ありきたりだと思ってた水魔法、実は文明破壊兵器級でした 第7話 水魔法の練習をしよう

第7話 水魔法の練習をしよう

 朝。

「……動けない。」

 リリアは目を覚ましてから、しばらく天井を見つめていた。

 右腕にはエマ。

 左腕にはセレナ。

 二人の少女が、まるで逃がさないと言わんばかりに抱きついて眠っている。

「どうしよう……。」

 昨夜、学院へ侵入者が現れた。

 そのため三人で同じ部屋に泊まることになった――そこまでは分かる。

 だが。

「警護って、抱きつく必要あるのかな……。」

「ある……。」

「ひゃっ!?」

 突然、右側から返事があった。

「エマ、起きてたの!?」

「今起きた。」

 目を閉じたまま、エマがさらに腕へ頬を寄せる。

「じゃあ離して。」

「まだ眠い。」

「私、起きたいんだけど。」

「あと五分。」

「それ、私を抱き枕にしてるだけじゃない?」

「護衛。」

「絶対違うよね!?」

「……うるさい。」

 今度は左側。

 セレナが薄く目を開ける。

「セレナも起きた?」

「今。」

「じゃあ助けて。」

「何を?」

「エマが離してくれない。」

 セレナは少し考えた。

「私も離さなければ公平。」

「なんで!?」

 左腕まで強く抱かれた。

「ちょっと! 二人とも!」

「朝から元気だね。」

「セレナのせいでもあるよ!」

 エマが目を開ける。

 そして反対側のセレナを見る。

「……近くない?」

「あなたも。」

「私は幼なじみだから。」

「私は護衛。」

「昨日から友達になったばっかりでしょ。」

「時間は関係ない。」

「ある!」

「ない。」

「ある!」

「二人とも!」

 リリアの声が部屋へ響いた。

「朝ごはん食べに行こうよ!」

 二人は黙った。

「……。」

「……。」

「食堂、混むよ?」

 エマがようやく腕を離した。

「それは困る。」

 セレナも離した。

 リリアはやっと起き上がる。

「朝ごはんには負けるんだ……。」

     ◇

 三人が食堂へ入った瞬間。

 ざわっ。

 空気が変わった。

「来た。」

「リリアだ。」

「昨日、侵入者が出たって本当?」

「水が勝手に犯人を捕まえたって……。」

「水が?」

「そんなわけないだろ。」

 噂の伝わる速度は異常だった。

 しかも、少しずつ内容が変わっている。

「聞いた話だと、王都中の水を操ったらしい。」

「いや、海が動いたって聞いたぞ。」

「海なんて王都から見えないよ!」

「じゃあ湖?」

 リリアはトレーを持ったまま俯いた。

「……帰りたい。」

「気にしなくていいよ。」

 エマが言う。

「そう。」

 セレナも頷く。

「でもみんな見てる。」

「見せておけばいい。」

「セレナは強いね……。」

 三人は食堂の隅へ座った。

 パン。

 卵。

 野菜のスープ。

 いつもと変わらない朝食。

 リリアはスープを一口飲んだ。

「美味しい。」

 ようやく少し落ち着く。

 しかし。

「……。」

 セレナがリリアのスープをじっと見ている。

「どうしたの?」

「そのスープ。」

「うん?」

「何か感じる?」

「美味しい。」

「そうじゃなくて。」

 セレナが自分のコップを指差した。

「水。」

「ああ。」

 昨夜のことだ。

 王都中の水が震えた。

 水滴が侵入者を発見し、リリアたちへ危険を知らせた。

 そして最後には、水そのものがリリアを守った。

「……何も感じないよ。」

「本当に?」

「うん。」

 リリアはコップを持ち上げる。

「普通の水。」

「触ってみて。」

「こう?」

 指先を水面へつける。

 何も起きない。

「……。」

「……。」

 エマも覗き込む。

「動かないね。」

「うん。」

「昨日は何だったんだろう。」

「私が聞きたいよ。」

 リリアが指を抜こうとした。

 その時だった。

 ぽちゃん。

「え?」

 三人が止まる。

 コップの水面。

 小さな波紋が一つ。

 そして。

 ぽちゃん。

 もう一つ。

「……。」

「……。」

「……。」

 リリアが指を右へ動かす。

 水面が右へ揺れる。

 左。

 左へ揺れる。

「リリア。」

 セレナの声が真剣になる。

「魔法を使ってる?」

「使ってない。」

「詠唱は?」

「してないよ。」

「魔力を流した?」

「それもしてない。」

 セレナは黙り込んだ。

「やっぱり。」

「何?」

「昨日と同じ。」

 セレナは水を見る。

「普通の水属性魔法じゃない。」

     ◇

 その日の午前。

 リリアは学院長室へ呼ばれた。

 もちろん。

「私も行く。」

「私も。」

 エマとセレナが当然のようについてきた。

「君たちもか……。」

 学院長は三人を見るなり頭を抱えた。

「だめですか?」

「いや。」

 昨夜の事件を考えれば、むしろ一緒にいてくれた方が安心できる。

「座りなさい。」

 三人が並んで座る。

 学院長の隣にはアルベルトがいた。

「おはようございます。」

 リリアが頭を下げる。

「昨日は大変だったね。」

「はい。」

「怖かったかい?」

「……少し。」

 アルベルトはリリアの表情を見た。

 伝承の少女。

 リシア。

 目の前にいる少女が、本当に彼女と同じ存在なのか。

 まだ分からない。

 だが、一つだけ確かなことがある。

 この少女を恐怖だけで縛ってはいけない。

「今日は君にお願いがある。」

「お願い?」

「魔法の練習をしてほしい。」

「……え?」

 リリアが目を丸くする。

「今まで通りじゃ駄目ですか?」

「駄目だ。」

 アルベルトははっきり答えた。

「君自身が、自分の力を理解する必要がある。」

「でも……。」

「怖いかい?」

 リリアは少し黙った。

 そして頷く。

「はい。」

 山を削った。

 学院を水で覆った。

 巨大な花を作った。

 昨夜は、自分が命令していないのに水が動いた。

「また……すごいことになったら。」

「だから練習する。」

 アルベルトは優しく答える。

「力を知らないことの方が危険だ。」

「……。」

「それに。」

 アルベルトはエマとセレナを見る。

「一人ではない。」

「もちろん。」

 エマが即答した。

「私も行きます。」

 セレナも頷く。

 リリアは二人を見る。

「……ありがとう。」

     ◇

 学院から数キロ離れた演習場。

 周囲に民家はない。

 広大な草原。

 中央には人工的に作られた大きな湖がある。

 高位魔導師の訓練に使われる特別区域だ。

「広い……。」

 リリアが感心する。

「ここなら多少のことがあっても大丈夫だ。」

 ガレス教官が言う。

「多少?」

 エマが湖を見る。

「リリアの場合、多少で済みます?」

「……。」

 ガレスが黙った。

「先生?」

「今日は学院長を含めて結界術の専門家を十二人呼んでいる。」

「そんなに!?」

「念のためだ。」

「それ、絶対大丈夫だと思ってないですよね!?」

「念のためだ。」

 ガレスはもう一度言った。

 演習場の外周には十二人の魔導師。

 さらに学院長。

 アルベルト。

 そして王国騎士団まで待機している。

「……私、魔王か何か?」

「違うよ!」

 エマが笑う。

「魔王より危ない可能性はあるけど。」

「慰めになってない!」

     ◇

「まず基本からだ。」

 ガレスが湖を指差す。

「ウォーターボール。」

「それならできます。」

「標的はあれだ。」

 十メートル先。

 木製の的。

「はい。」

 リリアは手を向ける。

「ウォーターボール。」

 ぽん。

 小さな水球。

 ぺちっ。

 的に当たる。

「……。」

「……。」

「……。」

 全員が黙る。

「普通だ。」

 ガレスが呟く。

「だから言ったじゃないですか!」

 リリアは少し嬉しそうだった。

「私の水魔法、普通なんです!」

 アルベルトは腕を組む。

「もう一度。」

「はい。」

「ウォーターボール!」

 ぺちっ。

「もう一度。」

「ウォーターボール!」

 ぺちっ。

「……普通だな。」

「ですよね!」

 なぜかリリアは嬉しそうだった。

 だがセレナだけは考えていた。

「先生。」

「なんだ。」

「条件が違う。」

「条件?」

「リリアの力が大きくなった時。」

 山。

 エマを守ろうとした。

 学院。

 誰かを傷つけたくなかった。

 昨夜。

 二人を守ろうとした。

「全部、誰かを守ろうとした時。」

 リリアがセレナを見る。

「……確かに。」

 エマも頷く。

「じゃあ私が危ない目に遭えばいい?」

「駄目。」

 リリアが即答した。

「絶対駄目。」

「でも。」

「駄目。」

 いつになく強い口調だった。

 エマは少し驚き、それから嬉しそうに笑った。

「分かった。」

 セレナはその様子を見て、ほんの少しだけ羨ましそうな顔をした。

 アルベルトが気づく。

「実際に危険な目に遭わせる必要はない。」

 彼は湖の反対側を指差した。

「魔法で再現する。」

     ◇

 巨大な人形が置かれた。

 人間と同じ大きさ。

「これをエマだと思ってくれ。」

「無理があります。」

「我慢しなさい。」

「似てない。」

 エマ本人まで言った。

「人形だからな!」

 ガレスが怒鳴る。

 リリアは笑った。

 緊張が少し解ける。

「では始める。」

 ガレスが魔法を発動する。

 巨大な岩が空へ浮かぶ。

「この岩を人形へ落とす。」

「……。」

「君は水魔法で守る。」

「分かりました。」

「行くぞ。」

 岩が落下する。

 リリアは手を伸ばす。

「水よ!」

 湖から水が飛び出した。

 ドンッ!

 水の壁。

 岩を受け止める。

「おお!」

 教師たちから声が上がる。

 だが昨日ほどではない。

「成功だ。」

「やった!」

 リリアが笑う。

「もう一度。」

 今度は岩を二つ。

 水の壁が受け止める。

 三つ。

 受け止める。

 五つ。

 十。

 それでも水は防ぐ。

「すごい……。」

 エマが見入る。

 セレナは別のところを見ていた。

「……湖。」

「え?」

 湖面が下がっていない。

 あれだけ水を使っているのに。

「リリア。」

「なに?」

「今使ってる水、どこから出してる?」

「湖じゃないの?」

「違う。」

「え?」

「湖の水量が変わってない。」

 全員が湖を見る。

「……。」

 確かに。

 水位はまったく変わっていない。

 アルベルトが立ち上がる。

「魔力から水を生成しているのか?」

「分かりません。」

「なら。」

 セレナが水の壁へ近づいた。

「調べる。」

 指先で触れる。

「……普通の水。」

「魔力反応は?」

「ある。でも……。」

 セレナは眉を寄せる。

「リリアの魔力だけじゃない。」

「どういう意味?」

「分からない。」

 その時だった。

 湖が揺れた。

 ざわっ。

 風はない。

 なのに湖面全体へ波紋が広がった。

 リリアが振り返る。

「……呼んでる。」

 全員が固まる。

「何が?」

 エマが尋ねる。

「湖。」

「……。」

「リリア。」

 セレナが慎重に聞く。

「何て?」

「分からない。」

 リリアは湖へ近づく。

「でも。」

 一歩。

 また一歩。

「来てって。」

「待て!」

 ガレスが止めようとする。

 しかしアルベルトが手を上げた。

「行かせよう。」

「院長!」

「私たちがいる。」

 リリアは湖畔へ立つ。

 しゃがむ。

 指先を水面へ触れた。

 その瞬間。

 世界が変わった。

     ◇

「――っ!」

 リリアの頭の中へ、膨大な何かが流れ込む。

 雨。

 川。

 雪。

 雲。

 井戸。

 地下水。

 湖。

 海。

 朝露。

 人々が飲む水。

 植物が吸い上げる水。

 空へ昇り、雲となり、雨となり、再び大地へ還る水。

「なに……これ……。」

 リリアの瞳から涙が流れる。

「リリア!」

 エマが走り出そうとする。

「待って。」

 セレナが止めた。

「でも!」

「魔力が暴れてない。」

 むしろ逆。

 穏やかだった。

 湖面が鏡のように静まる。

 そして。

 リリアの頭の中に、一つだけ。

 知らない景色が浮かんだ。

     ◇

 古い街。

 今とは違う建物。

 石造りの塔。

 大勢の兵士。

 その中央。

 一人の少女が立っている。

 長い髪。

 青い瞳。

 少女は泣いていた。

『お願い。』

 声が聞こえる。

『もうやめて。』

 誰?

 リリアは尋ねようとする。

『私は戦いたくない。』

 兵士たちは少女へ武器を向けている。

『誰も傷つけたくないの。』

 それでも。

 魔法が放たれる。

 少女へ。

 何十。

 何百。

 その瞬間。

 少女が顔を上げた。

 リリアと目が合う。

『あなたは――』

 そこで。

     ◇

「リリア!」

「――っ!」

 現実へ戻った。

 リリアは湖畔に座り込んでいた。

「大丈夫!?」

 エマが抱き締める。

「エマ……。」

「何があったの!?」

「……女の子。」

「え?」

「知らない女の子がいた。」

 アルベルトの表情が変わる。

「どんな少女だ。」

「長い髪で……。」

 リリアは思い出す。

「青い目。」

「兵士に囲まれてて。」

「泣いてた。」

「名前は?」

「分からない。」

 アルベルトは黙った。

 だが。

「もしかして。」

 リリアが続ける。

「リシア……?」

 空気が凍った。

「どうしてその名前を知っている。」

「え?」

 リリアはアルベルトを見る。

「昨日……。」

 頭を押さえる。

「知らない。」

「でも。」

「なぜか。」

「名前が浮かんだの。」

 アルベルトは確信する。

 水が記憶している。

 数千年前の出来事を。

     ◇

 その日の訓練は中止になった。

 帰り道。

 リリアはずっと黙っていた。

 右にはエマ。

 左にはセレナ。

「ねえ。」

 リリアが口を開く。

「私って。」

 二人が見る。

「怖い?」

 エマが立ち止まった。

「なんで?」

「だって。」

「自分でも分からないことばっかり起きるし。」

「山削るし。」

「水が勝手に動くし。」

「知らない昔の景色まで見えるし。」

 リリアは俯く。

「もし。」

「いつか本当に。」

「王都を沈めたりしたら……。」

 ぽん。

 エマがリリアの頭を叩いた。

「痛っ。」

「馬鹿。」

「えぇ!?」

「その時は私が止める。」

「どうやって?」

「気合い。」

「絶対無理だよ!」

「じゃあ抱き締める。」

「もっと無理じゃない?」

「やってみなきゃ分からない。」

 リリアが笑った。

 セレナも静かに言う。

「私もいる。」

「セレナ。」

「あなたが水を制御できないなら、一緒に方法を探す。」

「……。」

「だから。」

 セレナは少し恥ずかしそうに視線を逸らす。

「一人で怖がらなくていい。」

「……ありがとう。」

 リリアは二人の手を取った。

「え。」

「……。」

「三人なら大丈夫だよね。」

 エマの顔が赤くなる。

 セレナもほんの少し頬を染める。

「うん。」

「……大丈夫。」

 三人は手を繋いで学院へ帰っていった。

     ◇

 王城地下。

 アルベルトは禁書を開いていた。

 今日、新たに浮かび上がった文章。

『水は忘れない。』

『雨となっても。』

『川となっても。』

『海へ還っても。』

『水は、あの日を覚えている。』

 ページをめくる。

 そこには。

 これまで存在しなかった絵が浮かび上がっていた。

 一人の少女。

 リシア。

 その隣に。

 二人の女性が描かれている。

「……これは。」

 アルベルトは目を細める。

 だが。

 二人の顔だけが削り取られていた。

 そして、その下には文章。

『彼女にも、かつて友がいた。』

「……!」

 さらに。

『だが二人は、彼女より先に死んだ。』

 アルベルトの手が止まる。

 リシアが孤独になった理由。

 それは最初から一人だったからではない。

 失ったのだ。

 大切な人を。

 そして。

 最後の一文。

『二人を失った日、リシアは初めて海を呼んだ。』

     ◇

 同じ頃。

 王都から遥か遠く。

 巨大な帝国の軍事要塞。

 一人の女が報告書を読んでいた。

「王国で巨大な水魔法?」

「はい。」

「山を削ったという情報も。」

「誇張では?」

「複数の情報源が一致しております。」

 女は立ち上がる。

 机の上には世界地図。

 王国。

 帝国。

 聖教国。

 そして。

 その間に広がる巨大な海。

「水属性……。」

 女は地図の海へ指を置く。

「もし。」

「この海そのものを操れる魔導師が存在するとしたら?」

 部下が笑おうとして。

 やめた。

「……戦争の形が変わります。」

「違う。」

 女は静かに答えた。

「戦争ではない。」

 指が王国の海岸線をなぞる。

「国境という概念が変わる。」

 津波。

 洪水。

 河川。

 港。

 水源。

 人間の文明は、水なしでは存在できない。

 だからこそ。

「その少女。」

「名前は?」

「リリア・ミスト。」

「……リリア。」

 女はその名を覚えた。

     ◇

 さらに遠く。

 聖教国。

 地下聖堂。

 数十人の黒い法衣をまとった者たちが跪いている。

 中央。

 巨大な石碑。

 そこには数千年前の文字が刻まれていた。

『リシア』

 そして。

 その下。

『水が再び少女を選ぶ時――』

『文明は再び試される。』

 一人の老人が目を開けた。

「始まった。」

 周囲の者たちが顔を上げる。

「リシアではない。」

「しかし。」

「同じ水に選ばれた少女。」

 老人は静かに告げる。

「リリア・ミスト。」

 鐘が鳴った。

 ゴォォォン。

 ゴォォォン。

 ゴォォォン。

「今度こそ。」

 老人は石碑を見上げる。

「文明が海へ還る前に――」

「水の魔女を、我々の手で止める。」

     ◇

 その夜。

 何も知らないリリアは女子寮のベッドで眠っていた。

 右にエマ。

 左にセレナ。

 三人とも静かな寝息を立てている。

 窓の外。

 雨が降り始めた。

 ぽつ。

 ぽつ。

 ぽつ。

 やがて。

 王都全体を包む優しい雨となる。

 眠るリリアの頬へ、一滴の涙が流れた。

「……リシア。」

 寝言だった。

 エマもセレナも気づかない。

 窓を流れる雨粒だけが。

 その名前に応えるように――

 静かに震えた。

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