほしいという願いがこめられていたのではと教えていただきました。これで疑問がまた一つ解けました。感謝しかありません。 

 拙文を書く間、言葉を凝縮する詩が書けない私は、daniel・powterのCD「BAD DAY」を聴いた。英語はわからないけれど、この曲と詩人の感性が相似形のように感じたせいだ。
 五十年前の夏に、五十五歳で没した詩人の魂はいまも紺碧の空のもとで風に吹かれながら、故郷の海をただよっているにちがいない。

    了

https://note.com/isonagahideo_fan


イラスト 劉珠美





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